崇峻天皇は死んだ
敲達咖哪
暗殺
崇峻天皇は、その治世第五年の十一月三日に暗殺された。この年は、隋の文帝の開皇十一年、
殺害の現場は、倭の国の平野部の南端、山の尾の狭間に入り込んだ
王は、死が迫る間に、自分を刺した男の顔を見た。
もう一人、誰だったか女の気配がある。ついさっきまで誰だか判っていたのだが、もう思い出せない。王の眼は誰の姿も捉えることはできなくなった。ただ微かに光を感じ、それも限りなく暗くなっていく。生を死へと追いやる強い手、抗えない大きな力が声を発する。
――目を閉ざすがよい。汝の時は過ぎた。その国、民、全ての宝は、新たな主を迎えなければならぬ。天なる父の子は、全てわが征服するところとなるのだ。
王は思う。この国、民、全ての宝は、我が物ではなかった。この世の栄光はもとよりこの手に付くものではなかった。今はなおさら遠ざかるだけである。
世間は全てかりそめ、死ぬことだけが真実だ――
泊瀬部王は、
彦太王は、
彦太王は三人の王子に領地を分け与えたが、二人の兄は早くに死んだので、結局のところ全て広庭王が継ぐところとなった。
広庭王は、六人の妃との間に、十五男八女を儲けた。正妃、王の姪、
広庭王は治世三十有余年にして薨去し、翌年に他田王子が立って倭王となった(敏達天皇)。他田王は、四人の妃との間に、六男十女を儲けた。前の正妃、
他田王が位に即いたとき、兄弟が何人生存していたか、泊瀬部王子はしかとは覚えなかった。同じ父の子でも、母が違えば親しくするとは限らないもので、実際に兄弟が何人いるのかも正確には把握していなかった。確か上の一人か二人かは早くに死んでいたはずだが、それにしても
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