人魚のいる世界

 ランドーは町で誰かを見舞うらしく、瑠海に小さな花束を持たせ城門を潜った。

 町と城を隔てる鉄の扉は見上げる程に大きく、聞こえて来る喧噪は車の騒音ではなく、物売りの掛け声や馬の嘶きとレンガの道を行く車輪の音。それがこの町の人々の日常の営みの音だった。


 このロッシフォールは、突き出た半島の付け根の所に有って、国内外から運ばれてくる物品の貿易港を含む五㎞四方程の周囲を高い城壁で囲んだ市街地と、外部からの侵入に備える為の外輪を囲む延々と続くやや低い壁の内側に農耕地を有し、シャルルの父が国王を務める本国と呼ばれるレアエンドに属するごく小さな自治領国である。


 低い壁の内側の日当たりのいい山の南側には葡萄畑が広がり、平地には麦に似た穀物や、その他の農作物を作るそこそこ広い穀倉地帯が有る。年間を通して温暖で土地も肥え、水も意外に豊富な所でそこに暮らす人々の表情には明るさが有った。


 小高い場所に建つ城から、港へ続くなだらかな石畳の道を下りながら、ランドーが何気ない素振りで言った。


「……エドの事をどう思う? 男として。」


 何の脈絡も無い彼の問いに、


「どう思うって……ちょっと頼りない弟みたいかな。でも細かな所に気を使ってくれる優しい所が有っていい子だわ。」


「弟か……」


 少し気落ちしたような、安心した様な彼の言葉に歩調を早め、瑠海は彼の横に追い付いた。


「エドがどうかしたの?」


「いや……オヤジどもが言うには、エドはお前が気になって仕方が無いらしい。」


「私の事を意識しているって事?」


「気付かないか?」


 そう言われても、すぐに肯定できる程自信過剰と思われたくはないと言うのが本音である。


「それはどうなのかな。私が観察するには、って言うより、エドはの期待に応えようとしているんだと思うんだけどな。」


「向こうに待っている恋人がいるのか?」


「恋人はいないけど。」


「いないのか。お前、年は幾つなんだ?」


「19だけど。あっ、今バカにしたな。その年で恋人もいないのかって。」


「バカにしたつもりは無い。弟に見えるのも無理の無い事か。三歳も年下では。」


 瑠海は何でそんな事を聞くのかと、面白くなさそうに彼を見た。


「ランドーこそ、何で奥さん貰わないのよ。身の周りの事やってもらえるお手伝いさんがいるからって、それとこれとは違うでしょ。」


「殿下がお許しにならない。」


「お許しをもらわないと結婚も出来ないの? まさか、国の為に一役買わなきゃならないとか。一度も会った事の無い何処ぞの令嬢と政略結婚なんて? それで愛してもいないのに子供作って跡継ぎ残せばそれでいいって?」


「……。」


 言ってから、彼の反応の遅れにしまったと思っても後の祭りとはこの事だ。当然怒ると思ったのに反対に口をつぐんでしまったのだ。


「うそ……図星なの?」


 瑠海の言葉にランドーは益々黙り込んだ。


「そんなので幸せにはなれないわよ。」


「お前には関係の無い事だ。」


 瑠海は彼の無表情が何故か腹立たしくなった。


「そうね。関係は無いけど。人って何の為に生れて来るの? いつかこの人だけとは離れたくないって思える人と出会う為でしょ。愛してる、って心から言える人と。」


 それこそ在り来りな言い回しだと思う。


「出会っても幸せになれるとは限らない。」


 もっとガミガミ怒ると思ったのに、それ以上彼は何も言わなくなってしまった。


 その様子に瑠海は自分に溜息が出た。悪い癖だ。彼の事情を実際何も知らないくせに、ましてや居候の自分が、口出しを許される事柄ではないのに、彼が反論して来なかった為、つい言いたい事を言ってしまったのだ。


 、と言いたくても彼はさっさと先を行ってしまった。





 城壁で囲まれた市場を中心とした石畳の町は活気が溢れ、賑わっていた。


 カルチャーショックは大分和らいだが、それでも町に出て来たのは初めてで、全ての物がアナログな事に瑠海は感動していた。ランドーは別に案内をしてくれるわけでもなく、黙って細工物屋に彼女を連れて入った。


