近いからこそ遠い存在

 その時だった‼

 ドスッ‼と、ベッドの上に何か大きなものが落ちる音がした。

 俺は、その方向に目を向けると、自分の弱さに幻覚を見た。

 ベッドの上には、淡い銀色の艶やかな髪に、透とおるエメラルドグリーンの瞳。少女はその瞳をうっすらと揺らめかせ、俺のことを捉えると飛び込んできた。

「アサヒ‼アサヒ‼」

「アビーどうし……」

 突如、現れた少女はアビーだった。

 現実を疑うような感動的な出会いだが……

「……ヤバいヤバい」

 アビーの勢いのあるタックルに車椅子が後ろに傾く。車輪が回ることなく椅子の部分がひっくり返り、俺は頭を床にぶつけた。

 アビーは、そんなことも気にせず再会の喜びを上げる。

「よかったぁ~、アサヒが生きていて。大丈夫?何かされてない。悪いところはない?」

 途方もくれる俺にアビーは全身をくまなく調べた。

 今だ状況が理解できない俺は呆然としていたが、上にのしかかるアビーに耐えられなかった。

「アビー……重い」

 その一言にアビーは目を細めた。

「……アサヒ。救いの女神に対して、重いは失礼じゃない」

「いや、その背中に背負っている大荷物所為だから」

「あっ、そうだったわね」

 アビーの背には、子供一人入っているのではないかと思うほど、大きなリュックが背負われていた。おまけに、肩にはサブマシンガンが下げられている。

 アビーは、俺の上から離れ、倒れた俺を車いすごと起こしてくれた。

 俺はアビーを見つめた。

「アビー、どうしてここに?」

 アビーは眉をひそめた。

「どうしてここにですって?それはアサヒが突然いなくなったから誘拐されたと思って、助けに来たに決まっているでしょ‼」

 俺は、自分が誘拐されていることをすっかり忘れていた。

「なんかごめん……」

「別にいいわよ。あなたが無事だったのから……本当に、本当に無事でよかった……」

 アビーの緊張の糸が切れた。

 数日間が募らせてきた思いが瞳から溢れ出す。

 俺は、そっとアビーの頭に手を乗せる。

「助けに来てくれてありがとう。アビー」

 もし立場が違えば、俺は耐えられただろうか?

 俺はアビーの無事を知っていたが、アビーは知らない。

 たった数日なのに同じ時間を歩んではいない。

アビーはすぐに感情を拭い立ち上がった。

「まだ、終わってはいないわよ。すぐにここから逃げないと」

(あぁ、そうか。逃げる、逃げないといけないよな)

 アビーは、俺の置かれている状況を知らない。おそらく、悪い人に誘拐されて、監禁されているぐらいしか思っていないだろう。

 ……それより、ちょって待ってよ。

「ねぇ、アビー。どうやってここに来たの?」

 当然のようにアビーとの再会を喜んでいたが、そもそもどうやってこの部屋にやってきたのか?

 扉からも、窓から入った様子はなく、まるで空から落ちてきたような感じがした。

 だが、ここは部屋の中で空から落ちてくることなんてできない。

アビーは、答えた。

「もちろん、転移魔術よ。まぁ正確には異世界転移魔術の応用、と言うよりも劣化版ね。あの指輪があなたの手元に行ったのだから、ピンポイントで転移できると思ったのよ。完成するのに数日はかかったけど……あの野郎がもっと材料を用意してくれれば、もう少し早く来れたのに……」

「それだ‼」

「どうしたの急に⁉」

 俺は、ついに希望を掴んだ。

「アビー、お願い‼転移魔術で王宮に連れてって‼」

「なんで王宮になんか?」

「理由は説明しづらいけど、とにかく今すぐ王宮に行かないといけないの⁉」

 アビーに俺の置かれている状況説明してやりたいのだが、当の本人ですら、このおかしな状況を飲み込むのに数日はかかった。全く無関係なアビーなら、理解されるどころか冗談であると笑われてしまう。

