第610話


「・・・っ」


 視界に映るルチルは揺れ、未だ思考には不快感が残る。


(仕方ないな・・・)


 今回は、ルチルの免許皆伝の模擬戦だが、俺は目前に控えたグローム戦に向けて、自身の力を測る機会と思っていた・・・。


「闇の支配者よりの殲滅の黙示録」


 然し、凪の前でこれ以上無様な姿を晒す訳にはいかない。

 俺は奥の手である魔法を詠唱した。


「っ‼︎」


 俺が闇の支配者よりの殲滅の黙示録の詠唱を行うと、ルチルは焦った様に地を蹴り駆け出す。


「はぁぁぁ‼︎」


 一直線に駆けている筈のルチルだが、未だ視界の揺れている俺には、三人のルチルが疾風の如き速さで駆けて来ている様に見える。


「せっ・・・」


 気合いを込め、拳撃を放つ体勢に入った三人のルチル。

 通常なら、ルチルの超高速の三方向からの拳撃など恐怖の対象でしか無いが・・・。


(まぁ、問題無いな・・・)


「いやぁぁぁーーー‼︎」


 三人のルチルから放たれた拳撃。

 俺はどれが本物かは分からなかったが・・・。


「・・・」


 其の全てを掌打で容易く叩き落とす。


「っ⁈」

「もう終わりか?」


 驚愕の表情を浮かべながらも、徐々に重なっていくルチルに、淡々と問い掛ける俺。


「くっ・・・‼︎まだっ‼︎」

「助かるよ・・・」


 ルチルの藍色の双眸が輝くのを見て、感謝する様な声を送った。


「此処で終わられたら、まるで俺が悪者みたいだから・・・」

「っ‼︎」


 重なっていくルチルは、遂に二人になり、その二人も肩と肩迄重なり、俺がゆっくりと剣を構えると、ルチルは其れをさせない様に構えに入る。


「はっ・・・」

「・・・」

「ぐっ⁈」


 ルチルの踏み込む足首へと蹴りを叩き込み、一瞬だけ動きを止め・・・。


「そら‼︎」


 乱暴に首襟を掴み投げ捨て・・・。


「はぁっ‼︎」


 転がるルチルへと、地面に蹴りを放って抉り、泥と氷をその顔面へと飛ばすと同時に、駆け出す。


「きゃっ‼︎」

「・・・」


 先程の俺と同じ様に両腕で頭部を守る様に守りを固めるルチル。

 俺そのルチルの頭部側面へと、森羅慟哭の詠唱を結んだ掌を示した。


「っ⁈」

「終わりだな?」

「・・・」

「余計な事を考えるな?イエス以外は求めていない」

「・・・参った。降参だよ」

「良し」


 静かに告げた俺に、ルチルは固めた防御で表情は確認出来なかったが、悔しそうな声で敗北を認めて来たのだった。



「本当に非道いよっ」

「そう言うなよ。ルチルが強くなってる証拠だろ?」

「結局、完敗だけどねっ」

「・・・」


 不満気に頬を膨らませるルチルだったが、其処は変に否定しても仕様がない。


(ルチルに敵わない位の実力では、グロームには瞬殺されるだけだし、ルチルに完勝出来るのは、グロームに挑戦する最低条件のレベルだろう)


「ふむ。然し腕を上げたの」

「ええー‼︎」

「そう、むくれるでない」

「・・・」


 自身の敗戦にも納得した様子の師匠であるポーさんに、ルチルは一層表情に不満の色を強くした。


「とにかく、試験は合格じゃ」

「・・・」

「どうした?嬉しく無いのか?」

「免許皆伝は嬉しいけど・・・。でもなぁ・・・」


 免許皆伝を告げられてもルチルの表情は晴れる事は無く、いじけた様に地面を足でいじっていた。


「不満が有るのは良い事じゃよ」

「・・・」

「其れに誠実に応えていけば、お主はより一層強くなれるのじゃから」

「師匠・・・」

「これで、儂も安し・・・」

「出来ないよっ」

「うむ?」


 表情を一転。

 しっかりと顔を上げ、ポーさんの言葉を遮ったルチル。


「まだ、僕の道場は開設していなしね?」

「・・・」

「完成した暁には、師匠に弟子達の指導を依頼したいからね」

「ふむ・・・。お主の健啖ぶりじゃと、いつ資金が貯まるかの?」

「そうだね・・・。じゃあ、師匠には長生きしてもらわないとね?」

「・・・ほっほっほっ、そうじゃの」


 可笑しそうに笑ったポーさん。

 その瞳は遠い明日へと向けられていたのだった。

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