「ジル、邪魔をするぞ。」


 ランドーが戸口で声を掛けると、窓際の机で作業をしていた店主は手を止め、声の主が彼だと判っているのか、笑顔で席を立った。


「わざわざ足をお運び下さらずとも、修理が終わり次第お届け致しましたものを。」


 前掛けを取り、傍らに有る燭台達を磨き布で更に丁寧に拭いて台の上に並べ、彼の後ろから入って来た瑠海に気付くと微笑んだ。


「初めてお会いしますが、そちらは?」


「新しく侍女にした瑠海だ。」


 年季の入った銀の輝きに瑠海は思わず見入ってしまったが、慌てて会釈した。


 もう一人いる筈の店の誰かの姿が無い事を気にしているのか、ランドーは店主を見た。


「奥方の具合はまだ良くないのか?」


「お陰様で少し良くなりましたが……。」


「薬が無くなったらいつでも取りに来るとよい。それとコレを。見舞いだ。」


 ランドーは、瑠海に持たせていた花束を店主に出せと目配せをした。


「これはどうも、有難うございます。」


 修理前の銀製品達の茶色くくすんだ有様を知っているからか、ランドーも口元を思わず綻ばせていた。


「良い出来だ。すっかり見違えた。」


「光栄でございます。」


 嬉しそうに笑う店主に代金を渡し、新品同様に磨かれた二つの燭台を別々に布に包み更に大きな袋に入れると、瑠海にそれをリュックの様に担がせた。この国でも銀で出来た物は高価な貴重品で、長く家に伝えられ使い続けられて来た物らしい。


 国務大臣と言う肩書の割に、専任の召使いは今の所、瑠海と年寄りの侍女マリアと下男だけらしい。住んでいる家も、謎の地下室と召し使い部屋。台所は無く、書斎、客間と寝室、後は普通にトイレと浴室だけの質素ではないが小さな建物だ。


 店の中に並べられた品物を珍しそうに眺めている瑠海を、店主は目を細めて見た。


「あの方ですな、噂の異国の姫君は。そんな方に荷物を背負ってもらっても宜しいのですか?」


「それは構わないのだが、こんな所まで聞こえているのか。」


「さては、ついでとかおっしゃって町の案内ですな? 隅に置けませんね、ランドー様も。」


「いや、そんなつもりではないのだが。」


「隠さずとも、よろしゅうございますよ。」


「からかうな、ジル。」


 瑠海はそんな二人のやり取りを耳にしながらも、棚に置かれた金と貝細工で出来た髪飾りの側に小さなヤモリを見付け、その見たことの無い模様に見入っていた。


「赤金色の目だ。可愛い。こっちおいで。」


「中々良い趣味だな。それが気に入ったのか? 買ってやってもいいぞ。」


 不意に後から声を掛けられ、驚いた瑠海に驚いてヤモリも物陰に隠れてしまった。


「え?」


 瑠海はすぐに目の前の髪飾りの事と気付き、


 ヤモリを見ていたのだと言ったが、ランドーはその髪飾りを手に取ると店主を振り返った。


「これは幾らだ?」


 店主は恐縮しながら値段を言い、呆気に取られている彼女の前で商談が成立してしまった。薄布に包まれた髪飾りをランドーは瑠海に渡すと、今度は彼女が着ている服を見た。


「祝宴までには、もう少しましな服も作ろう。給仕は何かと表に立たねばならないからな。」


 何だが彼の声が弾んで聞こえるのは、気のせいだろうかと思いながら、瑠海は礼を言った。


「……あっ、ありがとう。」


 召使いが身に着ける物は、主人の品格として対外評価の対象となるらしい事を、彼女はマーガレットから聞かされ、もしもランドーから衣服やその他の持ち物をやると言われても別に気がねをする必要は無く、素直に貰っておけばいいのだと言われていた。


 ランドーは髪飾りを、瑠海の予想通りと言うか、女中頭の言った様にあくまで支給品だと言いながら彼女に手渡すと、店を出て行った。


「贈り物ではいけませんかね。」


 店主は呆れ顔で見送り、瑠海を見た。


「ランドーとは長い付き合いなの?」


 髪飾りに目を落とし瑠海は彼の横顔を思った。店主ジルはそんな彼女に微笑んだ。


「家内が、若い頃城務めをしておりまして、亡くなられたランドー様のお母上と交友がございました。それで宿下がりして久しくなりますが、未だにこの様にお見舞下さるのです。瑠海様は、異国の方と伺っておりますが、お寂しくはございませんか?」


 ジルの優しい響きの声に、瑠海は急に忘れていたものを思い出し少し俯きそうになった。


「平気よ。ランドーも良くしてくれるもの。」


「そうですか。あの方も色々とご苦労なさった方ですからね。瑠海様もこんなボロ屋でよろしければ何時でもいらして下さい。」


 店主に礼を言いながら、瑠海はランドーの後ろ姿を通りの先に探した。


「彼のお母さんって、どんな方だったの?」


「近寄り難いほどお綺麗なのに、内面はとても気さくな方で、ランドー様に面差しがとても似ておいででした。」


 初老の店主の瞳が、心無しか恋する少年のように輝いて見えた瑠海だった。


「ランドー様は、町の者達にも城の医師の診察と投薬を受けられる様に御手配下さったり、他にも色々暮らし易くなる様に心を配って下さったり。皆とても心強いお味方だとお慕い申しております。」


