殯の宮の策謀

 たちばな王の正妃、間人王女はしひとのみこは、四人の男子を産んだ。厩戸王子うまやとのみこ来目王子くめのみこ殖栗王子えくりのみこ茨田王子まむたのみこである。なかでも厩戸王子は、幼くして能弁、わかくして英知あり、早くから仏教にも関心を示していた。目ざとい炊屋姫尊かしきやひめのみことは、おのむすめ貝蛸王女かいだこのみこの婿として約束をさせている。次の妃、さき大臣おおおみ稲目いなめの女、石寸名いしきなは、田目王子ためのみこを生んだ。次に、葛城直磐村かづらきのあたいいわむらの女、広子ひろこは、麻呂子王子まろこのみこ酢香手姫王女すかてひめのみこを生んだ。

 年が明けて、春が過ぎるころには、かさの病の流行もおちついて、人々の畏れも和らいできた。他田おさだ王のもがりの宮にて、弔辞しのびごとを述べる儀式がやっと開かれたのは、この年の五月のことである。広瀬に設けられた殯の宮に、王侯貴族が陸続と集まる。しかし橘王は、気分がすぐれないとして、池辺いけのえの宮に休んでいるが、式次第に支障はない。炊屋姫が全てを采配しているからだ。

 蘇我馬子大臣そがのうまこのおおおみ物部守屋大連もののべのもりやのおおむらじも、ここで久しぶりに顔を合わせた。守屋は平静を装いながら、内心で苦々しさを味わった。病弱な橘王のもとでは、炊屋姫尊の後ろ盾を得られる馬子に比べて、守屋の立場は一歩劣ってしまう。

 守屋の膚には、瘡の痕が醜いまだらを作っている。弔辞を述べるときに、守屋が身を震わせたのは、哀悼を表すためだが、そこには時々病的な痙攣が混じる。それを馬子は見逃さない。腰の刀に鈴でも懸ければ、玲々瓏々りょうりょうるると鳴りそうだ。立ち居振る舞いにも、大氏族の長者らしい鷹揚なところが欠けて、どこか汲々とした様子をしている。

(さては、病気でどこかおかしくしたかな)

 と馬子は思った。その一方で馬子には、一つの瘡の痕もなかった。守屋は、

(やっぱり仮病だったな、腐れいぬめ!)

 いつか射落とされた雀のようにしてやるぞと、胸の内をカッと燃え上がらせた。しかしまだ、今は手を出す時ではない。妃を出している蘇我氏と違って、物部氏は王族との間に血のつながりがない。そもそも今の王室は、やまとの国に君臨してから百年も経たないのに対して、物部氏はずっと古くからこの土地に根を張った正しい由緒がある。かれは君主、われは臣下というのは政治上の関係で、氏族の格というのはそれとは別の問題である。血統からいえば、とてもつりあわないのだ。その誇りから、物部氏は王室とあまり縁を結ばないできた。それが今は不利だ。

 守屋は、殯の宮に参列した王族の面々を物色した。だれか手を結べる人はないか。橘王の即位の仕方を、典例に合わないものとして内心では不服としている者は少なくなかろうが、旗頭として王室の人物がついてくれなければ、結集し行動するということにはなりにくい。

(やはり、穴穂部王子あなほべのみこか)

 と守屋は目を付けた。だがその時に守屋が視て、穴穂部王子だと思ったのは、弟の泊瀬部王子はつせべのみこだった。兄の方は、この機会に抗議でもしてやろうと、炊屋姫の控える奥の殿に向かっていた。穴穂部は、行動の結果を考えない未熟な魂をたぎらせている。歩いて行くと、奥の殿に通じる門は閉じられている。

御門みかど開け!」

 と穴穂部が呼ぶと、

「コンカドハ、シャンムリアカランタイ」

「ダルモトオスナカテ、太后おおきさきサマンオオセジャケンナ」

 と数人の衛兵が、櫓の上や下から答える。球磨くまの国から供出された、眉の太い肌の黒い男どもが門番をしている。

「このおれを穴穂部王子と知ってか。この門を開けよ!」

 と穴穂部は何度か叱りつけても、

「コイツァ、セカラシカミコサマジャ」

「オンナジコツバッカ、ヒチクドカバイ」

「アタ、ハヨカエリナッセ」

 などと言って意に介さない。穴穂部は意気をそがれた思いがした。忌々しいが球磨の訛りなどはほとんど意味が分からないし、聞くのも耳に穢らわしい。ここは別の手を執ろうか。

「うぬらは、誰の手勢であるか」

 と最後に穴穂部は問うた。

「オイタチ、ドンガ舎人とねりゾ」

 と答えを聞いて、穴穂部はこの衛兵たちが、三輪君逆みわのきみさかうの配下だと知った。逆は王室の家来で、特に他田王の気に入られていた人物だ。穴穂部が戻っていくと、嘲るようなアハハという声が背を打った。むっとして群臣の控える間に入り、逆がいないかと見渡したが姿がない。逆は主君にまめな男だから、ここには配下の者だけをよこして、自分は池辺の宮で橘王に伺候しているのである。穴穂部は馬子と守屋を呼びつける。

「逆はどこだ。あれは謀叛でも企んでおるのではないか。やつの手の者がおれに無礼を働く。姉上に弔いを申し上げようとしたのに、門を開けよと七度呼んでも応えんのだ。そうならやつめを斬らねばならぬぞ」

 馬子は逆の居場所を告げる。その時に、守屋の頭を悪い考えがかすめた。王子が逆を謀反人だとするからには討つべきだが、逆が王宮にこもって抵抗し、互いに弓を構える事態になったらどうだ。そうなれば流れ矢が誰にあたってもおかしくはない。王宮は人が出払って閑散としているところだし、わが持てる兵力を以てすればそう仕向けるのもたやすい。もし橘王が死ねば、次は穴穂部王子が継ぐことは固い。擁立に功が多ければ、それだけ有利な地位を得られるはずだ。

「はっ、仰せのままに」

 と守屋はただちに答えて、兵の手配をするために出て行った。馬子も王子の前で敢えて異は唱えない。しかし、わがままな王子の腹いせで、王宮に兵を向けるなどとは穏やかでない。馬子は、東漢池辺直氷田やまとのあやのいけべのあたいひたを伴って、奥の殿に向かう。

 氷田が、

「蘇我の大臣がお通りになるぞ」

 と呼ばえば、門兵は、

「大臣ドンノオナリ!」

 と応えて、すぐに門を開けた。

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