4 小説

「えっと…


 1993年、風原信太(当時41歳)は、人とフレンズの距離を縮めるべく、『オール・フレンズ・フェスティバル』を開催した。

 このイベントは、フレンズがそれぞれ得意なことを活かした出展をし、人にアピールするという内容だった。

 当初はとても小さなイベントで、客も多くは集まらず、批判も多かったが、開催を重ねる内にその規模は大きくなり、第5回時には2万人もの人が訪れたという。


…この人です、風原信太さん!」

 葉琉は司書を見て笑った。


「へー…。でも、何でこの人のこと知ってたの?」

 司書の問いかけに、葉琉は目をぱちくりとさせる。

「…え? いや、その、それは…あはは…。司書さんは知ってるんですか? この人」

「私? いやっ、知らなかったよ、今初めて知った。それよりも、葉琉ちゃんがこの人を知ってた理由が知りたいなー、なーんて…」

 目線を泳がせながらそう言う司書に、葉琉は違和感を感じながらも曖昧に答えた。

「そ、それは、まあ、色々とあって…」

「…そっか、色々とあったんだね」

 あまり深入りしないようにしよう。司書はそう思い、納得するような素振りを見せた。

 葉琉も気まずくなったのか、すぐに話題を変える。

「それでその、あの風原くんがこの風原さんと何か関係はあるのかな、って思って…」

「うーん…。風原って名字はあまり聞かないし、本人に聞いてみないと分かんないけど、親戚である可能性は高いかもね」

 でも、と司書は逆説を入れる。

「だからと言って、別に何かがどうなる訳じゃないとは思うけど…」

 葉琉は、恥ずかしそうに頬をかいた。

「まぁ、そうなんですけどね…。でも、分かってスッキリしました。ありがとうございました」

「いえいえ。また何かあったら、いつでも来てね。大切な常連さんだから」

「はい! ありがとうございました。…それでこの本、お借りしても…」

 葉琉が本を持とうとすると、司書は申し訳なさそうに引き止めた。

「あっごめん、この本、貸出禁止なんだ。背表紙を見てもらえば分かると思うんだけど」

 司書は本を持ち上げ、背表紙を葉琉に向ける。背表紙には、確かに『禁貸出』と書かれた赤いシールが貼られていた。

「あっ、すみません! 分かりました」

「また見たかったら、いつでも来てね。待ってるよ」

「ありがとうございます! 名前か分かっただけでも助かりました。じゃあ、私は部活に行ってくるので」

「はーい、頑張ってね」


 満足げに部屋を出ていく葉琉の背中を見ながら、司書はまたコーヒーをすすった。



 …見つけちゃったかー…。


 今まで3校の学校で司書として働いてきたが、サンドスターの仕組みやフレンズの生態に興味を持った生徒はいたものの、フェスティバルに興味を持った生徒は初めてだった。


 知らせてはいけない事は、分かっている。

 が、生徒の「知りたい」を叶えるのが、司書の仕事の一環でもあると、彼女は考えていた。


 このご時世、インターネットで調べても出てこないキーワードなど、滅多にない。

 そんなキーワードを探しにやってくる生徒を見ると、どうしても燃えてしまうのだ。


 久しぶりに仕事したなぁ…。

 図書室の有り難さを、少しでも分かってもらえたなら良いけど。


 それにしても…



 オール・フレンズ・フェスティバル。


 世界中を震撼させた、あの事件を引き起こしたイベント。

 

 いくら私たち大人が、「関わってはいけない」と言い聞かせても…



 あの子はきっと、止まらない。



 パタン、とドアが閉まり、図書室は沈黙を取り戻した。










 そうだ。この人だ。

 この人だった。


 葉琉は、廊下をスキップしながら通っていた。


 ここは4階。

 部活動勧誘の生徒たちは、3階までしか上がってこない。


 きっと奈々海は今頃、大声で料理部の宣伝してるんだろうなぁ…。


 私は、今日の勧誘はやーめた!!


