第6話

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 夢の中、俺は真夜中の森の中を駆けていた。

 境界線の守人、奴らの追撃から逃れる為だ。

 『創造種の楽園の禁忌』プライスハジヂェーニイ・ウトーピアを犯し、追放された我が半身と、付き従う俺を奴らは悠久の時の中で追い続けていた。

 俺は不気味に輝く魔眼で奴らを捉え、そこから生み出されるのは、嘗て自らを産み出した神々をも永きに渡る眠りの時へと送った俺の最強魔術である。

 これを喰らえば、奴らに待つのは消滅の運命だけである。

 俺は奴らが消え失せるのを確認し、息を整えながら、そっとコートの胸ポケットを撫でた。

 そこに眠るのは我が半身。

 勿論これは俺の妄想に過ぎなかった。

 俺の実家は程良く田舎だったので、ロケーションは最高でこの手の妄想に良く映えた。

 何故これが夢と解るのか?

 それは俺の姿にあった。

 若く見られる事の多い俺だが、流石に十代の頃の自分と、アラフォーの今の自分との違いは意識させられた。

 この歳になれば皺も増えるし、何より少し頭頂部が寂しくなっていた。

 何故今こんな夢を見るのか?

 やはり、昨日の婚約騒動で歳を意識させられたからだろうか?

 夢は記憶の整理と言われる。

 昨日あった出来事が、この夢を見させているのだろう。

 そんな風に自分を納得させた俺に、現実から呼び声が掛かった。

 何時迄も眠っていても仕方ないので、俺はその声に応える事にした。


「・・・司様、よろしいでしょうか?」


 目を覚ますと、ドアをノックする音と、アナスタシアが部屋の前から俺に呼びかける声が聞こえてきた。


「あぁ、・・・入ってくれ」


 まだ少しボーとする頭で俺は、応えた。


「失礼します」


 部屋の中入って来たアナスタシアは、バケツ、洗面器、タオル、櫛、コップ、歯ブラシ等を載せたカーゴを引いていた。

 それを窓際の鏡の前に止めると、ベッドの方に来て、俺に一礼をした。


「おはようございます、昨晩はゆっくり休めましたか?」

「ああ、何とかね」

「そうですか、それは良かったです」


 良かったと言いつつも、アナスタシアは眠そうな表情が動く事は無かった。


「朝食の準備が出来ましたので、顔を洗って準備をして下さい」

「わかった、ありがとう」


 そう俺がお礼を口にすると、アナスタシアは一礼をし、部屋の外へと出て行った。

 それを確認した俺は、まだ半分寝たまま鏡の方に移動した。

 アナスタシアの用意してくれたカーゴから、歯ブラシを手に取り歯を磨いた。

 口の中を濯ごうとコップを手に取ると、既に水が注がれており蓋がされていた。

 洗面器の水は丁度いい温度で、俺は顔を洗い、少しスッキリした頭で、寝癖を直そうと髪を濡らした鏡に目を向けた。


(そういえばコンタクトしたままだったなぁ・・・)


 そう思い出し、外そうと鏡を見ると俺の右眼は普通の黒色だった。

 久々の装着だったので勘違いして逆に着けたかと思い確認してみたが、そこにも黒い瞳しか無かった。


(昨日のドサクサに紛れて、いつの間にか落としてしまったか?)


 俺は気にしていても仕方がないので、髪のセットを始めた。

 俺は昔から寝癖がつきやすく、髪のセットは毎朝大変な作業だった。

 しかも最近はその度に櫛に残る残骸が俺の自尊心までもむしり取っていった。


「ん?」


 だが今朝はいつもと少し状況が違った。

 アパートの鏡は自身を傷つけない為に、なるべく薄暗い場所に設置し、頭頂部の肌色が目立たないようにしているのだが、今日は窓から入ってくる朝陽に照らされた俺の其処には、在りし日の様にふさふさの毛が黒々と輝いていた。

 俺は日々続けて来た育毛シャンプーの効果が、遂に出てきたのかと一人で納得し少し濡れた目尻を拭った。

 最後の確認に、ハッキリとした頭で鏡を見ると違和感に襲われた。

 確かに俺は、歳よりは若く見られる事も多いし、昨日は年下であろうリールからも子供扱いを受けたりもしたが、それでも既にアラフォー、大人の男である。

 だが鏡にはどう見ても十代のせいぜい中学生くらいの子供が写っていた。


「あ、あれ?」


 俺は焦って後ろを振り返り誰もいないか確認するが誰も居らず、もう一度顔を洗ってタオルで拭き鏡を確認したがそこには先程までと同じ顔しかなかった。

 しかも俺はその顔に見覚えがあった。

 其処にあるのは中学の卒業アルバムの中の自身そのものだった。

 ・・・これって、召喚の影響なのか?

