第2話
当たり前の事だが婚約と結婚は違うものだ。
婚約とは結婚の約束をする事、結婚とは夫婦になるという事だ。
そんな事は39年間彼女無しだった俺にもわかる事だ。
そうだ、そもそも付き合った事も無くいきなり結婚なんて・・・、ましてや相手は初対面で結婚なんて意味がわからず困惑しているとローズの背後から声が掛かった。
「お嬢様、召喚魔法は成功したのですか?」
「ええ、『アナスタシア』当たり前でしょう?私を誰だと思っているの?」
ローズは俺と合わしていた目線を外し腰を上げ、声の主、確かアナスタシアと言っただろうか?そちらに向かい得意げに返事をした。
・・・そのアナスタシアだが、この容姿に俺はいよいよここが異世界なのだと感じた。
少し眠そうに感じる瞳だが充分に美人と呼ぶにふさわしいだろう。
スラリとした長身が映える姿勢の良さ、その身を包むのは深い青色のメイド服と純白のレースの施されたエプロン、腰まである長く艶のある髪を一本の三つ編みで纏め、何よりその上には犬のケモ耳が鎮座していた。
(ああ、触りたい、触りたい触りたいっ‼︎)
不思議なもので、俺はケモ耳属性など無いと思っていたのだが、今この状況で目の前にあるそれをどうしてももふもふしたくなった。
そんな危ない欲求を何とか抑えようとしていると、アナスタシアが口を開いた。
「そうですか、それは何よりです。もし失敗して婚約者様がミンチ的な物に変わり果ててしまったら、後始末が大変ですから・・・」
ミ、ミンチ・・・?今かなり物騒な発言があったのだけど・・・、召喚魔法ってそんな危ない物なのか?
俺はケモ耳に対する熱が一瞬で冷め、冷や汗が流れるのを感じた。
そんな中、俺が抗議の声を上げようかと思っているとローズが代わりに言って・・・。
「アナスタシア、仮にも私の婚約者なのよ?中級魔導師10人程度の作り出す魔空間の魔力に耐えら得ないわけがないでしょ‼︎」
「いや、ツッコミどころそこじゃないし‼︎」
ミンチは流石に冗談では無いかと少しの期待があったのだが、ローズの発言から事実だと悟り、しかもその的外れな抗議に、俺は勢いよく腰を上げツッコみ、続けざまに畳み掛けた。
「お前らは人の許可も取らずにそんな危ない儀式に俺を巻き込んでたのか‼︎」
そんな俺の剣幕にも二人は動揺するそぶりも見せず、冷静に応えた。
「当たり前でしょう?」
「ええ、当たり前ですね?」
えぇ・・・、な何なんだこいつらは・・・。
流石異世界人とでもいうべきか?二人との感覚のズレに俺が唖然としていると、ローズは続けてさも当然の様にこう言った。
「私は『リアタフテ家』の次期当主候補なのよ?その婚約者ほどの名誉が『サンクテュエール』に幾つあるとゆうの」
サンクテュエール、新しい名前が出てきたな。
ローズは俺が異世界から来たと思ってないのか、俺の知らない名前を出してきた。
サンクテュエールというのはこの世界の名前か?
俺がそんな疑問を抱いていると、アナスタシアが口を開いた。
「お嬢様。婚約者様への説明や体調の検査もありますしそろそろ場所を変えられては?サンクテュエール国の名門である、リアタフテ家がいつまでも婚約者様にこの様な薄暗い場所に居て頂いたとあっては・・・」
俺は抱いていた疑問への答えにアナスタシアの方に目を向けると、自身に向けられていた視線に唾を飲み込んだ。
(俺の疑問に気がついていた?)
話の流れから察する事も出来るだろうが、アナスタシアからのそれには全く別のものを感じた。
俺の素性がはっきりしない以上油断は禁物なのだろうが、常日頃からの鍛錬・・・、素人の現代人の俺にでもアナスタシアからは武人の佇まいの様なものを感じとれた。
「『リール様』にもご報告しませんと・・・」
「それもそうね」
俺に向けていた視線を外し、アナスタシアはそう促しローズもそれに応えた。
リール、というのは何となく女性の名前だろうか?
