第1話「私、力に目覚めました。」
私が自分の超能力に気づいたのは、二十歳の成人式。
ようやく法の目を気にせずに酒に舌鼓を打てるようになった我々は、その事に多いに酔いしれ、煽るように酒を飲んでいた。ビール、ワイン、酎ハイ、日本酒、焼酎、シャンパン、カクテル、ブランデー、ハイボール、電気ブラン。
回りのバカどもはバカ騒ぎし、最後にはトイレに駆け込み、無様な悲鳴を上げていた。高名な私はといえば大部屋隅の席に陣取り、同士と共に日本酒を啜っていた。
「最近の調子はどうだい、参謀」
「レポート地獄でござんすよ、局長」
「なに、参謀よ。それはいかんな、レポート出した教授に脅迫文を送らねば」
「迅速に任務達成求む。それより局長こそ浪人生活二年目を迎えたが天命はまだ来ずですかな」
「神はまだ私を束縛したいようだ。大学という学びの社へ行く前に身につけるべき力が隠されているのだろう」
「いやはや、さすがは我々とは生命の起源を異にする局長ですねぇ。とはいえ、マジでやばいですぞ。浪人三年目はマジで洒落にならんですよ」
「そんなことはわかっている。だからこそ、今度は!」
「もう少し受ける大学のレベル下げたらどうですかな?」
「いやだめだ、私が行くのは
「そうっすか、じゃあまぁ頑張ってください」
とても大きなため息をつき、我が参謀は席を立った。自分のグラスと小皿を手に別の席へ移動しようとする。
「おい、どこへ行く」
「あっちの席っす」
「なぜだ」
「だってあっちの方が女の子多いし」
「お、お、女の子だと。何をバカな。お前はそれでも参謀か」
「そういう設定もこれっきりにしてもらっていいですか。今日から大人の仲間入りなんですから、これ以上はついていけないんで、それじゃ」
このクソ野郎の言ってることを理解するまでしばらくかかり、その間、私は無心で日本酒を口に運んでいた。不意に乾杯の時からテーブル置かれていた枝豆が目に入り、食べ残された二粒入りの皮をつまみ上げた。片方だけが食われている。どこかの
「食べ物は大事にしないか」
つぶつぶと言葉を吐き捨てながら残りの粒を皮の上からつまみ、人差し指と親指を器用に押して豆を射出した。当初の予定では大きく開いた口の中に豆がジャストインするはずが、どういうわけか豆に回転がかかり起動が大きくねじ曲がった。
豆は私の頬に軽く当たり、来た方向とは逆の方に弾かれた。
まずい、と手を出すも指の間をすり抜けて、豆は床の上に一直線。重力加速度の影響でみるみる内に速度を上げ、床に接近していく。
しかし、私の鋭すぎる動体視力にはその動きがスローモーションのように見え、まるでその瞬間だけ時が圧縮されたようだった。
(まめぇぇぇええええええっ!)
私は叫んだ。誰にも聞こえない私だけが聞こえる声で。
その時だ。
私は世にも奇妙な現象を目撃する。
落下していた豆が空中で止まった。そして、リモコンの巻き戻しボタンを押した時のように、同じ起動を描いて枝豆が手の位置まで戻ってきたのだ。私は枝豆をつかみ、すぐさま口に放り込んだ。
「ふぅ、三秒ルール三秒ルール。腹は壊さない。中々の塩加減だな」
美味な豆をこれでもかと味わった。
(ん、いやまて、今何かとんでもないことが起きなかったか)
思考が一度停止し、再び凄まじい処理速度で動き出す。つい十数秒前に起きた超常現象らしき映像記憶を脳内で呼び起こす。
単なる見間違いか。
それとも元同士が私の前を離れたことによるショックで幻覚を見たか。
それともそれとも私の頭がおかしくなったのか。
「あいつ、ちょっと頭ヤバくね」
という話し声を私はこれまで何度も耳にしている。クラスの奴等は私のいる前でわざと聞こえるようにそう言うのだ。
私の頭がおかしい。そんなことは断じてない。そうなると、見間違いか、ショックによる幻覚の二択となるが、あの程度の志しか持たぬ元同士と別れたところで、私には何の影響もない。今となっては同士と呼ぶことすら嫌悪感を抱いてしまう。奴は負けたのだ。神から授かった指名を無視し、下界に逃げたのだ。何の使命も持たぬ凡物に成り果てた。
そんな奴がいなくなったところで何が変わるという。むしろ私を下界へと引きずり込もうとする厄介者がいなくなって清々したわ。
ならば、最後に残るのは見間違いのみ。
私は酒を飲んでいて、ある意味条件を満たしているではないか。
豆は最初から手に載っていて落ちてなどいなかった。それが答えだ。ある意味これも、幻覚の一種だが。
どうやら酒をのみ過ぎてしまったらしい。私としたことが。
「豆め。私をたばかりおって」
また枝豆の房を取り、豆を口に放り込む。
日本酒は悪酔いしないと誰かが言ってた気がするが、どうやら真っ赤なうそだったようだ。私は更に枝豆を頬張り、籠の中を空にしてやった。
私の周りにはもう誰も座っていない。揚げ物が大量に載せられた大皿から今度は唐揚げを二つ取り、二ついっぺんに口に放り込む。はたから見れば、頬が膨らんだハムスターのような顔になっているだろうが、今私に注目するものなど誰一人いない。つまり問題はないわけだ。
誰からも箸が伸ばされず、冷たくなった可哀想な揚げ物を私は優しく口に運ぶ。冷めてもうまい。他の連中は酒をガソリンに大暴れで、耳が痛くなるほどの大声が部屋に響いている。沸き上がる笑い声も耳障りで仕方がない。
「ふぅ、これだから低能な連中は困る」