 そんな感じで俺が困惑しているとドアがノックされ、外から声がかかった。


「司様、よろしいですか?」

「あ、あぁ・・・」

「何か不備ががあったでしょうか?」


 どうやらアナスタシアは、俺が中々出てこない事に心配して声を掛けてきたみたいだ。

 不備どころか彼女の準備は心尽くしに溢れていたのだが・・・、ただ俺は今の状況を他人の目からも確認して欲しいと思い彼女を呼んだ。


「いや、大丈夫だよ。でも、ちょっと良いかな?」


 俺の呼び掛けに彼女は部屋に入って来た。


「どうかされましたか?」

「いや、ちょっと聞きたいのだけど・・・」

「はい?」


 う〜ん、とは言ったものの、どう聞いたものやら?

 彼女は召喚される前の俺の事など知らない訳だし、何より今の姿を見て特別な反応が無いという事は、昨晩この家に来た時点で既に若返っていたという事である。

 それに今まで召喚された人間が俺と同じ様な状況になった聞くのも、少し危険な感じがした。

 いまのところ、この家の人間からは明確な俺への敵意は感じられないが、大切な一人娘の婿にという人間である。

 実は俺が四十前などと判明した場合どういう対応に出るかは保障は無かった。

 子供がいない俺でも、自分の娘が自分より年上の冴えないおっさんと結婚などとなったら冷静でいられるとは思えなかった。


「・・・司様?大丈夫ですか?」

「えっ、・・・おわっ、・・・あぁ」


 あまりに俺が考え込み固っまっていたのか、いつの間にかアナスタシアが心配そうに俺を覗き込み声を掛けてきた。

 俺が鼻と鼻が触れそうな距離まで近づいた彼女に驚いて、後ずさりながら返事をすると、一見冷静に見える彼女のケモ耳がピクッと動くのが確認出来た。


(やっぱりここは異世界なのだろうなぁ・・・)


 その光景に俺は改めて今の状況に納得をした。


(こうなってしまったのは、何らかの不思議な力なのだろうし受け入れるしかないのかぁ・・・)


 そんな事を思いつつケモ耳を眺めていると、そこから出ている不思議な力に引き寄せられた。


(うわぁ、モフモフだなぁ)


「きゃっ‼︎・・・、ちょっと司様、何をされるのですかっ?」




(そうだなぁ、婚約ってのも良いのかもしれないなぁ・・・。どうせ元の世界に戻ってもそんな縁は無いし、この姿をどう説明すれば良いのかも解らないし・・・)


「あんっ、・・・、ダ、メです・・・。う、っうん、赦してくださいっ、んっ・・・」

「ハッ・・・、え?」


 色っぽい吐息に、トリップから復帰すると、そこには首筋には汗が伝い、身を捩り、膝をガクガク震わせ、今にも崩れ落ちそうになっているアナスタシアがいた。


「ど、ど、どうしたんだ?アナスタシア‼︎」

「ん〜、・・・、はっ、はっ、はっ・・・」


 俺が慌てて肩を支えると、アナスタシアは激しく肩を上下させ、荒い呼吸で必死に息を整えていた。


「大丈夫か?」

「・・・んっ」


 俺が顔を覗き込みながら声を掛けると、アナスタシアはキッと恨めしそうに睨んできた。


「どうかしたのか?」

「ど、ど、どうかしたかですって‼︎あんな事をしておいて‼︎」

「ん?あんな事・・・?」


 あんな事とは何だろう?

 昨日会ったばかりとはいえ、この家中ではかなり落ち着いた人物だと思っていたアナスタシアの取り乱した態度に、俺は何をしたか思い当たる節が無かった。

 確か彼女のケモ耳を眺めていて、何か引き寄せられる感じがして、そこから記憶が曖昧だった。


「本当に、あんな辱めを・・・」

「えっ、辱めって?」

「うぅぅ、何でもないです‼︎」


 アナスタシアは、胸を抱きしめながら背中を向けてしまった。

 だが辱めかぁ・・・?

 何をしてしまったか思い出せないが勿体無い事を・・・、あっ、いやとんでもない事をしてしまったようだ。

 アナスタシアは呼吸こそ落ち着いたが、かなり動揺しているようだし、流石に何をしたかは解らないけど、今後の事を考えると謝った方が良いだろう。


「アナスタシア、本当にごめん、悪気は無かったんだ」

「・・・」

「申し訳ない」

「・・・」


 アナスタシアは顔だけこちらに向け、恨めしそうな瞳で俺をジッと見た。

 俺はもう一度謝り深く頭を下げアナスタシアの返事を待った。

 やがて、アナスタシアは深い溜息を吐き、しょうがなさそうな声で喋り出した。


「司様、もうよろしいですわ」

「あ、ああ」


 俺が申し訳なさそうな表情で顔を上げると、そこには既に落ち着いた様子のアナスタシアがいた。


「本当にすまない・・・」

「もう構いませんわ。司様も年頃ですしそういう事に興味があるのでしょう・・・。大人の私が隙を見せるべきではありませんでしたわ」

「い、いやぁ・・・」


 まあ、とにかくアナスタシアに許して貰えたのだし良しとしよう。

 ・・・俺は本当に何をしたんだ?

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