終 全ての岸に寄せて
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デュートは手当を受けた民家を出ると、フリッガが置いていったプレトには先に王宮で待機するよう申しつけた。黒い竜はろくに返事もせずに羽搏いていった。
身軽になった女王は、懐かしき我が家への道行きに市民を同行させた。一度断った靴は、踵の低いものとお願いして改めて用意してもらった。使い古しでよいと言ったのに新品が届けられ、それを履いた彼女は市民を引き連れ王宮に戻った。
目を白黒させている門衛に彼女は後方を示しながら、正門を完全に開け放たせた。
そうして彼女は王宮の主に相応しい足取りで正面玄関を入ると大階段を上り、敷かれた絨毯をなんの遠慮もなく踏み進めて謁見室の前まで戻った。
扉は閉ざされている。重たい扉は、その部屋に出入りする者が自分では開けないことが前提になっているものだ。しかしそのための守衛は先ほどの出来事で出払ってしまったままなのか、いなかった。
デュートは扉に両手をついて少し力を込めてみたが、扉はまったく動く気配がなかった。
彼女は後ろを囲む市民の前で一歩下がり、少し思案してから、ぱん、と手を叩いた。いかにも不服げな顔で現れた「偽コンベルサティオ卿」に、彼女は扉を指さして見せた。
「開けていただける?」
プレトは市民を一瞥し、それからデュートを見た。
「なぜ」
「私ひとりでは動かないのです」
「手伝いならほかに」
デュートは眉を上げ、少し考えてから「そうね」と呟き、後ろを振り返った。
そうして彼女は市民の顔をひとりずつ、まじまじと見た。意気揚々と目を輝かせている者。不安の色の濃い者。好奇心を隠せずにあちこち見回している者。その全てを丁寧に見ていく。
今まであまり接することのなかった者たち。彼女は足元を見た。
彼女のそれはさっき準備してもらったばかりの真新しいものだ。しかし市民のほうは土で汚れている。そして、国王の在るべき姿は——デュートは大きく息を吸い込んだ。
市民が見守る中で彼女は息を吐き、もう一度「そうね」と呟くと顔を上げた。
いくつもの顔が、目の前にある。その全てに向かって彼女は口を開いた。
「私にはこれから、なすべきことがたくさん……本当にたくさんあります。私はあまりに未熟な国王で、ですからたぶん、そのほとんど全てに、国民の後押しが必要です。まずその手始めとして、皆さんをこの部屋に案内させてほしい。ここは私の知る限り、この国でもっとも敷居が高いと思われている場所です。それがどういう場所か皆さんにご覧いただきたいのです」
デュートはそう言って、もう一度市民たちを見た。彼女が扉の前を避け横に退くと、前方で顔を見合わせていた男ふたりが遠慮がちに進み出て、扉を押し開けた。
室内の絨毯は泥にまみれていた。キュルビスが警備兵を踏み込ませたときのままだ。その後のことはまだ少し信じられなかった。
主犯は隣に立っている男である。本当によく似ているのだが——思い出したデュートが口を尖らせても、プレトは眉ひとつ動かさないどころかそもそも彼女を見てすらいない。これがサプレマの契る「人でないもの」なのだ、とデュートは納得することにした。
目を戻す。開け放たれた入り口を前に、彼女は腰に両手を置いて室内を見回した。ふう、と息を吐いて足を踏み出す。泥まみれの絨毯はいつもの高い踵の靴のときとは違い、とても柔らかく感じた。
彼女の歩いていく真正面には、この部屋が使われるときにはいつも彼女が掛けている椅子がある。玉座だ。
そこからの眺めは、高さなどなくても周囲を
室内にまで進んできたのはデュートだけである。彼女は一歩脇に避けると、玉座のほうへ右手を差し伸べながら、さあ、と言った。
「どうぞ中へ。私はあの椅子に座るつもりはありませんから」
おそるおそる入ってきた後は室内を好き勝手に見たり触ったりし始めた市民たちの横をすたすた通り過ぎて、プレトはデュートの横まで歩いてきた。
「座るつもりがないとは」
「あら、興味があるのですか?」
デュートは挑戦的に笑うと、返事を待たずに玉座の裏に周り、その背に手を置いて言った。
「王位なんてものがなければ避けられる争いもあるでしょう」
プレトは腕を組んで首を傾げた。デュートはその理由こそ分かりはしなかったが、それを、初めて彼が見せた人間めいた顔だ、と思った。
デュートはそこで、集めた市民に対して現状の説明をした。国境にアドラ軍が迫っていること。それを迎え撃つために体制を整えようとしていること。議会も軍も多くの人を失い機能不全を起こしていること。だから改めて、各地から急いで代表を出してほしいこと。ひとまず軍の指揮については、総司令代行を選任したので事後承諾がほしいこと——彼女はそれらの内容を全て書面にしたため、国内に散らした。小さな国である。数日内にはデュートの号令に従い臨時の議会が開催された。
女王はその議会の承認の下、正式に、行政、立法、司法、軍務全ての指揮権を一度自分の下に集め、自らを議長および執行者とする執政体勢を作り上げた。
情報開示を惜しまない女王の政務指揮の下、国内に大きな混乱は起きなかった。それは誰もの予想を上回る、鮮やかな手腕であった。
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