王子の死因
ランドーが城に連行されて来ると、王の兵士の間から嘲笑が沸き起こった。色好みの男色家と囃子立て、ここぞとばかりあられも無い悪口雑言を浴びせかけた。
猿ぐつわは彼の自殺防止の為だけではないらしい。
そんな中へ侍女の制止も聞かずに王妃が髪を振り乱して彼に踊り掛かって来た。後ろ手に縛られたままのランドーは避ける事も受け止める事も出来ずに諸共に石畳に倒れ込んだ。
「お前は何をしたの! 信じていたのに。そんなにあの子が憎かったの?」
王妃はランドーに馬乗りになり彼の顔を何度も力まかせに殴り付け、年配の侍女が彼女を宥める様に言い含め引き離すまで続いた。
口を塞がれている彼には、何も言えるはずも無く又言葉を紡ぐ気力も無い様だった。
彼の唇の端は切れ、血が滲んでいた。
「お前の顔など見たくない!」
近衛隊の兵士達はランドーを守れと命令を受けて出たのにと、目の前の王妃の言葉に戸惑いを隠せないでいた。
一体……どうすればいいのか。守るのか、そうでないのか。
国王が二人の様子を横目で見ながら現われた。我が子が亡くなったと言うのに口元には勝ち誇った様な笑みが有った。
「よくもシャルルを貪り喰うてくれたな。己が主人を神に背く業火の地獄に落とすとは。お前に情けを掛け過ぎた我が身が恨めしい。この場ですぐにでも斬り捨てたいところだが、民衆の前で精々罪を懺悔いたせ。自害は許さん。魔女共共明朝処刑じゃ。」
瑠海の事を魔女と言った王にランドーは目を上げた。自分に対する身に覚えの無い虚偽や兵士達を煽っての侮辱にも耐えられるが、悲しむどころか死を選んだシャルルの苦悩をも彼等は民衆の前で断罪しようとしているのだ。しかし理由はどうあれ、みすみす自殺までに追い込んだのは、自分である事に変わり無く、言い返す事も出来ず彼は唇を噛んだ。
それを見て、王は下卑た薄笑いを浮かべた。後ろに控える王の兵達も同様だった。
彼らが引き上げると、王妃は抵抗すらしないランドーを憤然と見下ろした。
「フローラの元には、既に軍を遣わしたわ。助けを求めようとしても無駄よ。お前の部下達も可哀想だけれども当然の報いね。」
その言葉にランドーは顔を上げた。一蓮托生と言う言葉が瞬時に感情までも揺り動かした。彼等は城の者達はおろか姉夫婦までも処罰するつもりなのだ。
戒めを解き、弁明しようと藻掻くランドーに王妃の目が険しく吊り上がった。
「見苦しい! 早く牢に入れておしまい!」
王妃は叫ぶ様に言うと、幽霊の様に弱々しく廊下の向こうに姿を消した。
瑠海とエド、そして同行した近衛兵は洗濯場へ続く暗い廊下の途中に突然出現した抜け穴から顔を出した。汗に埃と砂が張り付いて三人ともひどい顔になっている。通ってきた抜け穴は、昔この場所に建っていた古い建物との隙間にすぎず、狭い場所は腹這いになって通らなければならない様な所だった。いざと言う時の為の避難路などそんなものだ。
見る限り王の兵士も誰もいない。近衛兵は警戒しながら廊下を先に立って歩いて行った。
しんと静まり返った空気に混ざり始めた冷気に瑠海は身震いした。確かにここは普段は無い死の香りがしている。
暫く行くと地下への鉄の扉が現われ、その前に兵士が立っていた。
「巫女をお連れしたと妃殿下に。」
彼の言葉を切る様に扉の内側から声がした。
「ご苦労だった。」
扉が開き、数人の兵士が出て来たかと思うとエドと瑠海を取り囲み、二人を引き離し、彼女を後手に縄を掛けた。
「これは何の真似だ!」
何が起こっているのか分からないと言う様に、同行して来た近衛兵は焦ってエドを見た。
「我等を騙したのか、貴様!」
漁師姿のままのエドは、手に下げていた剣を抜こうとした。彼の言葉に首を横に振り、仲間の兵士達を見る近衛兵。
「衛士長、これは一体どう言う事ですか。」
「妃殿下のご命令だ。連れて行け!」
「私なら大丈夫だから。抵抗しないで。」
