第三章 月の魔力

波が見せた夢

 入り江で瑠海が使っていた小屋はとても古く、波打ち際に近い巨大な岩の上に有った。僅かに残った外壁の装飾や色鮮やかな塗料などから、建てられた当時は可愛らしい建物だったに違い無いと言う想像は出来たが、瀟酒な造りも現在は風に任せ灰色一色になっていた。海を眺めるテラスにベンチが有り、簡素なベッドと真水の出る井戸は有ったが台所は無く、食事はその都度城から運ばれていた。この家には暖を取る設備は無く、テラスと部屋を隔てるのは、今は朽ちて落ちたすだれの様なものだけだった。それでも月夜には入り江に映る景色がとても美しかった。細部に渡って気配りのなされた造りの家だったが、波の音が嫌いな瑠海は、訳も無く不安になりぐっすり眠れた夜など無かった。


 立地の関係か海に近くてもランドーの住む別宅には波の音が聞こえて来ない。特に今、瑠海がいる奥の部屋は静かだ。ベッドに横になった途端眠気に襲われ、彼女は深い眠りに落ちた。



   


 波の音がほんの近くに聞こえていた。ふと目を開けると、日が高く昇っていて瑠海は起き上がるとテラスからドルーチェの様子を見ようと身を乗り出した。しかし、彼女の魚影は入り江には無かった。


 呼び掛けた声にも返事が無く、不審に思いかけて気付いた。


 そうだ。ドルーチェは海に帰ったのだ。


 彼女を海に返す事を目的にして始めた事だったのに、帰らない返事に少し寂しさを覚え、瑠海はベッドに戻った。


 古い木で出来たベッドは四本の足のうちどれかが長いのか短いのか、ガタガタ揺れる。彼女はベッドから下りて、下に何か有るのかと覗き込んだ。長い間に填まった砂と埃に埋もれよく見えないが、一本の足の下に何か挾まっているのを見つけた。


 有った、などと独り言を言いながら、瑠海は壁際の一番奥の端を持ち上げ、そこに挟まっていた物を取り出した。それは中を表に二つに折られた八ツ切り画用紙程の額縁の付いた絵の様だった。


 躊躇わず瑠海は、中を見ようと手に取った。


 不意にムカデでも出て来はしないかと一瞬不安になったが、埃を払って…開けた。


 そこには、レースの襟のついた豪華な産着を着せられた赤子を抱く彼の母親らしき女性が細密な筆遣いで描かれていた。赤子の胸に掛けられている金色に輝く勇壮な紋章は王族の印の様だが、来て間もない彼女には心当たりも無かった。


 写真ほど鮮明に写した面影でないにしろ、その若い母親が何処かランドーに似ているように見えてならなかった。


 幸せな優しい光に包まれた母親……。肌は透ける様に白く、髪は見事な金髪だった。描いた画家はきっと彼女の緑色の瞳に魅了されていたに違い無い。深い海の底にひっそりと咲いている花が有るとすればそれは正に彼女の事だろう。


〈愛してるわ。……貴方だけを永遠に。〉


 瑠海は、何処からとも無く不意に聞こえて来た声に驚き絵を下に落した。


 途端に目が醒めた。




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