対立する思惑

「なぜ人魚を逃がしたのだ!」


 報告を終えたランドーに、王子は目の前のテーブルを叩いて立ち上がったが、そんな主君の様子にも彼は動じなかった。


「あれは古来より不吉な生き物。祝宴はもう間近です。ましてや捕らえるなど。厄災を恐れる町民の間に不安が広がります。」


「其方までそのような事を申すか。人魚は海の生き物の中でも珍獣中の珍獣。祝に集まった者達へのよい余興になったものを。」


「お集り頂く方々の中には保守的な方も多くおられます。不快な思いをされる方が一人でもいらっしゃっては、国王陛下にも覚えが宜しくございません。それに死んだ人魚の死臭は長く残ります。お祝いの席が台無しになる事は極力お避けになった方が宜しいかと。」


 ランドーの言葉に、王子は口惜しそうに睨み返して来た。


「私が思い付いた事に悉く反対して来るのはなぜだ、フィリップ・ランドー。」


「滅相もございません。殿下に人としての道を踏み外さぬよう正すは、国王陛下から仰せつかった私の目付役としての責務にございます。殿下には名実共に名君と呼ばれる国王になって頂くまでは、例え殿下の御意に添わぬ事とて、御為にならぬとなれば、この身を持ってしてもお止め致します。」




 瑠海は、ランドーが入って行った王子の部屋の外でじっと立っていた。衛兵が睨んできても無視を決め、人魚に自分の言葉が通じた事が良い事なのか、危うい事なのかと思いを巡らせていた。ランドーの胸板三寸で本国に報告されるか否かが決定し、不吉と判断されれば待遇は確実に悪化するだろう。


 今更だが、本物の人魚の存在はここが異世界だと断言できる要素だ。そして、あの腕輪は彼等が単なる海に生きる動物ではないと言う証拠だ。


 ランドーが無表情でドアを出て来た。


 瑠海はすかさず駆け寄って隣に並んだ。


「人魚を逃がした事、殿下は怒っていらっしゃったでしょ?」


「お前が心配する事ではない。それより、早く仕事に戻れ。」


「私の事は話したの?」


 その言葉にランドーは一瞬立ち止まったが、また廊下をさっさと歩き出した。


「言わないでいてくれたのね。良かった。どの道、町の人達が集まっていたから殿下の耳に入るのも時間の問題だろうけど。人魚って、この海には普通にいるの?」


 彼は今度は全く歩調を緩めてくれなかった。


「……お前達の国にはいないのか。」


 瑠海は精一杯の大股で付いて行った。


「いないわ。あくまで伝説上の生き物よ。それも多分誰かの創作物語の中の生き物でしかないわ。」


「そうか。ここでも人魚は滅多に現れない。ひどい嵐の後に稀に死んで打ち上げられているのが見つかる程度だ。今回生きたまま捕らえられたと言うのは、初めてかもしれぬ。」


「じゃあ、何でそんな貴重な人魚を逃がしてしまったの?」


 この国の者ならば、子供でも知っていて当然の事でも、瑠海には説明が必要なのだが、顔を見る限りランドーの機嫌は今までの中でも最悪である。しかし彼は、何かを認識し直す様に立ち止まった。


「人魚は厄災をもたらすと言われているのだ。人魚が打ち上がった年は、漁獲高も減り、雨も風も季節の干満を弁えず、早魃かと思えば長雨に農作物は腐り、流行病が横行し沢山の領民が死んで行く。ましてや漁師が網で捕らえれば、その夜の内に嵐に襲われ、村が全滅させられるとさえ言われている。」


 彼の横顔は、王子に対して何か悪い予感でも有るのか何処か冴えない様に見えた。


「恐いわね。町の人達に変な噂が広まらなきゃいいけど。」


 それはきっと祟りとかではなく、海水温などが原因だと思う瑠海だった。あの人魚が、もしも海底火山などの異変に気付いて岸近くに逃げて来ていたのだとしたら、もっと厄介な災害になるだろう。


「私もそれを心配している。」


「でも殿下は、どうしてそんな不吉なものを飼おうとおっしゃったの?」


「祝の席の余興にと言っておられた。言い伝えが、何の根拠も無い迷信だと証明なさりたいのかもしれないが。困ったものだ。」


「そんな事の為に捕らえようとなさっていたの? 人魚は私達と同じ様に知能の有る生き物よ。」


「お前は言葉が話せるんだな。人魚のいない国から来たお前が。なぜだ。」


「分からない。私も混乱しているのよ。」


 ランドーは瑠海の顔をマジっと見た。


「なっ……なに? 何か付いてる?」


「いや……お前が本当は人魚なんじゃないかと思っただけだ。」


「……何処がよ。そんな訳ないでしょ。」


 彼がふざけている様には見えなかったが、


「砂浜に打ち上げられていたのだろう?」


「漂着よ。海から上がって来たんじゃないわよ。」


「そうだろうな。人魚はあの様に元来美しいものだ。」


「どう言う意味よ、ちょっと。」


 再び歩き出したランドーの後を必死に追い駆ける内に、彼の執務室の前まで来てしまっていた。


「ここまで来れば後は分るだろう。早く厨房へ行け。夕餉の支度が始まっている。」


 すっかり道に迷っていたのを見抜かれていた様で、瑠海は彼に苦笑いした。


「すみません、いつもお世話になりまして。」


「早く行け!」


「はいはい……」


「はい、は一回!」


 

 こんな下らない遣り取りを影から見ている者がいる事に二人は気付いていなかった。



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