 どーせ宣伝しても誰も来やしないし、部室で小説の続きを書いてた方が楽しいもんねーだ。


 文芸部の部室は、東校舎4階の端、生徒会室の隣にひっそりとあった。

 放課後の4階は、学校とは思えないほどにしんと静まり返る。葉琉は、この環境の中で執筆や読書をするのが好きだった。

 が、今日は話が違った。グラウンドや下の階から、新入部員を勧誘する生徒の声や楽器の演奏が、片時も止まらず聞こえくるのだ。

 …ま、この時期はしゃーないか。

 上機嫌で部室のドアを開けた瞬間、葉琉の目に、驚くべき光景が飛び込んできた。


「…え……?」


 葉琉は口を半開きにしながら、その光景をまじまじと見つめる。

 本棚に囲まれた机で、見覚えのある男子生徒が1人、淡々と本を読んでいた。

 男子生徒は顔を上げ、葉琉と目を合わせると、「こんにちは」と呟くように挨拶し、また目線を下げた。


「え…? え?」

 誰もいないはずの部屋に、1人の生徒が当たり前のように座っているのだ。葉琉は困惑するあまり、しばらく呆然としてしまった。

 彼は間違いなく、昨日入部の希望をしてきた2年生だった。


「風原くん…だよね?」

 『部室に自分以外の人がいる』という久々の光景に、葉琉は微笑しつつも問いかけた。

「はい」

 翔は本に目を向けたまま答えた。

 ここで葉琉は我に返った。

 そうか。今まで入ってきた不良や不登校やサボり野郎とは違って、この子は何も知らないまま入ってきたんだ。サボれることを知らなければ、活動しに来るに決まっている。前の剣道部では、サボってたみたいだけど…。


 瞬間、葉琉の感情は困惑から喜びに変わった。

 ここできっちり教育すれば、文芸部存続の危機を免れるんじゃ…!?

 同好会にされても構わないが、せっかくまともな(?)生徒が入ってきたのだ。これはやるしかない。


 …いや、待てよ?

 葉琉は、先程までの記憶を思い出す。

 教育の前に、この子には聞きたいことがあるんだった…!

 丁度いい。人違いだったら申し訳ないけど、好奇心には抗えない。


 葉琉は部室のドアを閉め、翔の目の前に勢いよく手を置いた。

 翔の目線が、読んでいた本からそれる。


「突然だけど風原くん、『風原信太』って人の親戚じゃない?」


 翔は目を丸くして葉琉の顔を見たが、すぐに目線を落とし、


「違います」


 と、即答した。


「違う? …やっぱり私の勘違い…?」

 少し顔を赤らめつつも聞くと、翔は無愛想にこう答えた。

「よく聞かれます、名字が同じなので」


 あっちゃー、人違いだったかー…。

 でも、よく聞かれるって、そこまで有名な人だったっけ? 風原信太さんって。

 何にせよ、この子と風原信太さんに関係はなかったようだ。それだけでも分かって良かった。

 突然聞いたことに違和感を感じられるとまずいので、聞いた理由だけでも話しておくことにした。

「そっかー、そうだよね…。風原さんだっていっぱいいるよね。…いやー、私、小さい頃に色々とあって、その人のこと、ずっと気になってるんだよね」


「その人は調べない方が良いですよ」


「え?」

 話を遮られ、葉琉はきょとんとした。


「その人は、人間とフレンズの距離を離した張本人です。世の中からも白い目で見られています」


「そ、そうなの…?」

 謎の威圧感にかられ、葉琉はこの話題を終わらせることにした。


「じゃ、じゃあ、この話はもうここまでにして、文芸部の活動をちょっとだけ…」

「はい」

 翔は読んでいた本を閉じ、手元に置いた。大切なことはきちんと聞いてくれるらしい。

 いや、風原さんの件も私に取ってはかなり大切な話なんだけど…。と思いながら、葉琉は説明を始めた。


「文芸って言っても、小説とか詩とか色々あるから、別にジャンルは絞らずに、個人で好きに活動してもらってる…つもり。おととし卒業した先輩は、小説のコンクールに出して入賞したりもしてたよ。こんな感じで、小説とか詩とか感想文とかを書いて投稿するのが、主な活動内容かな」


