揺れる炎
東の空がかすかに白みかけるころ、折良く宮の正面に向けて微風が吹いた。
にわかにタタタという物音が外から聞こえて、正門側の塀に火矢が立つ。木材の焼ける匂いが庭に流れ込む。
「王子さま、こちらへおいでなせえ」
と氷田はいかにも下人らしい口ぶりで、穴穂部に接近して声を掛ける。高貴な王子は賤しい召使いのことなど気にかけたことがなく、どんな顔が何人いるのかも頓着しない。
「濠に浮き橋をかけてござんす、裏口からお逃げんなってくだせえ」
氷田を自分の下男と思って疑わず、言われるままに裏手の戸をくぐり、濠に浮けた板を踏んで走った。寄せ手は正面に集中していて、裏側は包囲を欠いている。
(おれは運がいいらしいぞ!)
と穴穂部は思った。このまま
「そち、人目に立たず河内の国へ通れる道やあるか」
と穴穂部は問うた。
「へえ、こちらへ」
と下男の姿は答える。木々の生い茂ったなだらかな地形に入ったが、どこの山だか分からない。一緒に逃げてきたはずの人々は、いつの間にやら散り散りになって、自分を連れ出した男だけが前を歩いている。もし立ち止まれば、すぐにも追っ手の矢がかかりそうな気がする。振り向けば立ちのぼる煙が見える。
とにかく歩いて行くと、このあたりの猟師でも使うのだろう
「王子、お待ちしておりました」
と中から知った声で迎えられた。
「あっ」
と叫んで、喉を震わせ、おう、おれは何も悪い考えは持っていない、どうか姉上に取りなしてくれよ、と声になったかどうか、一瞬、首筋に冷たいものを感じて、ドウと前のめりに倒れた。馬子はその場で穴穂部の死を確かめた。
馬子は守屋の打とうとする手を、一つ一つ未然に潰していった。その一方で、
七月、馬子は、
軍勢は、
馬子はとっくに勝算は固めている。どちらが有利かは明らかだ。しかしもし功を焦って攻め急げば、それだけ守屋に守り手の利点を活かした作戦の幅を与えることになる。馬子にとっての問題は、どれだけ少ない損失で勝つかにあった。守屋は自ら榎の
王子らは、軍陣のはるか後方で戦況を眺めるという位置に留められていた。泊瀬部は、なぜここに自分が呼ばれたのか判らなかった。先だって親しい兄がなぜ太后から死を賜ったのか、それとこれがどうつながっているのかも知らない。とにかく争いが起きているという事実が見て取れるだけで、それが何を意味しているのかもよく解っていない。
厩戸王子は、年かさの泊瀬部よりもずっと鋭敏に事件の意味を感じ取っている。額で結う髪型は、まだ年の頃せいぜい十五、六であることを表している。この紅顔の美少年は、他の誰よりも前に立ち、瞳を煌々と燃やして西のかたを望んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます