第2話「私、大学を受験します。」

 二月下旬。

 冬の寒さが際限を知らず、斜めの雪が街行く者に容赦なく襲いかかる。一面の真っ白な絨毯に地を走る鉄の塊が車輪を取られ、各所で事故が頻発していた。

 世間は寒さからの逃避に必死で、通りの人の数はまばらであるが、その中でも制服という戦闘服に身を包んだ者たちだけは違った。

 皆が一様に参考書片手に横断歩道を渡っていく。吐く息が凍り付こうとも決して彼らは止まらない。掲げた目標に真っ直ぐに、幾多の問題を解き続け、最後の入学試験かべを越えるために進み続ける。

 若く初々しい彼らの顔に諦めの気持ちは一切ない。このときのために、彼らはこれまでやって来たのだから。若さとはなんと美しく輝くことか。

 それに比べて私はというと、たった二度の挫折に心を折られ、這い上がろうとするのに半年を有し、そこから先も自堕落な生活。元同士に虚勢を張っては見ても壁を越える力を己に感じることができない。


(またここか)


 この正門をこうして見るのは三度目。そして、来年からは毎日この門を拝むのだ。

 そんなことを一年前は言っていた気がする。今はどうだ。既に敗色の濃い戦いに身を投じている気分だ。不安だけが先行している。全く自信が出てこない。

 若さなどとうの昔に無くしているのだ。次はない。今日この日に合格を決めるしかない。


(だかしかし、不安はあっても心配はしていない。私にはとっておきの秘策がある。この日のために特訓に特訓を重ねて編み出した技がある)


 条件さえ整えば合格は間違いない。ただ一つだけ課題をあげるとすれば、周りの連中が優秀でなければならないことだ。そうでなければ、この作戦は難しい。


「よし、行くか」


 自らを鼓舞して門を潜る。この先は別世界だ。憧れに憧れた最上王大学の敷地内。選ばれたものだけが入場を許可されるエリートたちの巣窟。今はまだ一日入場券を得ただけだ。


「試験会場はB-4」


 案内の看板に従って試験会場を目指す。人の流れが一定の方向を向いているので迷うことはない。教室の前では皆が列を成し、運営員が確認作業を行っている。

 受験番号と写真の張られた受験票を提示し、受験資格を示すことで会場への入場が許される。


濃緑有木のうりょくありきさんですね。顔をこちらに向けてください」


 若く可愛らしい運営さんが笑顔でそう言った。私は苦笑いを浮かべて、運営さんの方を見た。運営さんはわずかに眉をひそめた。その僅かな緊張に私は息を飲む。


「眼鏡変えられたんですね」

「そそそ、そうなんですよ。最近視力が落ちてきてもう大変でしてねぇ」

「そうなんですか。それは勉強を頑張られたんですね。良い結果が得られることを願っています」

「はい、ありがとうございます。ただ今回で受験は三回目ですけどね。ハハハハハッ」


 運営さんの鋭さに驚きつつも、どうにか笑いで誤魔化して私は教室へと入った。何故か運営さんの表情は引きつった笑みに代わっていたが、そんなことを気にしている余裕は無い。直ぐにでも彼女の視界から消えなければ。


「ふぅ」


 静かに席に着き、肺に溜まった息を吐き出した。危うく私の完璧な作戦が打ち砕かれるところだった。鋭い運営もいたものだ。私は遠くの方を見ながら思った。

 教室はとても広く、全席を詰めれば500人は収容できる広さがある。入口から真正面奥へと下った位置に教壇と黒板が設置されており、その間に三人掛けの机が整列して並んでいる。

 教室全体が角度の低い坂のようになっており、前方の机が少し下がった位置にある。それぞれの机には受験番号が一つずつ振られており、三人掛けの机の両端に受験番号の描かれた紙が一枚ずつ丁寧に張られている。

 受験生たちはその紙の横に自分の受験票を並べておき、テストが始まった後に運営の方々が一人一人の顔と名前をチェックしていくのだ。

 

(もう一度顔のチェックがあるが、先程は大丈夫だったのだから問題あるまい)


 冷や汗を掻きながら私は黒のボールペンとシャーペン二本、鉛筆一本に消しゴム二つ、それからシャーシンと定規を机の上に出した。


(おっといけない。置時計を忘れるところだった)

 

 私は黒のリュックに手を突っ込み、コンパクトサイズの持ち運び便利な置時計を取り出した。当然目覚まし機能はオフにして、設置位置も前もって決めていた所に置いた。

 朝の時報できちんと時間は合わせてきている。これも問題はない。

 少し熱い部屋の気温に私は上着を脱いだ。脱ぎ際に胸内ポケットから小さな鏡を取り出し、それをワイシャツの袖に忍ばせる。税込み2520円もした高級鏡で、軽量が一番の売りである。それにしても一体これの何処に2520円の価値があるのか、全くわからない。

