城の迷子

 暫くは何事も無く過ぎて行った。いや、何も起こっていなかった訳では無い。気が付くと瑠海は慣れない城の中で何となくいつも一人にされていた。分別の有る年配の者達は違ったが、大勢いる若い侍女達は遠巻きにしていて馴染んで来ないのだ。別にそれが苦になる性分ではなかったが、仕事の内容次第で支障をきたす事も有る。しかしランドーに聞かれた謎のと共に現れた得体の知れない女と思っているならば、仕方が無いのかもしれない、その内に何とかなるだろうと瑠海は思う事にした。


 今の所の瑠海の仕事は、城の庭に有ると言われている屋敷に住まいしているランドーの着替え、身の周りの片付けその他一式。そして厨房の朝食準備手伝いだ。


 普段家での掃除は普通に掃除機。洗濯は洗濯機。今となってはあれらが超の付く便利な文明の利器だったと嘆かざるを得ない。今はすべてが手作業で、要領を得ず時間がかかって仕方がなかった。時として見兼ねた年寄りのお手伝いが雑巾がけを手伝ってくれたりと、完璧主義ではないが女子として瑠海は少し情けない状態だった。


 例えば、ある嵐の夜の事・・・


 王子の食事中に、不意に吹き込んだ風に燭台が倒れ真っ暗になってしまった。


 瑠海は侍従長から大至急予備を持って来いと言われ、慌てて駆け出したが気が付けば蝋燭が置かれている倉庫どころか、使われていない地下牢の前にいた。


 城の造りは敵の侵入に備える為か、とにかく意味も無く複雑で、迷子になってばかりだった。夜目は効く方だが今度は戻り方が分からず、散々歩き回ってやっと辿り着いた出口である筈の地下入口は人知れず施錠されていてびくとも動かなかった。


 焦っても仕方が無い、食事の時間は終わった頃だろう。夜回りが来てくれるまで待つしかないのかと諦め、彼女は腰を下ろした。また自分の査定が下がるのは間違いない、とどうでもいい事で項垂れていると静まり返った空間に微かな足音が聞こえて来て、この時とばかり瑠海は精一杯の声で叫んだ。


「すみませ~ん! 開けて下さ~い!」


 木に鉄の枠が取り付けられた分厚い扉は、もちろん万が一の敵の侵入に備える為の物で、小さい声では全く外には聞こえないと侍女頭に言われていた為、精一杯の大声のつもりだったが扉の外の気配は無情にも遠ざかり消えてしまった。


 この城の全体像も内部も何も把握する暇も与えてもらっていない為に、どの位歩いたのか、どう歩いたのかも何も分からなかった。昼間であれば外の様子で何となく分かるが、景色も分からない夜は地下室だと言う事ぐらいしか分からない有様だった。


 ここには難攻不落の迷宮の様な場所も有るらしく、ここはもしかしたらそんな場所の一角で、誰かに気付いて貰えなければ、ミイラになる運命かもしれないと、しなくていい想像をして半ば諦め暗闇で蹲っていると、重い音を立てて扉が開いた。


 瑠海の中で、自分と言う存在がランドーにとってから、いつの間にか世話のやけるだけの出来ない使用人になりつつあると意識しても尚、蝋燭の明かりの中に立つ彼は、やはり自分を助けに来てくれた勇敢な騎士にしか見えず、例え彼が思い切り仏頂面をしていても瑠海は涙ぐみそうになった。


「……来てくれたの?」


「やっぱりここだったか。迷ったのはこれで何回目だ? 何故闇雲に歩き回る。お前は子犬か。ダメだと分ったらその場にいろ!」


「ごめんなさい。」


「大至急と言われたら三倍気を付けるんだ。」


「三倍って言われても……それより、頼まれていた予備の灯りを持って行かなくちゃならなかったのに……」


「心配しなくても、最初からあてにはしていない。他の者がちゃんと出してきた。」


「……そうだよね。私を待ってたら明日になっちゃうわ。」


「大体、何処に有るのかも分かっていない奴に頼む方が間違っている。」


「あん、もう、やんなっちゃう。私ってもう少し出来る女だったのに。何にも出来ない半端モノじゃない。灯りをもう少し点けてよ。それとか、城の地図くれるとか。」


 以前に城内の見取り図を頼んだら機密事項だからと断られたのだ。


「またそれか。作れない事情は話した筈だが?」


「ケチなんだから。勝手に作るから許可頂だい。」


「ダメだ。間諜に盗まれたらどうするんだ。頭の中に書き込め。」


「そんなに空間認識能力に長けてないのよ。覚えたら破棄するから、お願い。」


「だめ。つべこべ言ってないで戻るぞ。」



 