瑠海の言葉にエドはハッとして動きを止めた。多勢に無勢。抵抗したところで犬死にするだけなのだ。ここまで来ても自分は彼女の何の助けにもならないのか。自分は一体何をしたのだ。むざむざ捕まる為にここまで連れて来たのか。縛られながらエドは口惜しさに下を向いた。兵士として何も出来ないとは。
取り囲んだ兵の輪が一瞬崩れたその時、柱の陰から一本の矢が瑠海に向かって放たれた。深紅の甲胄を付けた王の手の者だった。
エドは絡め手を振り解き、矢と瑠海の間に身を投げ出した。
一方で近衛兵らが曲者を捕り押さえていた。
「エド! エド! しっかりして!」
肩に矢を受け、彼は床に倒れ込んでいた。
「瑠海様、自分は大丈夫です……」
その時、扉が大きく開け放たれた。
「騒がしい。その異国の魔女を中へ入れい。フィリップ・ランドーをここへ連れて参れ。」
王妃が髪を乱し立っていた。声は老婆の様に嗄れ、大きく見開いた目は血走り、明らかにそれは常軌を逸した目だった。
シャルルの遺骸は使われていない地下の倉庫の一角に置かれていた。粗末な煤けた祭壇とは言えない台の上に彼は横たえられ、白い布が一枚掛けられていた。中は数本の蝋燭が炊かれ、香の匂いで噎せ返りそうだった。
シャルルの遺骸の方を向いた切りの王妃のドレスの裾は、構われる事無く酷く汚れ、それを見ただけでも瑠海は胸が締め付けられた。最愛の息子に先立たれた彼女には、どんな慰めの言葉も風の音にしか聞こえないだろう。
暫くしてランドーが連れて来られた。彼もまた縛られたままである。瑠海は彼の見た事も無い憔悴し切った様子に愕然とした。下を向き、眼を閉じたまま、彼女がいる事にも気付かない様子だった。
王妃は、彼を連行して来た兵士に外へ出るよう命令し、部屋の中には彼等三人だけになった。扉が閉まるのを待っていたのか、王妃がいきなり懐に隠し持っていた短剣を抜いた。それを見ても全く反応しない彼を庇う様に瑠海は割って入ったが、次の瞬間、目を閉じた瑠海の手の自由を奪っていた縄が音も無く切れた。呆然としている彼女を尻目に、王妃はランドーの綱も切った。その表情は、悲しみに沈んではいるものの正気そのものだった。
「ごめんなさいね、あんな猿芝居でも打たなければあの人の目はごまかせなかったの。近衛隊の中にも陛下の密偵が潜んでいるのよ。」
王妃は、ランドーの傷に刺繍のハンカチを当て、滲んだ血を拭いながら言った。
「叔母上……」
言うや否や、ランドーは王妃の手の短剣を奪うと自らの胸を突こうとした。瑠海は彼の手に飛び付き、振り払おうとする手から無理矢理剣をもぎ取った。
「瑠海……」
「人に散々信じろって言っときながら、あなたは誰を信じていたの? 殿下の事さえ信じていなかったの? それともあなた達本当にそんな関係だったの?」
「断じてそれはない!」
「殿下は自殺なんかしないよ。それを始めに疑うべきなんじゃないの?」
ランドーは瑠海を掻き抱いた。
いつも前向きだった彼の唯一の弱点を姑息にも巧みに突いた謀略だ。瑠海は溢れそうになる涙を必死に堪えた。
「殿下は、そんなに弱い人ではないでしょ? それはあなたが一番よく知っている筈なのに、しっかりして。」
彼女の言葉に、ランドーはじっと目を閉じ、そっと手を放した。
「責めはこの身一つが。他の者にはお咎め無きようお願いします。」
その言葉に瑠海は抑えていたものを堪えられなくなって、とうとう彼に掴みかかった。
「あなたショックで何処か壊れちゃったの?殿下は自殺なんかしない! 辛いのは分かる。でも立って! 目を覚ましてランドー!」
瑠海の言葉にランドーは彼女を見た。
「とにかく、御遺骸に対面させて下さい。」
瑠海の言葉に王妃はそっと応え、横たわったシャルルに掛けてある白地に見事なバラの刺繍の布を取った。それは彼の誕生日の祝に王妃自ら刺繍したベットカバーになるはずの物であった。彼の清しい朝の目覚めを演出こそすれ、よもや永遠に醒めぬ眠りの為にこんな使われ方をしようとは夢にも思わなかった品である。
(えっ……?)
