第507話


「司っ‼︎」

「・・・アクア」


 背後から掛けられたアクアの声は、まるで耳元で寝坊を起こす様な声で、俺は首だけを動かし、半目だけ振り返った。


「直ぐに戻って来るわよね?」

「・・・」

「・・・っ」


 質問に簡単には答えない俺に、アクアの表情は心配そうなものに変わった。


(ヴァダーから何か聞いたかな?)


 ヴァダーとファムートゥ王家の間には、俺達には分からない特別な関係が有るだろうし、俺とのやり取り位なら簡単に教えてもおかしくは無いだろう。


「ヴ、ヴァダーって本当に勝手ねっ‼︎」

「・・・そうか?」

「ぅ・・・」


 ヴァダーへの不満を口にする事で、共感を得ようとしたのかは分からないが、俺の応えが淡々としたものだった為に、アクアは言葉に詰まってしまった。


(まぁ、アクアの性格上、本当にただヴァダーの不満を言いたいだけの可能性大だろうが・・・)


 目の前で、其のタンザナイトの双眸を不安に曇らせ、俺へと必死に縋らせて来る少女。

 この少女は、その歳の頃の同性なら多くの者が持っていそうな其れを、持っていないのだった。


「直ぐにかは分からない」

「え・・・?」

「でも、必ずは戻って来るさ」

「司・・・」

「彼奴にはまだ聞き出さなければいけない事が、山程有るからな」

「・・・うんっ‼︎」


 俺の答えに納得した様子のアクア。


(今回の帰還は国王への説明も面倒だし、手早く終わらせるとは言えない内容だからなぁ)


「とにかく、世話になったな。ありがとう、アクア」

「ううん。うふふ」


 やっといつもの調子を取り戻したらしいアクアに、俺は内心安堵していたのだった。



「やあ、司君」

「え?デュック様?」

「久し振りだね」

「はい。ご無沙汰しています」


 此処は、国王より指定された待ち合わせ場所で、衛兵により馬車で連れて来られたのだ。

 位置的には王都の外れに有り、周囲を木々に囲まれているのだが、優しい陽当たりのある場所で、建っているのは、豪華さは無いが誠実な仕事の見て取れる小さな屋敷だった。


(そんな所に、突然のデュックってのは、どういう話なんだろう?)


 今回、何故謁見の間を使わない事になったかというと、一つは話の内容、そして、もう一つの理由は・・・。


「ああ。ブラート殿?だったかな?」

「えぇ。ブラートさん、此方は・・・」


 同行者にブラートが居るからで、もうかなり前の事だが、ディアを捕らえた時に謁見の間に入ったのは、入念な手続きと、念入りな根回しを行っていたからで、今回は其れを行うよりも別の場所でという話になったのだ。


「ふっ。よろしく頼む」

「ああ、此方こそ」


 俺がブラートとデュックに互いの事を紹介すると、二人は落ち着いた様子で握手を交わしていた。


「そういえば、娘が世話になっている様で・・・」

「言う程の事はしてないがな」

「いえ、とんでもない」


 きっと、ミニョンかフレーシュが手紙でも書いているのだろう。

 デュックはブラートやシエンヌに訓練を受けている事を知っていたらしい。


「筋は良いと思うぞ」


 ブラートの褒める言葉にデュックが軽い笑みで応え様とすると・・・。


「何方もな」

「・・・本当にありがとうございます」


 デュックは深く礼をし、その表情はいつもの彼と比べても、より優しいものになっていたのだった。


「そういえば、此処は・・・」

「ああ。陛下に言われて、私が会談場所の準備をする事になってね」

「そうでしたか、それは、お手数を・・・」

「はは、構わないよ」


 軽く笑みを浮かべ、俺へと手を振って来たデュック。

 然し、直ぐにその手で壁を触れ、懐かしそうに撫でていた。


「・・・」

「デュック様?」

「ああ。すまないね」

「いえ、私は全然・・・」


 此処が何処かも分からないし、何故彼が俺に謝って来たのかも分からない。

 ただ、ミニョンにも、フレーシュにも世話になっているし、何よりこの人にも優しく扱って貰っている為、デュックの懐かしさの中にある、微かな寂しさを問わずには居られなかったのだ。


「此処は、私の個人所有の屋敷なんだ」

「そうでしたか・・・」


 それが何故・・・。

 そんな俺の疑問は、デュックの続けた言葉で直ぐに答えが出た。


「フレーシュの母親の療養所として使っていたね・・・」


 そう言って、彼は窓から入る陽射しに、目を細めていたのだった。

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