騒ぎの一番大きい場所に目をやると、昔クラス一の人気者だった奴が立ち上がって何やら一気飲みをやろうとしていた。何という名前だったか、思い出そうとしても出てこない。そもそも覚える気さえなかったが。
軽快な動きでジョッキを大きく傾け、喉を鳴らしながら泡立つ液体を瞬く間に飲み干した。
「「うぇーいっ!!!」」
皆が叫ぶ。
(馬鹿め、あんなことをして何になるという。アル中になってぶっ倒れろ。そのまま救急車で運ばれてしまえ)
冷ややかな視線を送りつつ、私はまた唐揚げを頬張る。まだ騒いでいる人気者男子が目障りだったので、視線を斜め下に流すと、そこで美しい女性と目が合った。
(あの子は確かクラス一美人でモテモテだった、
思わず心臓が弾み、直ぐに視線を逸らしてしまう。何という失態であろうか、これほどの距離感の中で偶然にも目が合ったのに、その最高の時間を一瞬にして捨て去ってしまうなど。こんな愚行が許されていいのか。
否。
美しい女性を前にそれは断じてあってはならない。
私は覚悟を決めて再び彼女の方へと視線を戻した。
彼女はまだ、こちらを見ていた。
今度は完全に焦点が合い、彼女がハッキリと私の方を見ていることが分かる。彼女は小さく会釈をして手を振ってきた。こんなことがあっていいのか。私は直ぐに右手の平を彼女に向けて左右に揺らした。
しかしその直後、私と彼女の間に一人の影が滑り込み、彼女の姿を遮ってしまう。その男もまた手を振っていた。
違う、彼女が手を振っていたのはこの私だ。断じてお前ではない。
よく見るとその男は、中学時代幾人もの女と関係を持っていたクラス一のモテ男だった。一言でいえば女の敵であり、男の敵でもある。そんな男が今、愛しの潤美さんに近づき、そして横の席を強引に陣取った。
どこまで横暴な男なのか。
あんな男がいるから世の中に怒りや恨みが生まれていくのだ。
「……いずれ、神からの天罰が下るだろう……」
また唐揚げを一つ二つ口に運ぶ。続いてポテト、軟骨、エビせん、また唐揚げ。
日本酒を啜り、ゆっくりぼやける意識に気持ちのいい眠気が続く。テーブルに目をやると、全く同じ形のとっくりが五つほど並んでいた。全て私が飲み干した。
(もう、意識も限界だ……)
私は壁の角にもたれ掛かり、眠りについた。
◆
肩が優しく揺らされ、瞼が震えながら少しだけ開いた。ぼんやりと誰かの顔が見える。その顔がはっきりとするまで、数十秒かかった。
しかし、それが誰なのか分かった時、私は身体を飛び上がらせた。
「ま、ますみさん!」
「やっと起きた。皆みんな出ちゃいましたよ」
彼女の言葉を聞き、周りを見回すと確かにもう誰もいなかった。もし仮に潤美さんが私を起こしていなければ、私はそのまま置き去りにされていただろう。
私は女神に救われた。
「起こしてくれて、どうもありがとう」
「こちらこそありがとうございます」
「え?」
「だって、名前覚えててくれたんでしょ」
彼女の笑顔はこの世の闇を全てはらえるほどの力がある。間違いない。ずっとこのまま見ていたい、そうはっきりと思えるほどに明るく美しい。
まさに太陽。
「たぶん今頃、二次会の話になってると思うから、濃緑さんも早く下に行きましょう」
「いえ、私はいいです」
「どうして?」
「いいんです。私にはやるべきことがあるので」
そもそも何が嬉しくて二次会などに行かなければならないのか。元参謀ももういない。私の帰宅の一択だった。
「早く行ってください。私は一人で帰りますから」
「分かりました。じゃあさようなら」
彼女はまた手を振って、去ってしまった。
私も一緒に帰ります、という言葉を期待していたが、そんな言葉など聞けるはずもない。己の使命すら果たせぬ私に何が出来るというのか。
私は一人で席を立ち、部屋の出口へと向かった。
途中、足元で物音が聞こえた。見ると、床に落ちた箸を蹴り飛ばしていた。ころころと転がる割りばしを追って、一歩進む。腰を曲げ、右手を伸ばした。
「くっ」
腰が痛い。毎日一日中机に座っているせいだ。最近は慢性的な腰痛に悩まされる日々。しかしそれも今年で終わる。最上王大学に合格し、私は使命を全うするのだ。
(にしても腰が痛い。手を触れずに箸が取れたらどんなにいいか)
私はただ箸が勝手に浮かび、手元にやって来るのを想像しただけだった。
たったそれだけ。
だが、それは私の目の前で現実になった。地球上にいる限り、万物に作用するはずの重力を無視して、箸は独りでに浮き上がり、私の手元までやって来た。
「こ、これは……」
見間違いではなかった。幻覚でも錯覚でもなかった。確かに枝豆は浮いていたのだ、この私の力によって。
その日、力は目覚めた。
非現実ではない。夢ではない。現実のものとして、私の中に秘められていた力が目を覚ましたのだ。
『起こり』とはいつやって来るのか誰にも分からない。多くの者はそのきっかけすら気付くことなく素通りしてしまう。自らの未来を決定づける出来事を、無知ゆえに見抜けないのだ。
だが私は違う。
私は気付いた。
私は自らの運命に手を掛けた。
この時、この瞬間から私の新たな人生が始まる。
この世の誰も体現したことのない世界をこの私が作り出す。
こうして、私の超能力研究所設立計画は始動したのだった。
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