 城の中は、来月行われる王子の誕生祝賀会の準備で俄かに忙しくなった。


 祝宴には王子の花嫁候補の令嬢が来るらしく、特に入念な掃除が必要とされ、今日は、瑠海は軒下周り全般の蜘蛛の巣払いを言いつかっていた。


 女子連中は虫などの類が苦手ならしく、嫌なモノは取り敢えず新人に回せと言う料簡らしいが、瑠海にしてみれば反対に彼女等と接触しなくてもいいので好都合だった。


 一緒に作業をしている城爺が、捕まえたクモを殺さずに横の茂みに逃がしてやっているのに気付き、瑠海は不思議そうに声を掛けた。


「どうして逃がすの? また戻って来て巣を作るかもしれないのに。」


まじないでございますよ。」


 しがみ付く子蜘蛛を払い落とそうと、箒を振る城爺の頭には何本も糸がくっ付いている。


「この国では朝のクモは悪魔を退治した。夜のクモは良からん事を企むって言うんですわ。勇者を助けておけば何時か命を助けてくれるかもしれんでしょ。迷信ですがの。」


 城爺は太陽を見上げて目を細めると、瑠海の髪に付いた蜘蛛の巣を取ってくれた。


「色んな迷信が有るのね。私の国にも似たのが有ったかもしれない。」


 城で働く者の中には、ランドーが連れて来た風変わりな瑠海に距離を置く者もいるが、そればかりではなく、この城爺もいつも親切にしてくれる内の一人だ。


だとしても、夜に飛び回る害虫を捕る為の巣なのだから、クモは人の役に立つ生き物なんだと思います。だからワシは無暗に殺したくないんですわ。時には毒を持っているのもおりますが、そんなのは本当に稀です。」


 若い侍女達の瑠海に関する感情の多くは、発光現象とは無関係で、ランドーが彼女を気に掛けている事への妬みかもしれないと分って来た。


「確かにクモって、畑の作物を荒らす虫を取って食べてくれるわね。とにかく巣を張るならこんな人の目に立つ所はダメって事よ。」


 普段は自給自足の為に、兵士と言っても殆どが鍬や鋤を持っての農作業が多いのだが、今は丁度収穫期が終わった直後で祝宴は色んな意味合いを兼ねているらしい。




 掃除が終われば、次の仕事が待っている。


 午後は、厨房の女達が総出で地下蔵に入り、宴で使われる食器の種類と数を揃え、丹念に洗う作業が行われた。様々な銀食器類も一つの曇りも無い様に磨かれて行く。


 休憩は有るが、ゆっくりしている暇は無い。


 そんな所へエドがやって来た。忙しそうにしている面々を見て声を掛け辛いのか、そんなつもりは瑠海にも毛頭無いが、いつも彼のタイミングを読めない瑠海だった。


「瑠海様、あの……ランドー様がお出掛けになられます。同行するよう言い使って参りました。お早くお支度を。」


 言っている間にまっ赤になっているエドに、分かった今行く、と返事をしながらも作業は一段落とは行かずにいると、女中頭のマーガレットが瑠海に耳打ちしてきた。


「ここはもう良うございます。エドったら随分前からそこに立っていたんですよ。何が恥ずかしいのか仕方の無い子ね。あの様子だとそろそろランドー様がおいでになられます。お早く。」


 そう言われながらも動かない瑠海のエプロンの紐を解くマーガレット。


「えっ、そうなの? じゃあ行くわ。」


 しかし、主人の到着は意外に早かった。


「遅いぞ。何をしている。」


 エドが驚いて振り返ると、案の定、後にしかめっ面のランドーが立っていた。

 一同が手を止めて彼に会釈した。


 エドはその限りではなく息も出来ない様子で頭を下げた。


「申し訳ありません。ランドー様。」


 エドが謝る姿を見て、すかさず瑠海は、白い磨き粉が付いた布を女中頭に渡した。


「私が悪いの。怒んないで。」


 早速にも出掛けようとする彼女を押し留め、ランドーは咳払いし彼女の頬を堅い表情のまま指差した。


「おい、ちょっと待て。その奇抜な化粧を何とかしろ。」


 呆れ顔で言われ、慌てて磨きたての銀食器に顔を写し、何コレ。とか言いながらエプロンの縁で汚れを拭う彼女を見ているランドーの様子を、女達も見ていた。


「エド、お前は通常勤務に戻ってラキア達を手伝え。手が足りんそうだ。城壁の補修をするらしい。頼んだぞ。」


 一瞬項垂れたものの、気を取り直して彼は頭を下げた。


「分かりました。」


 

 






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