そんな疑問に今回は答えを示してくれる様子もなく、アナスタシアは俺の傍にあったダンボールに近づいた。
「こちらは婚約者様の荷物ですか?」
「ああ、そうだ」
そんな風に応えながら辺りを見回した。
部屋は薄暗く正確な広さは判らなかったが、学校の体育館くらいはあるだろう。
目深にフードを被った者達が一定間隔で、魔法陣から距離を置きその周りを囲んでいた。
だが俺の愛車は視界に捉えることはできなかった。
「なあ、俺の車知らないか?」
「クルマ?ですか・・・、それがどういう物かは分かりませんが、婚約者様の他にはこの紙の箱しか有りませんが」
そうか、車を知らないのか・・・、そんな当たり前の事に気が回らなかった俺に新たな疑問が湧いてきた。
車という単語は伝わらないのに先程から会話が成立している事だ。
ここが異世界であるならお互いの言葉が理解出来るのはどういう原理なのだろうか?
よくあるネット小説の様に、神様からチートを貰ったわけでもないし?
そんな事を考えていると、日頃使って無いのだろうか、木製の扉の軋む音が聞こえて、部屋の中がやや明るくなった。
明かりの先に目を向けると、既にローズが部屋から出るところで若干イライラした口調で急かしてきた。
「何やってるのっ、さっさと行くわよ‼︎」
「はい、お嬢様」
アナスタシアは慣れたものなのだろう、返事とともにダンボールを持ちこちらに視線で促し、自らは直ぐにローズの方に向かった。
俺はやれやれと思いながらも、このまま素顔も見えない召喚士集団と部屋に残されては気味が悪くて仕方ないのでそそくさとアナスタシアの後を追った。
部屋を出て、ローズの背を見ながら歩いているとここがかなりの豪邸であることがわかった。
廊下は大理石、壁には至る所に高価そうな絵画、柱にも美しい細工が施され、空間全てが清掃も行き届き綺麗に整えられていた。
「お嬢様、この度はおめでとうございます」
「ええ、ありがとう」
しかもすれ違う使用人の数も多く、その度にローズに祝いの言葉を、俺には一礼を向けてくれた。
そんな感じで三度階段を上った先で、今まで見たどの部屋よりも豪華な扉の前に着いた。
するとローズは俺の方を向き、少し乱れていたコートの襟を直してくれた。
「あぁ、ありがとう」
「べ、別にアンタの為じゃ無いわよっ。此処は私のお母様、つまり現当主様の執務室なの。その言動全てに失礼無いようにしないといけないんだからね‼︎」
なるほど、そういう事かと俺はローズの言葉に頷きながらも納得した。
「じゃあ行くわよ」
ローズはそう言って、ドアの方を振り返りノックをした。
「お母様、ローズです。我が婚約者を連れて参りました」
「えぇ、お入りなさい」
部屋からおっとりした口調で返事が聞こえてきてローズはその扉を開き部屋に入った。
俺もそれに続き部屋に入ると、そこにはローズによく似ているが、少し雰囲気を柔らかくした様な女性が重厚さを感じる椅子に腰掛けていた。
女性は俺を見ると優しく微笑み、ゆっくりと腰を上げた。
「あらぁ、ステキな殿方ねぇ、ローズちゃん?」
「そ、そうかしら?」
「えぇ、優しそうな方だしぃ」
「ま、まぁ」
そんな会話をしつつも、ローズの母親は俺の身体に仕切りにボディタッチをしていた。
「あ、あのぉ?」
「あらぁ、セクシーな黒髪に黒い瞳ねぇ。まるでダーリンみたい」
「ま、まあ、そうね。素敵だけど・・・」
「うん?なんだって?」
「な、なんでも無いわよ‼︎」
ローズは何故か顔を真っ赤にして急に怒り出した。
そんな事よりこの人ダーリンって言ったのはたぶん旦那さんなんだろうけど・・・、ダーリンかぁ。
どう見てもこの人も俺より若いんだろうに、名前の様な歳の娘持ちとか・・・、などと自分の情け無さを感じているとその間もその母親はというと、俺の全身を撫で回していた。
「ちょっと、お母様もいい加減にしてください‼︎」
「あらあらぁ、まあまあ〜、ローズちゃんごめんなさいねぇ。え〜とぉ、・・・?」
母親はローズに謝りながらも、こちらに視線を向け顎に指を当てつつ首を傾げ如何にも何か思案している空気を出した。
そして急に晴れやかな表情をしたと思ったら、姿勢を正しおっとりと、しかし今までよりも僅かながらきびきびとした口調で名乗ってきた。
「申し遅れました。私はサンクテュエール国リアタフテ領の領主を務めていますリール=リアタフテと申します」
そこで、大事な事に俺は気づいた。
(そういえば、俺まだ名乗って無かった‼︎)
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