仏の飄泊
仏のことは、広庭王の世に溯る。そのころ、仏の像が、諸国の海岸に度々流れ着いた。また、
「仏の
とその君主の言葉を伝えた。
広庭王は群臣に意見を求めた。
「百済王より贈られた異国の神の像はきらぎらしく、今まで見たこともないものだ。祀るべきか否か」
稲目は答えた。曰く、
「仏教は、はるか西のかた天竺なる国に起こり、それより東へ伝わって、百済、
反対意見を述べたのは、尾輿である。
「大王が
祭儀を執行する職能を以て歴代の王府に仕えてきた物部氏の立場からして、仏教など納れることは認められない。物部流の神道では、海から漂い来る神は、海に帰すのが作法である。だから尾輿にはそうする義務がある。
稲目にとって仏教は、祭儀よりもまず外交の問題だった。今や仏教は世界を風靡し、これを知らない者など、海外では格下に見られるのである。それに最新の知識や技術は、仏教を媒介として流通している。わが邦の発展のためには、これを採用しなくてはなるまい。
尾輿はかさねて反駁する。昔から病が流行るのは、異国の神を容れる者に国つ神の心が祟るからである。今わが
慎重な王は、判断に迷いを持ったものの、結局は保守的な尾輿の意見を採った。尾輿は仏像の魂を、依り代とする木の人形に移して、
稲目は広庭王の晩年に世を去った。馬子は父の、仏教によってこの邦を時代遅れと国際的孤立から救う、という志を受け継いだ。もう一人の仏教派は、王女、
炊屋姫は、広庭王の第十三年に生まれた。容姿は端麗、挙措は乱れず、人を従わせる才能があった。他田王の第四年に、正妃の
さらに馬子は、かねて密かに
おりから、巷では流行り病で多くの死者が出ていた。それは西からやって来た。
やがて伝染を恐れて世話をしようという者もいなくなり、そうなると病人は食うものも食えず、独り泣きいさちつつ死んだ。死ねば家ごと燃やされ、その煙は野に溢ちた。ただ運良く治癒した者は二度と罹らないらしいことがわかってからは、そうした者たちが病人の世話や遺骸の処理に当たった。
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