死神姫と死なない少年の、今日のごはん。

話園アミ

第1話 いのちのスープ

 彼は、わたくしの光になりました。

 


01.いのちのスープ



 生まれた時に、この身は凶星を授かって生まれたと言われてきました。

 何をするのにも運が悪く、最悪の結果を引き起こし、わたくしが生まれたことで土地は荒れ、流行病で父は亡くなり、見兼ねた姉はわたくしを追放いたしました。

 追放先は、国の片隅にある永久に続く凍土でした。決して溶けぬ氷の山の奥まで連れて行き、目隠しをして手足も縛り、置き去りにしたのです。処刑をしなかったのは身内の最期の情でしょうか。

 わたくしを連れてきた兵士は、わたくしに向かって唾を吐きかけました。

「この魔女め!」

 かなしい、かなしい、嫌だ。そんな事を言う人は死んでしまえばいい。

 一瞬そう願ってしまった後に、わたくしはすぐに後悔しました。地鳴りが響き始めたからです。死神が。死神がやってくる。

「ああ、逃げて————逃げなさい!」

 彼は、わたくしがなにかをする前に足元が割れて、氷の間に落ちて、死んだのでしょう。遠く遠ざかる悲鳴だけが、目隠しをされた視界の外で響きました。

 静かな絶望が、わたくしを灼きました。

 関わる者は皆死ぬ死の娘。氷のような銀色の髪をした死神の娘。目隠しをした視界の向こうで悲鳴が聞こえ、もう一人の兵士が逃げて行くのが聞こえました。

 彼が生き延びたかどうかは、わかりません。

 ただ、この身は憎しみよりも、彼に運命の理不尽が降りかからぬようにとただ願っておりました。


 冷気が、体を蝕みます。

 ああ、死ぬのだなと思いました。それは、不思議な安堵感でした。生まれてから散々災厄を振りまいてきた死神の娘が、漸く死ぬのです。これで、誰かに災厄が降り懸からぬようにと願わなくていい。これで、私は漸く終われるのだ。

 そんな事を……思ったのですが……

「そんなところで何やってるんだ、アンタ」

 現実は、残酷なまでに優しく、そして冷酷でした。

 掠れた少年の声が、耳を打ったのです。まだ、終わらない。わたくしへの罰は終わらない。

「……誰?」

「ただの通りすがりだよ」

「どうしてわたくしを助けるの」

「こんな氷の山の中でキミみたいなお姫様が倒れててみろよ、誰だって助けるさ。下心があるかないかは別としてさ」

 彼は言いました。

 そう言って、わたくしに歩み寄って、目隠しを外しました。

 嗚呼。……すこしだけ久方ぶりに目にした世界で真っ先に見つけた色は、————太陽の金色。

 明るい金色の髪に、冴え冴えとした灰色の瞳の少年。そのコントラストがなんとも不可思議で、彼の印象を捉えどころのないものとしておりました。

「……とりあえず、そうだな……。……スープでも、飲む?」

 彼は言いました。差し出された鈍色の水筒の中に満たされたスープは柔らかな赤さで、この辺りで採れる酸っぱいラサルの実を煮たもののようでした。鳥の出汁とラサルの酸味が相まって、塩胡椒がピリッと効いた温かなスープ。それはわたくしの体に活力をもたらしました。


「少しは元気になったか。……元気になったところでさ、聞いてほしい」


 謎の金髪の少年はわたくしを真っ直ぐに見つめました。


「アンタ、噂の死神姫だろう。……誰でも殺せるって評判の。ええと、名前は確か……そうそう、アンジェリカ。死神に天使って名前だなんて皮肉だよな。……ボクはキリエだ」

「————」

「アンタを馬鹿にした事を言ったり、危害を加えたら皆死ぬらしいって噂されてるぜ。そばにいるだけでもいつ死ぬか分からないってな。……アンタさ……」


 わたくしは身を竦めました。言わないでほしい。バケモノだとか、魔女だとか。言わないでほしい。この弱い心は、人を一瞬憎んだら人を殺してしまう。人を憎むこと、厭うことが許されない心を持って生まれた、このどうしようもないわたくしを、どうか放っておいて。


「アンタ最高だよ!」

「————えっ」


 え。

 えっ……

 え?

 

 さ、最高?

 

「ボクは、死にたい。……不死者なんだ、仙人だとか、エルフだとか呼ぶ者もいるけど。死に見捨てられたモノなのさ。……あんたを拾って側に置いといたら、きっといつかあっさり死ねるだろ?」

 

 彼は笑顔で言いました。

 それから、冷え切ったわたくしに向かって、笑ったのです。

 

 ——よかったらさ。よかったら、一緒に暮らそう。

 それで、ボクをあっさり眠らせてくれ。あ、そうそう、一緒に住んだからって家事させるような事はしないからさ。さっきのスープ、美味しかっただろ?

 

 その申し出は、尋常ならざるものだったでしょう。死にたいから、そばに死神を置く。それを笑顔で言うことができる彼に、わたくしは動揺しました。けれど、それと同時に……酷く、救われた気持ちになったことも、事実だったのです。邪魔者として扱われてきたわたくしを、受け入れてくれる。拒まないでそばにいてほしいと願ってくれるのだと。

 私は、氷のように表情を変えないと言われていた顔をほんの僅かにこの時和らげていたのでしょう。

「……ええ、とても美味しかったです。心の底まで、染み渡るくらいに」

「それは良かった。……一緒に来てくれるか?」

「……とりあえずは」

「ふうん、まあ1日2日でもそばにいてもらえれば、どこかで死ねるかもしれないしな。死神姫さまの子守唄で」

「わたくし、歌は下手よ」

「ジョークだよ」

 ————どうしてあなたは、そんなに死にたいの?

 わたくしはそう言おうとしましたが、すんでのところで我慢しました。彼の綺麗な、まるで年下の少年の如き造形の美貌が、どこか影ってみえたからです。


 閉じた唇に、ラサルの実の酸っぱさが微かに残っておりました。

 それは、宮廷育ちのわたくしが始めて飲んだ、熱の通ったスープでありました。

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