 それに説明している時間がおしい。

 だが、物事はそんな簡単にうまくいかない。

「……ダメよ」

「なんで⁉」

「なんでって、逆に聞くけど、私は誘拐されたあなたを助けに来たのよ。なんで王宮に行かないといけない話になるのよ。ここにいれば、助けだってくるのよ⁉」

 実にごもっともな意見だが、そうはいかない。

「だから、説明しづらいんだって、一言で言うと人を助けるために、どうしても王宮に行かないといけないんだ」

「それでも、ダメよ」

「なんでダメなんだよ。転移魔術で逃げる場所が王宮になるだけだろ」

「その転移魔術が余ってないよ」

「えっ?」

 何かの聞き間違いしたのではないかと、耳を疑った。

「だ・か・ら。転移魔術の余剰がないよ‼わかる?」

「わからない」

 単語の一つ一つは理解した。要するに手元に転移魔術に必要なインテムがないと言うことだろ。

 でも、なぜ?

 アビゲイルは賢いことは知っている。転移魔術が一個しかないなら、もう一つ予備の逃げる用が必要なことなど、わかっているはず。

 それでもないということは、一体どういうことだ。

「別に心配しなくてもいいわよ。政府と取引したからそのうち私が持っているウォッタの位置情報機能でリアリス王国の特殊作戦部隊が数分の内にここに派遣されるから」

「いや、ちょっと待って、よくわからないのだけど?」

 アビーは、困惑する俺に大きく息を吐いた。

「はぁ~、わかったわ。あなたにはすべて話すわ」

 アビーは一度、瞼を閉じ、そっと開いた。

「私にはね、転移魔術の知識なんてないのよ」

 それは衝撃的な言葉だった。

「でも、アビーは転移してきたよね?」

「えぇ、確かに転移魔術のインテムは持っているわよ。でも、あのインテムはお爺様からもらっただけ。今までずっとそれを使っていただけなのよ。だって、そうでしょう。私はまだ十四。そんな子供が世界を揺るがす知識なんて生み出せるわけないでしょ」

(……俺は、なんてバカなんだ)

 それもそうだ、俺と年の近い少女が世界を滅ぼしかねない知識を持っている方がどうかしている。

 普通に考えて、ありえない。

 普段の俺なら、絶対に信じたりはしない。

 この異世界なら、ヒロインが若くして強大な力を持っていてもおかしくないと納得してしまった。

(全く、俺は異世界に毒され過ぎだろ)

 アビーの言葉を信用しないわけではないが、だとしたらなぜという疑問が沸いた。

「じゃぁどうして、ずっと逃げているの?」

 アビーにはそもそも転移魔術の知識がない。いや、そんなのあり得ない。だって、俺自身がそれを体験している。それに知識がないなら、アビーの中心とした見えない闘争が茶番である。過酷な環境に身を置かず、知識はないと宣言すれば平和に暮らせたはずだ。

「それは、今のあなたと同じよ」

 今、俺と一緒?

(あぁそうか)

 実際、見て、触って、体験して、今さら『ない』と言っても誰も信用しない。あまりにも話が出来過ぎている。逃げるための嘘だと、そう思ってしまう。アビーは、それをわかって言わないでいた。無尽蔵にあると信じられていた方が襲われる回数が少ないからだ。

 アビーは、悲し気に呟く。

「私のこと、幻滅した?」

(……俺はバカだな、悲劇のヒロインかよ)