 瑠海は、自分の事でもないのにランドーの事を誇らしげに話すジルの言葉が嬉しかった。





「待ってよ~。」


 石畳を先に行くランドーは、銀食器を入れた袋を背負って追いかけて来る瑠海の弾んだ声にもあえて振り返らない。


 瑠海は髪飾りを髪に翳して見せた。


「似合う?」


うたげ用だと言った筈だぞ」


「その前に見てよ。どうやって付けるの?」


 振り返った彼の目に、青空を映す瑠海の瞳が写った。仕方無さそうに、


「仕方のない奴だな。ちゃんとした付け方はお手伝いのマリアに聞けよ。」


 彼女の手から髪飾りを取ると、後を向いた彼女の髪にしっかり留めてやるランドー。瑠海の黒い髪に髪飾りはとても映えて輝いていた。


「いい細工だ。」


「細工だけ?」


「他に何が有る?」


 予想通りの彼の反応に、わざと頬を膨らませて見せる瑠海だったが、まあいいかと、笑って言った。


「金台に貝細工なんて。特にここに彫られてる女の人が綺麗よね。本当に有難う。」


 言うが早いか瑠海は、ランドーの整然と着こなすマントを風の様に捲った。


「おい、何をする!」


「ここまで、おいで!」ワーイ


「瑠海!」


 まるで子供の様にはしゃいで駆け出した彼女につられて、ランドーも走り出した。


 その時、


 ギギギーーッ!


 聞いた事も無い叫び声が二人の耳に飛び込んできた。船の荷揚げ場の辺りである。


「何? 今の変な音。」


「向こうだな。行くぞ。」


 ランドーが身を翻し走り出す。瑠海も後に続いた。近付くに従って、海の側に人垣が出来ているのが見えて来た。


 ギギギーーーーッ! キキーーーッ!


 その叫び声を聞いた途端、瑠海は突風のような衝撃に耳を抑えた。


 激しい目眩と頭痛が襲って来たが、目を開けると訳の分からない絶叫は、不思議にも言語に変っていたのだ。


 ランドーがふらついた瑠海に手を貸した。


「大丈夫か?」


 瑠海にとっては明らかに人の声の様だが、発声が違うのだろうか、その響きがやけに耳に付いた。


〈この、人間ども! 放せ!〉


 人垣はランドーに気付いて道を開けた。


「何事だ。何を騒いでいるのだ。」


 彼は中に城の兵士が混じっているのを見て問い質した。兵士は青褪めた顔で振り返った。


「ランドー様。人魚です。」


 それを聞いた彼の表情が一変した。


「人魚?」


 困惑の表情を浮かべランドーは人垣の中へ入って行った。


 桟橋に括り付けられた網の中を覗き込むと、上半身が人間かとつい見紛ってしまいそうな、下半身は足ではなくイルカと似た形の金色のヒレを持つ大きな生き物が、緑色の目で睨み牙を剥いて取り囲んだ者達を威嚇していた。


 瑠海もランドーの横から覗いて息を呑んだ。


「これが人魚? 凄い。本物だ。」


 彼女は人魚が腕輪の様な物をしているのに気付き、海の生き物がこんな物を作るだろうかと違和感を覚えた。道具、それも装身具は人間だけの物だと思ったからだ。


〈ここから出せ!〉


 瑠海は改めて人魚の顔を見ようと屈み込んだ。その瞬間、なぜか人垣がざわめき、

ランドーが素早く彼女の肩を制した。


「やめろ。噛み付かれるぞ。」


 短く言うと、彼は剣を抜き放った。


「なにするの! ダメよ!」


 瑠海は咄嗟に人魚を切ると思い、彼の腰にしがみ付いた。しかし切っ先は網の口を縛っている縄に掛かっていた。


「お待ち下さい。殿下が、人魚を城へ運べとおっしゃったのです。」


「殿下が? まさか。」


〈早く出しなさいよ!〉


 瑠海は興奮して暴れる人魚に、彼女の声を真似て言ってみた。


〈待って。この人が何とかしてくれる。安心して。殺したりはしないから。〉


 それを聞きランドーが瑠海を見た。


「今の声は……お前か?」


「……そうだけど?」


 瑠海は唖然としているランドーを見上げた。街の者達も彼女を見ていた。


〈貴女、私の言葉が分るの?〉


〈えっ、何で? でも、あの……〉


 何が何だか分からず、混乱ぎみの彼女を見て人魚の方が首を傾げている。


「殿下には、私が直に申し上げる。」


「ですが……」


 尻込みする兵士の目の前でランドーは剣で人魚を捕らえた網を縛る綱を切った。網の口が緩み、ゆらりと海に泳ぎ出る魚体。


〈もう捕まっちゃダメよ。元気でね。〉


 人魚は瑠海の声に一瞬振り返ったが、勢いよく深く潜って姿を消して行った。


 ランドーは波間に消えた魚影を見もせず、城へ足早に戻って行った。






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