 しかしそれでも、『重さ』というのが私の超能力にとって最も大事なパラメータであるのだから、それも致し方ない。それから私は掛けていたメガネを外し、置時計の横に置いた。

 成人式のあの日から己の能力についての実験データは既に集め終わっている。その中でこの作戦に最も適していたのが、この鏡なのである。大学に入るまでアルバイト禁止、おまけにお小遣いも無しという地獄のような家族内ルールのせいで、私は鏡一つすらまともに買えないのだった。結局、小学生のころから溜めていた貯金箱をたたき割り、どうにかこのスペシャルアイテムを手に入れたのだった。

 試験開始時間が近づくにつれて、どんどんと受験生の数が増していく。既に300人に達しただろうか。この辺りで用意された席が全て埋まるだろう。私の隣にも黒ぶちメガネの少年が座っている。

 手元には超ハイレベルと書かれた参考書があり、最後の最後まで己の知識を深めている様子だった。


(臆することはない、むしろこれは好都合)


 表情は冷静に、心の中では勝利の笑みを零しながら私は試験開始の時を待った。

 最上王大学の入試問題は化学、物理、英語、数学、現代文の順番に計五種類ある。

 その内、数学、物理、現代文は記述式で、英語と現代文はマーク式となっている。

 私は理系選考なので数学、英語、化学、物理に関しては納得のいくラインナップだったが、現代文だけは全く経路が異なる。聞く話によれば、この大学の文学部の教授陣が途轍もなく有名な方々だそうで、彼らの意向から文理問わず現代文が科目に含まれたそうだ。

 そして、この現代文が途轍もなく難しい。毎年、この科目が最も苦戦し、敗因の理由となっている。


(だが今日は大丈夫)


 なぜなら隣の学生の鞄には大量の小説が入っているのを先程確認したから、歩く図書館でもなるつもりなのか。試験当日だというのに、こんなに大量の本を持ってくるとはにわかには信じられないが、それだけでこの少年が無類の本好きであることは明白だった。

 つまりは現代文においてはパーフェクトに近い力を持っているとの考えが成り立つことになる。もしこれで現代文全く解けません。何てことになれば、とんでもないペテン野郎だ。許しがたい。

 何にしてもこれで準備は整った。

 さぁ、試験の始まりだ。


   ◆


 試験時間は化学60分、物理90分、英語60分、数学120分、現代文150分となっている。この時間配分と順番こそが最上王大学の入試が最も過酷であるという所以ゆえんなのだ。

 化学、物理、英語を終えて昼休憩を挟み、そこから2時間めいっぱい難解な数学の問題にトライさせて受験生の脳を極限まで披露させ、その上で最強に過酷な現代文の問題を挑ませる。

 数学を解いて体内のブドウ糖が極限まで消費された状態にもかかわらず、そこから更に30ページにも及ぶ文章を読ませた上で、問題回答を強要する。

 最後のブザーが鳴った時には、殆どの受験生が廃人と化しているわけである。まさに拷問と呼ぶに相応しい入学試験。

 しかしだからこそ、最上王大学の名に相応しいのだ。この難関を突破した者だけが毎日この校舎へと入ることを正式に許される。

 来年からは私もここの校舎の住人なのだ。


(おっと余裕をかましている暇はない。早く問題を解かなければ)


 私の得意科目は英語と物理と数学。この三科目については問題ない、と思っていたのだが、


(な、なんだこの問題は!)


 まさかの物理で躓いてしまった。


(こんなことが……)


 仕方なく、私は秘策に打って出ることにした。


(本当は現代文までは取っておきたかったがな。ここで見せてやろう)


 いや、見られては困るのだが。見つかれば私の一生に関わる。

 私は細く息を吐き出し、心を落ち着ける。そこから額の辺りに僅かに力を込めながら精神を集中させる。そして、眉間への意識を徐々に頬から首へ、更に肩、腕を伝って手首まで持ってくる。

 正確には手首の辺りに忍ばせた鏡まで。

 そこから鏡の動きをイメージしながら、ゆっくりと力を込める。お尻がきゅっと閉まり、足の指がプルプルと震え出す。


(この感触に慣れるまで大変だったが、もう大丈夫)


 ワイシャツの袖が微かに動く。中の鏡が袖の隙間から覗き出て、俺の横に座る少年の解答用紙を映し出す。私は左手でそっと鏡を包んで周りから見えないようにする。


(おっとメガネを忘れていた)


 軽く肩を擦り、問題に疲れ始めたふりをする。メガネを装着し、自分の解答用紙に視線を落とした。


(おえぇぇっ吐きそう。まじでこのメガネだけは慣れない)


 メガネを掛けて早々に嗚咽しそうになる。さすがに視力5.0を実現する極厚メガネは途轍もない副作用を生じさせる。

 けれど、当然ながら遠くは良く見える。

 本当によく見える。

 くっきりはっきりと見え過ぎるほどによく見える。

 たとえ小さな鏡に映し出された極小サイズの文字ですら、今の私には南の島のコバルトブルーの海のように透き通って見えるのだ。


(やはり、私の作戦は完璧だ。そして配役も完璧)


