戻って来た瞳の光

 ランドーは目を閉じていた。


 どうやら現実に戻った様だ。


 部屋の片隅から不意に王妃の声がした。


「あの人が……シャルルを。兄上までも……」


「叔母上もご覧になられたのですか?」


「以前はあんな人ではなかったの。気の弱い繊細な人だったのよ。でも、私と婚約してからは段々別人の様に成ってしまった。重責に必死に耐えての事なのだと思っていたのに。貴方のお母様をも、あの人が殺めたなんて。今回の事も、シャルルが極秘に人魚を捕らえて囲っていると報告を受けてから急に様子が変に……こんな事だったなんて。」


 王は最初からそのつもりでここへ乗り込んで来たのかもしれない、それで妙な響きを含む声だと瑠海は感じたのかもしれない。


 王妃の涙にランドーも言葉を失くしていた。


「内陸のドレアルに遷都を言い出したのも、貴方のお母様が急に亡くなった時だったわ。さすがにここに住み続ける事は出来なかったのね。許して。私は何も知らなかったの。」


 瑠海も半ば言葉を失くしながら、シャルルがしっかりと握る右の手をこじ開けさせた。中には血染めの金ボタンが有った。彼が最期の瞬間に、王の袖口から咄嗟に引き千切ったのを瑠海は見逃さなかったのだ。


「これに、見覚えはございませんか?」


「あの人の紋章よ。やはり現実なのね……」


 シャルルの手に防御創が無かったのは、赤ん坊を腕に抱いていたからだったのだ。そして彼の白い頬には、赤ん坊が小さな手で触った跡が微かに付いていた。


「最後までその手を放さなかったのね。貴方は立派だったわ、シャルル。」


 王妃は、涙を流しながら彼女から受け取ったボタンをハンカチで包み、ランドーを見た。

「フィリップ、長い間貴方を苦しめて来てしまった事を許して。近衛隊と共に皇太子を謀殺した謀反人を討伐しなさい。今度こそ貴方が王位を継ぐのです。もう誰にも文句は言わせない。それが兄上へのせめてもの償い……安心して。フローラの元へ派兵された王の軍は、私が全て止めておきました。」


 王妃は、涙を拭った。


「それから、あの赤ん坊を助けてやって。」


「承知しております、叔母上。」


 中庭の辺りから沸き起った下卑た歓声に、ランドーの表情が一変した。


「行くぞ、瑠海。」


 彼の瞳に、いつもの光が戻っていた。





 平常時なら灯されている場所に明かりが無い為、暮れて行く日と共に城の中は闇に閉ざされ、逆に幾つも松明が灯された中庭の様子は容易に見通せた。そっと覗うと王の配下はランドーが捕らえられたと言うだけで油断し切り、酒盛りでも始めそうな具合だった。


 夜陰に紛れた暗い廊下の端から、音も無く二人に近付く者が有った。ランドーはその気配に、既に誰が来たのか分っているようだ。


「ラキアか。」


 彼は主人に一礼すると跪いた。


「牢に捕らえられていた者全てを解放完了致しました。女等は秘かに城外へ。兵士全員、ランドー様の指示待ちで待機しております。」


「ご苦労。国王は国家に対して謀反を企てたと判明した。妃殿下からの勅命により奴等を討伐する。王の私兵は殆ど中庭に集まっている様だな。妃殿下の近衛隊と協力し、気付かれない様に裏導線を使いくれぐれも静かに実行に移せ。手向かいする者は斬り捨てろ。」


 短く彼に応じ、ラキアは背中に担いでいた弓と剣を彼に手渡すと、瑠海を見た。


「やはり貴女にお任せして正解でしたね。すっかり元の我等がランドー様に戻られた。」


 その言葉に瑠海も頷いた。


「エドの怪我の具合は? 大丈夫なの?。」


「有難うございます。しかし、ご心配無用。エドも兵士の端くれ。貴女をお守りして受けた傷は何にも変えられない誉です。」


「エドが怪我をしたのか?」


「ごめんなさい。私を庇って弓矢で。」


「お前を? そうか。」


 ランドーはラキアを振り返り、


「エドに、よくやったと伝えてくれ。」


 彼は深く頭を下げ、暗闇に姿を消した。


 瑠海は次にランドーが向かう戦いの場を思うと、不安をどうしても隠せず、彼の袖を掴んで寄り添わずにはいられなかった。


「まさかこんな事に成るなんて……」


 そんな彼女の様子に微笑み、自分の腕に触れている彼女の手に自らの手を重ねた。


「お前のお陰で道を誤らずに済んだ。礼を言う。入り婿である王は常々大臣や有力諸公から殿下に王位を譲る様に進言されていた。殿下の二人おられた兄上様方も、それぞれ皇太子となられてから暫くして亡くなっておられる。王が次々に毒殺させたのではと秘かに噂する声も有ったが、事は外部と全く遮断された後宮で起こった事で真相は都合のいい様に闇に葬られた。王は影で自分の子飼いの商人の娘で側室にした女に産ませた第四王子を擁立しようと目論んでいたらしい。王家の血を引くシャルル殿下を殺害した義叔父は最早反逆者だ。ましてや先王、我が父を毒殺したとなれば、事の真議を問わねばならぬ。」


 王が城に現れた時、一瞬感じた不安は本物だった。彼はランドーとシャルルが再び結束する事を何より恐れていたに違いないのだ。


 瑠海は、悲しみの淵から光の元へ戻って来たランドーの、堅い決意を込めた横顔を見た。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る