 何もできない俺はただ、待つことしかできなかった。

 アビーはいつだって、逃げ出すことも、目を瞑ることもできた。

 ひたすら、わめき散らすこともできたはずだ。

 それを数年もの間、あきらめずに生きてきた。

 たった数日の俺は一体何をやってるのだか……

「いいや、むしろ眩しいよ。だって、それでも危険に立ち向かおうとするなんてかっこよすぎるよ」

 アビーは思いが気ない言葉に頬を赤くした。

「はぁ‼いきなり何言ってるのよ‼私は、天才美少女魔術師よ。あんたみたいな凡人と一緒にしないでよ」

 一緒にするわけがない。明らかに遠い存在だ。

 今までどこか別の世界と思っていたが、同じ世界にいた。

 それでも、同じ世界の方がよっぽど近くにあって遠くに感じた。

「ありがとうアビー。俺も決めた」

 俺の思考はずっと停止していた。

 ただ漠然と人を助けると言う『正しさ』にすがっていた。

 あの時も、あの時も、誰かの意志にずっと流されていた。

 『正しさ』が正しいことなのだが……

 それは間違っていた。

「何を決めたの?」

 アビーは問いかけに俺は自分の意志でやっと答えた。

「なんとかして、王宮に向かう」

 答えは変わらない。

 だが、やっと決心がついた。

 ただ漠然と助けに行くのではなく、自分の足で前に進む。

 それで何が変わったかはわからない。

 たぶん何も変わらない。

 今まで引っ張られて進んでいた歩みを、ポンと押されて歩き出すぐらいの違い。

 結局、行きつく先はあまり変わらない。

 それでも、どんなにもがき苦しもうと、それが全くの無意味であっても、不思議となんとかできそうな気がする。

 それでもアビーは、甘い言葉を囁く。

「だからなんでそうなるよ。ここにいれば助けが来るのよ‼あなた今の状況わかっているの?人助けしている場合じゃないでしょ」

 だが、もう惑わされない。

「それでも俺はいくよ」

 車椅子のタイヤに手をかけ力一杯に前へ進んだ。

「ちょっとまちなさい‼」

「止めたってもう決めたから」

「違うわよ‼」

「じゃ何?」

 アビーの必死の呼びかけに一度だけ止まった。

「本当に王宮に行きたいの?」

「もちろん行くよ」

「すべてを投げ出しても?」

「あぁ、すべてを投げ出しても」

 アビーが一体何を探っているのかわからないが、俺の心は揺るがない。

「わかったわ。私が連れて行ってあげる」

「どうやって?」

「これで」

 アビーは、懐から銀のブレスレットを取り出した。

「それは?」

「正真正銘、最後の転移魔術のインテムよ」

「さっきもうないって?」

「いいえ、言ったのは、余剰分がないって」

「どういうこと?」

 アビーは、真剣な眼差しを向けてきた。

「いいよく考えてから決めて。転移魔術のインテムは、異世界転移魔術の核となる部品なの。これがなかったら、異世界へは転移できないの。さっきも言った通り、私にはこれを作る知識がないの」

 そこで声を強くした。

「だから、これを使って王宮にいったら、あなたはもう異世界に帰ることができないの。それでも、あなたは今までの人生すべてを捨ててでも王宮に向かう?」

 すこし前の俺ならおの問いかけに躊躇い持ったかもしれなかったが、もう迷いはない。

 俺はもう、いい感じに後先考えていない。

「もち……」

 それでも言葉を躊躇った。

 後先考えないからと言って、周りを犠牲にして意味ない。

「アビーはいいの?」

 その問いかけにアビーは首を捻った。

「なぜ、私?」

「だって、アビー。出会ったときに『このくそったれな世界からおさらばできる』って言っていたよね?」

「よくそんなこと覚えているわね」

「それって、アビーはこの世界から抜け出すために、異世界転移魔術を作っていたんじゃないの?もし俺がこれを使ったら、その夢がかなわないわよ」

「……」

 ただ興味本位で異世界転移魔術を開発したわけでないだろう。

 初めて出会ったあの裏路地で叫んだあの一言、アビーがずっと夢見ていたことに違いない。

 アビーは、嬉しそうに首を横に振る。

「私はいいの。あなたと一緒なら、この世界でも生きていけるわ」

「そう、ありがとうアビー」

 俺もそっとほほ笑んだ。

「どういたしまして」

「それじゃ、さっそくお願いできる?」

 俺は、アビーの手を掴んだ。

「えぇいいわよ。あなたのバカに付き合ってあげる」

 アビーは満面の笑みで答えた。

「頼りにしているよ」

 そうお願いすると、世界は次へと進んでいった。

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