第553話
「ねえねえ?」
俺の指に絡める細く可憐な指先から穏やかな熱を発しながら、尻尾を目一杯振る犬の様な視線で俺を見上げて来る救世主。
「もう、良いだろ?」
「え〜‼︎何で〜?」
「・・・」
俺が勘弁してくれという表情で応えると、不満げに繋いでいた手を振って来て、俺はそんな反応に一気に疲労感を覚えたのだった。
(はぁ〜、こんな事になるとはな・・・)
俺達が先程迄居た場所。
其処が謁見の間なのか、教祖の部屋だったのかは分からないが、其処から出発して既に30分程の時間を、リアタフテ家の屋敷は勿論、サンクテュエール城よりも広い通路を歩いていた。
救世主はその間ずっと、俺が此処に来てからの話を聞きたがり、何か気になる部分があると、一に対して二も三も問い掛けて来たのだった。
(ほぼ全てに対してだからなぁ・・・)
早口で捲し立てる様に質問を続ける救世主に、何がそんなに興味あるのか呆れながらも、其れ等全て答えてやるお人好しな自分にも、また呆れたのだった。
「でも、此の世界に来てからの俺の行動は見ていたんじゃないのか?」
「え?流石にそんなには無理よ?」
「そんなには・・・、ね」
流石にその発言には気になる部分があるが、其処を今更ツッコんでも仕方ないだろう。
「重要な未来を決めるであろう場面は確認して、その都度出来る限りの対応はアポーストルがして来てくれたけど」
「アポーストルが?」
「ええ。彼は世界中を旅して、最善の未来を目指して活動しているから」
「・・・」
正直、信じがたい話ではあるが、導きの石の件等もあり、完全に否定も出来ない内容だった。
「良いな〜」
「ん?アポーストルがか?」
「ええ。勿論、大変な事をして貰ってる申し訳無さもあるんだけど、私も旅をしてみたかったな〜」
「・・・」
そう言って、視線を進行方向の先、遠くへと向ける救世主。
(してみたかった・・・、かぁ)
救世主の言葉に、内容よりも口振りの方が引っ掛かった俺。
だから・・・。
「すれば良いじゃないか?」
「・・・ん?」
「・・・」
「どうかしたの、司?」
態と聞こえない振りをして、恍けて来る救世主。
(此奴・・・、何を?)
ただ、救世主が隠している内容が何かは全く想像が付かず、救世主に倣うかの様に真っ直ぐと前を向き歩を進めていく。
「司は此の世界に来てから幸せだった?」
「ん?そうだなぁ・・・、あぁ」
「そう、良かった」
「・・・」
何気なく答えたが、救世主と歩く間に話した内容のお陰で、その答えは自然と口に出来たし、嘘偽りの無い答えだった。
(まぁ、せっかくローズとアンジュが産んでくれた孫を、親に見せてやれない事は残念だがな)
「お前はどうなんだ?」
「え?私?」
「あぁ。ザブル・ジャーチに来た事は幸せだったのか?」
「・・・」
不意に俺からの質問を受けた事で、救世主は進めていた歩みを止め、深く俺の言葉を飲み込み、全身を巡らせその答えを探し求める様な仕草をみせ・・・。
「凄く不幸で・・・」
「・・・」
「それで、凄く幸せだったわ」
「・・・そうか」
分かる様な分からない様な答えを示して来た救世主。
然し、其の答えには続きがあり・・・。
「此処に来てからは、ずっと今日を待つ日々だったのよ」
「今日を?」
「ええ。司に会える今日をね?」
「まぁ、其れがお前の目的を果たす為に必要なものだろうからな」
「違うわ」
「え?じゃあ?」
「司は私に自由をくれた人だもの」
「何を・・・?」
「だって、司が創造主を眠りに就かせなければ、私は此処には来れてないから」
「っ⁈そんな・・・」
衝撃的な内容を、サラリと告げて来た救世主。
「ちゃんと届いていたのよ?司の妄想の想いは・・・」
「そんな事が・・・」
「あるわ。想いの強さこそが、妄想で形成されている楽園での強さだから」
「・・・っ‼︎それにしたって、お前が楽園に居たのは千年単位の昔だろ?俺が夜中に外を駆け、守人達と闘う遊びに耽っていたのは、二十年位前だぞ?」
「此の世界と司の住んでいた世界では、時間の流れが違うから」
「でも、俺やケンイチは此の世界に来てからも、自然な時の進みを体感している」
「其れは、此の世界に身体が適応しただけよ」
「・・・っ」
俺からのツッコミに、俺の知り得ない事実で答えて来る救世主。
(そんな言われ方をしたら、否定のしようがないだろう・・・)
そんな事を心の中で漏らした俺の視界の先。
「ん?あれは?」
「あ〜あ、着いちゃった」
「え?」
其処には、顎を上に向けなければ頂点が見えない程の高い扉があり、どうやら其処が救世主の目的の場所だったらしく、永遠と続きそうだった長い通路と、其れを歩く救世主との時間の終わりを、唐突に迎える事になった。
「彼処は?」
「・・・入れば分かるよ」
そう言って救世主が前方に右腕を伸ばすと・・・。
「っ⁈」
人力なら開けるのに大人の男十数人は必要そうな扉が、その巨大さに見合った腹に響く低く重い音を響かせながら、扉が開いていった。
「あれは・・・」
「・・・」
「ベッド?」
扉の開いた先は、これ又、無限に広がっていると錯覚してしまいそうな、純白の壁に囲まれた広大な部屋が広がっており、其の中心に、たった一つ鎮座していたのが、壁の色に溶け込んでしまいそうな純白のベッドだった。
(部屋に広大も変だが、それも仕方ない位広いなぁ)
そんな事を思いながらも、俺をこんな所に連れて来てどうするつもりだと考える。
「ベッドっていえば、する事は一つしかないよね?」
「っ⁈な・・・?」
一瞬だが、救世主の言葉に変な想像をしてしまった俺。
だが、自身の右掌に伝わって来た感覚で、其れは刹那の間で打ち消された。
「お、おいっ‼︎」
「・・・何で、着いちゃったんだろう」
「いや、お前‼︎そんな事より、お前の手・・・⁈」
先程迄、穏やかな熱を発していた救世主の掌は、突如として信じられない位冷たくなり、一切の生命の熱を感じさせない。
「うん。私の終着点に着いたからね」
「な・・・?」
終着点。
救世主は俺の眼を一切見ずに、そんな事を告げて来たのだった。
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