瑠海は、下から現われたあまりに白いシャルルの横顔を見て驚いた。
いや、これは人形ではないのだ。つい昨日まで会話を交わしたシャルルなのだ。でも、とても信じられなかった。白い陶器の様な顔。温もりは無く、ただ透明とさえ思える肌の色。止まっている心臓はもう血を全身に運ばず、大きく開いた傷口からはもう新しい血は出ないのだ。当たり前の事なのに……
瑠海は言葉を失って立ち尽くしていた。
「剣で首筋を……シャルル……どうして。」
ランドーはシャルルの喉元を残酷に抉った三日月の傷を撫でた。
自殺は彼等の信じる神も堅く禁じており、弔いも表だって出来ないばかりか、埋葬も墓標の無い墓に入れられるらしい。
シャルルの遺骸は、通常は清められるところを、血で汚れた衣服を改める事も許されず、傷口も流れた血潮がこびり付いて赤黒く乾いたままになっていた。
瑠海は彼が見ているその傷に何か妙な不自然さを感じた。傷は顔を中央に喉のやや左側から右側を深く切り裂き、そのままやや斜めへ上がり耳の下まで長く続いている。躊躇い傷も作らず鋭利な刃物で一思いに切った。手には防御創も無いが覚悟の自決でも不自然だ。
他殺を疑う理由は他にも有った。
「ゲイリー先生は? 彼にも意見を聞きたいんだけど。」
「まだ戻ってはいないらしい。」
間が悪いとは思っていたが、そんな人もいるのだ。瑠海は手を握り締めた。
「この傷を見て。これが証拠よ。彼は誰かに後から切られたのよ。耳の下なら分かる。でも前の方の傷が深いなんて、自分ではこんな風に切る事は出来ないと思うわ。あなただったらどうやる? これは不自然よね? それも、やったのは彼より上背の有る者だわ。胸の血が付いていない所の形を見て。腕の跡よ。」
彼女の言葉にランドーの目付きが変わった。王妃も思わず覗き込んで来た。
「背後から手を回して押さえ付けた跡だわ。」
一面に付着した血痕を切り取った様に付いた白い影は、凶行に及んだ者の動きを想像させるに充分だった。
その時、それを待っていた様にシャルルのシャツの胸元から血塗れの腕輪が落ちた。
思わず手に取った瞬間、瑠海は体の奥から熱い物が噴き出して来るのを覚えた。
「これ……ドルーチェの。」
「誰? ドルーチェって?」
彼女は一度ランドーを見たが、改めて王妃に向き合った。もう隠す必要など無いのだ。
「お信じになられないかもしれませんが、殿下が祝賀会に集まった方々にお見せしようと、入り江で暫く囲っておられた人魚です。」
王妃の反応は、火を見るより明らかだった。
「人魚? 貴方達、……人魚を飼っていたと言う噂は本当だったのね。」
「すぐに海に返してしまわれましたが。」
「少しの間でも飼っていたなんて。瑠海さん、貴女が人魚の言葉を話すと言うのも単なる噂ではなく、本当の事だったの?」
「はい……」
王妃はハラハラと新たな涙を流した。
「フィリップ、あの子は人魚の娘に恋をしていたんじゃないの? でなければ、そんな物を大事に持っているはずが……どうなの?」
「それは……」
瑠海はドルーチェの腕輪を握り絞め、もう一つの自分の腕に嵌めている腕輪を押さえた。
シャルルは最期にドルーチェに会ったのだ。
何があったのか知りたい。
何があったのか教えて欲しい。
瑠海は沸き上がって来るものに感覚の全てを委ねる様に目を閉じた。
(こんな時こそ見えたらいいのに。こんな時こそあなたの力を貸してドルーチェ!)
瑠海の心の叫びが聞こえたかのように握りしめた彼女の手の中の腕輪が熱くなった。
急に彼女の全身から力が抜け咄嗟に支えたランドーだったが、瞬きした次の瞬間、自らも目の前に広がった光景に息を呑んだ。
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