目付役の責務

 石段を下り、近付くに従って光々と松明が炊かれているのが見えてきた。この場所にこんな風に明かりが点いている事自体ランドーには奇妙に見えて仕方がなかった。理由ははっきりしないがずっと以前から不吉とされ、堅く封鎖されていたからだ。


 鉄の扉の前に衛兵が立っていた。彼はランドーの姿を見るなり、槍をかざして行く手を塞いできた。


「そこを開けろ、ガードナー。」


「お許し下さい。ご無礼は承知しております。殿下のお言い付けです。」


 そんな押し問答をしていると、奥から声がした。


「誰だ。」


 扉が向こう側から開いた。王子だった。


「フィリップか。」


 彼はなぜか得意げに笑うと、ランドーだけを中に招き入れろと命じた。


「丁度よい所に来た。」


「殿下、私の言いたい事は既にお分かりの事と存じますが、ここは国王陛下御自ら封鎖なされた場所と言うのも周知の事実。」


 王子は、押し通ろうとまでしていたランドーが今度は逆に入って来ようとしないのを見て軽く笑うと、どうぞとばかりに奥を指示した。


「其方は人魚が魔物だと言わんばかりだったが、瑠海のお陰で結構言う事を聞く様になったのだ。あれを説得して侍女にと引き止めてくれた事に礼を言わねばな。」


 シャルルの言葉は、ただの皮肉にしか聞こえず、ランドーが砂浜を波打ち際へ近付いて行くと、海から突出した岩の上に黒髪を風に緩やかに揺らして瑠海が何気無く座っていた。


 一瞬人魚かと見紛うその姿にランドーは息を呑んだ。見ると彼女の足元には泳ぎ回る大きな影が有った。


 彼が人魚に気付いたのを見て、王子は声高に言った。


「ドルーチェ。この男に挨拶せい!」


 シャルルの声に反応し、水面下で影は動きを止めると瑠海の顔を見る為か、彼女の足元に顔を出した。それはランドーには、金色の髪をした少女にしか見えなかった。


 人魚に微かにうなずいて見せる瑠海。人魚はクルリと向きを変えると、ランドーの目の前の水面から顔を出し、小さく会釈した。


 芸とは言い難いが、満足げな王子に、ランドーは呆れた様に溜息を吐いた。


「こんな事をさせて何か意味がお有りですか、殿下。先日も申し上げました通り、ご来賓の方の中には……」


「頭の固い古い考えしか持たぬ者達だ。王族の姫でさえ興味を持っておられる方もいる程だ。人魚に不都合が生じぬ限り、祝いの返しとして皆に見せるつもりだ。これは誰も持っていない世にも珍しき珍獣ぞ。」


「私が申し上げたいのは、それだけではございません。人魚も命ある生き物、」


 ふと見た瑠海の足元に鈍く光る鎖に気付き、ランドーは思わずシャルルを見た。


「殿下。あれは一体何の真似です。瑠海は言葉の通じぬ獣ではありません。」


「ちょっと油断したスキに人魚を逃がそうとしたのだ。祝宴の日まで人魚にはどうあっても居てもらわねばならぬ。あれは頑固な女だ。身を犠牲にしても人魚を救う気だ。」


「しかし、あれでは……」


「人魚を決して死なせてはならぬとも言ってある。あれが役目を放棄すれば、人魚は確実に死ぬだろう。我々の与えた餌はどうしてやっても食わぬからな。」


「人魚と言えど、我々人と同じく心を持った大海に生きる者です。それをこんな狭い所に閉じ込め自由を奪うなど、哀れとはお思いになりませんか? ましてや瑠海は普通の人間です。それをあんな所に繋いで……」


「やっと本音を申したか。その優しさがあの異国の女に叶わぬ想いを抱かせ、迷いの迷宮に落した事を罪とは思わぬのか? 其方があの者を気に掛ければ掛ける程、女どもの羨望の的になる事も。」


 ランドーは、岩の上で虚ろな視線を水面に落している瑠海を見た。


「最早あの者には、人の言葉は通じぬのだ。其方に縛られたままの人としての心を、見えぬ牢獄に閉じ込めておる様だ。其方程の者がそんな事にも気付かぬとはな。」


「まさか、……そんな。」


 ランドーは自分を見ようともしない彼女を見た。そして意を決した様にマントを取った。


「瑠海! 今、鎖を解いてやる。」


 海に入ろうとする彼を兵士達が止めた。


 必死な彼の声にも瑠海はただチラリと見ただけで、何の返事も返さなかった。


「瑠海! 何とか言ってくれ!」


 ランドーの必死の問い掛けが聞こえたのか、瑠海が小さく口を開いた。


 人魚の言葉だった。


 理解出来ない彼女の言葉にランドーは愕然とした。瑠海は彼の様子に首を傾げ、疲れたのかそのままゆっくり岩の上に横たわった。


「人の言葉で……話せ瑠海。本当に話せなくなってしまったのか。言葉を失わせたのは本当に私なのか。」


 それでもランドーはシャルルを見た。


「あれを哀れと思し召し、どうか、人魚を海にお返し下さい。」


「ならぬ。其方にとってはどちらが大事なのだ。私の機嫌を損ねぬ事か? それともあ奴等を解放する事か? 私の臣下である其方にとっては答など始めから決まっておると思うが。」


「目付役として、意見させて頂く責務がございます。」


「あくまでも責務と申すか。私情ではないと。長い付き合いだが、分らん男だ。」


 頭を下げたランドーを鼻で笑い、シャルルは岩の上で眠ってしまった瑠海を見た。


「祝宴まであと僅か。このように健在な人魚に何の不都合が生じようか。全てが滞り無く終われば海に返さぬでもない。」


 二人の会話をどんな風に聞いているのか、人魚は海から顔を出してこちらを伺っていた。


「心配致すな。伽をさせるわけではない。」


「では……宴を無事に終わらせました暁には、必ず海に返すとお約束下さい。」


「せいぜい期待しておるぞ。」


 王子は、海鳴りの中、同意し頭を下げながらも瑠海を心配そうに見ているランドーにほくそ笑んだ。





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