 葉琉は、コンクールの一覧が書かれたプリントを手渡した。翔は無言でそれを受け取り、目を通す。


「顧問の茂木先生が、そういう募集用紙を定期的に持ってきてくれるから。先生は滅多に来ないけど、文章は見せに行けばいくらでも添削してくれるよ。何だかんだ良い先生だから、頼って良いと思う」


「はい」

 翔は軽く頷く。

 説明は一通り終わった。翔はしばらくプリントを眺めた後、また本を開き、真剣に読み始めた。


 その様子を見ながら、葉琉は考えた。

 せっかく活動しに来てくれてるんだし、もっと親しくなりたいけど…。

 この子の場合、時間かかりそうだな…。


 何か、距離を縮められるきっかけは…。


「…あ、そうだ」

「?」

 翔は、目線だけを葉琉に向けた。


「見本にも何にもなんないけど、私が書いてる小説……読んでみる?」


 親友の奈々海にも、信頼している司書さんにも見せたくない、私が書いてる小説。

 他人に見せたくない理由は、幾つかある。



 1つ目は、ほとんどの人がこの話を根っから非難するに違いないから。


 2つ目は、あの子との約束を簡単に破りたくはないから。



 でも、この子なら口数は少ないし、言っちゃ悪いけど友達も少なそう。

 クラスの子達に、見せびらかすようにも思えない。


 いつか誰かに感想を言ってもらおうと思っていたが、その『いつか』が今来たようだ。

 葉琉は、部屋の片隅にある引き出しへ駆け寄った。ポケットから取り出した鍵を鍵穴に差し込み、引き出しを開ける。

 中から1冊の分厚いノートを取り出し、翔に差し出した。表紙には、葉琉のフルネームがアルファベットの筆記体で書かれていた。


「実はこの小説、私が小さい頃に体験した事を元に書いてるだけだから、特に題名も考えてないんだよね。…あっいや、全部書き終わったら考えようと思ってる」


 翔は、表紙を見たまましばらく考えているようだった。


「プロローグだけでも良いから、読んでほしい…! それで、出来れば感想を…!」


 懸命に頼み込む葉琉に呆れたのか、はたまた面倒くさくなったのか、翔は表情を変えないままノートを受け取った。


「分かりました。プロローグだけでも読んできます」


 瞬間、葉琉の表情が明るくなった。

「ほんと!? ありがとう!!」

 葉琉が礼を言うと、翔は突然立ち上がり、ノートとプリントを一緒にバックに入れた。

「これから用事があるので、今日は失礼します」

「…えっ? あ、う、うん?」

 あまりにも唐突な退出に、葉琉は首を傾げた。翔は扉を開けながら、振り返って葉琉に問いかける。

「この小説、他人には見せない方が良いですよね」

「あっそうだね、秘密で…」

「分かりました。失礼します」

 ドアが閉まり、部屋に1人残された葉琉は、ぽかーんと口を開けていた。



 しばらくして、我に返る。



 …ごめん、約束破っちゃった…。


 でも良いよね、1人くらい、きっと。












 最寄りの駅から電車で20分。

 そこから徒歩で3分。


 30分も経たずに辿り着く翔の家は、高層マンションの20階の一角にあった。


 昼間は遥か遠くのサンドスター火山を眺められ、夜間は青葉市の夜景を一望できる。こんな物件に母と2人暮らしなど、贅沢としか言いようがないが、母が昔から高層マンション暮らしに憧れていたのだから仕方ない。

 翔に取っては退屈でも窮屈でもなかったため、特に不満はなかった。


 無口のまま玄関に入り、靴をぬぐ。

 翔を出迎える者はいない。電気も点いていなかったが、夕日の光が差し込んでいるおかげで、さほど暗くはなかった。

 リビングのソファにどっかりと座り、足元に置いたリュックから、葉琉から受け取ったノートを取り出した。


 表紙をめくると、1ページ目には筆記体で『プロローグ』と書かれていた。


 翔は、またページをめくった。




 棚の上の写真立ての中では、中年男性が、賞状と花束を持ちながら笑顔を見せていた。

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