 私の睨んだ通り、この少年の知力は素晴らしかった。これだけ難解な物理の問題もスラスラと解いていく。私と同じくらいの頭脳を持った少年だ。

 こいつを次の参謀にしてやってもいいくらいだ。

 試験監督に見つからない様にニヤッと笑い、細心の注意を払いながら、鏡を見る→答えを書く、を繰り返す。

 

(重要なことは全く同じ答えを書いてはいけないということだ。それをすれば一発で超常的模倣がバレてしまう。それだけはあってはならない)


 だからこそ私は、二カ月という時間を参考書の答えを自分の答え風に書く能力を高めるために費やしたのだ。


(やはりこの作戦は完璧だ)


 物理を終え、英語を終え、数学を終え、残りは現代文ただ一つ。体力の消耗も著しい。僅かな休み時間の間にも糖分を補給しようと、私は持参したブドウ糖の飴を口に入れた。

 これまでで物理に一回、数学に二回、力を使ってしまった。力を使うにも当たり前のように身体のエネルギーを持っていかれる。

 実験の結果から考えるに、この能力の最長持続時間は最大5分、短時間をスパン的に使い続けても15分が限界だ。休憩を入れたとしても一時間以上の開けなければ休憩の効果は薄い。

 更に微調整を加えるとなると制限時間は少なくなる。単にモノを浮かせるだけではなく、自分のイメージ通りに並進運動や回転運動をさせるとなると負担も大きい。

 特に並進運動では初期動作のオーバーシュートが大きく制御が難しい。その点回転運動であれば、軸方向の力の操作だけなので操作が楽なのだ。

 そういった点から今回は左手の中で鏡を回転させながら答えを映すという方法を採用した。これにより負担を最小限に抑えて、超常的模倣を完成させることが出来る。

 

(しかしそれでも負担は大きいか。これが本番というプレッシャー…………全く、とんでもないぜ)


 現代文の問題文はとにかく長い。

 すべて読み終わるのに4,50分は掛かるだろう。この問題の対策はまず問題文を読むこと、そこから問題文の必要箇所だけを掻い摘んで読んでいくという流れになる。しかし、30ページという総量から必要箇所を見つけるだけでも一苦労。

 私は毎年のようにこの部分で大きな減点を受けてきた。


(今年こそはこの壁を乗り越えて見せるぞ)


 私は鏡を取り出した。決して周りにバレない様に、慎重に、慎重に……、


「ちょっと君、左手の中を見せくれるかい」

「え?」


 真横から聞こえる声。

 気配と共に凶悪な威圧感を感じる。

 一瞬固まってしまったが、私は直ぐにポーカーフェイスを作って左を見た。予想通り、試験監督が立っていた。鋭い眼光を向けながら、まるで悪人でも睨んでいるような顔つきだ。

 

「何ですか」

「左手を見せなさい」

「はい」


 私は手の平を上に向けて左手を開いた。


「隠したものを出しなさい」


 その言葉に私の周囲で小さなざわめきが起きる。私の左手の上には何も載っていない。にも拘らず、この試験監督は隠したモノを出せという。


「何も隠していませんが」

「ならボタン、袖を捲り上げてもいいかな」

「構いませんよ」


 私は直ぐに応じた。試験監督の汚い手が私に触れ、袖のボタンを外して私の白く細い腕を露わにする。

 試験監督の顔は青ざめていた。

 当然だ、何も出てこなかったのだから。


「し、失礼しました」

「時間のロスですが」

「本当に申し訳ございません」


 試験監督はそそくさとその場から離れ、教室から姿を消した。この試験全体を統括する者の所へ向かったのだろう。


(鏡はもう私のパンツの中だ)


 超能力を使えば、こんな事すらも可能となる。

 の人間には決して真似できない。私だけが出来る技。

 カンニング? 

 いや違う。カンニングとは一般人が行うテストにおいて、現実的な手段で取られた不正の事だ。対して、私のこれは超常的模倣。

 どの問題用紙にも、解答用紙にも、超能力を使ってはいけませんという記述はないし、この場を取り仕切る試験監督の口からも超能力の『ちょ』の字すら聞こえてこない。

 つまりは不正ではない。

 ならばなぜ、私は鏡を隠したのか。それはこの力を公にするのはまだ早いと考えたからだ。この力を人前に出すのは、私が世界を征服した時と決まっている。


(フハハ、フハハハハハ、フハハハハハハッハハッハハハハ)


 試験終了後、私だけ特別に試験時間延長の権限を与えられたが、私はさらっとその権限を放棄して、帰路についた。


 それから二週間近くが経過した頃、私の自宅に最上王大学入学試験の合格通知が届いた。

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