尊い日常
また、朝が来た。
来る日も来る日も太陽は昇る。
そんな当たり前の日常が如何に尊いものなのかを命の危機に晒されて初めて理解することができた。言葉では理解していたつもりが経験してみないことには、真の意味で感じることはできない。
だから、俺は、今の日常を大切に過ごしている。
「おはようございます。殿下」
その声によって目覚めた。ベッドから体を起こし、霞んだ目を擦りながら、大きく体を伸ばした。
そして、いつも通り目覚めにメイド服を身に纏うお日様の姿を見る。
「おはよう、バッ……?」
だが、そこにはバレットの姿はなかった。
「えっと~、ルカさんでしたよね。どうしてここに?」
「はい、今日からバレット様に代わりまして、殿下の身のまわりのお世話をさせて頂くことになりました」
その代わりに屋敷の中にいたメイドの一人、長い赤毛が特徴的なルカがそこにいた。
「あの~ルカさん、バレットは、どうしたのですか?」
毎朝、勤勉にも……と言うよりも異常なほど朝の早いバレットがいないことがおかしい。
「はい、バレット様は、昨夜屋敷を立たれました」
「どこかに行ったってことですか?」
バレットは夜に行ったどこに行ったというのだ?
「はい、王宮のある都市ファビアに向かいました」
都市?なぜそんなところに?
食料を買いに?それとも日用品の補充?
バカか、そんなの夜に行く必要があるか?
どうして?なぜ?妙な胸騒ぎがする。
もしかして……
「あのルカさん。もしかして今日、国王の戴冠式がありますか?」
「はい、確かに今日は王宮で国王の戴冠式が行われる予定です」
(あぁ、クソ)
「お待ちください、殿下」
俺は、慌ててベッドから飛び出した。車椅子に飛び乗り急いで部屋を出た。
平和な日常は尊い。
だから、こそ守っていく必要がある。
だが、永遠など存在しない。
「殿下、どちらに行かれるのですか?」
「バレットところ‼」
結局虎の威を借りる狐に過ぎない。
俺は、バレットに何をした?
バレットは、俺に救われたと言ったが、俺は何もしてない。
バレットの命を本当に救ったのは、俺の父だ。
バレットは、ある男の話をしたときに一瞬見せたドロッとした負の感情。
最も慕う人を殺せれて、理解できないと言わないが……
(まさか、そこまでするのか⁉)
玄関ホールまで来ると、後ろから追ってきたルカが声を上げる。
「殿下‼一体、どうなされるおつもりですか⁉」
俺は、玄関の扉の前で止まった。
(俺は一体……どうするつもりなのだ?)
王宮に向かって、俺に何ができる?
もう十分に理解しているはずだ。俺がこの異世界で一体何を経験してきた?
俺が行動を起こしたところで事態が良くなるとは限らない。
それに考えすぎかもしれない。
バレットは、言った。
『この命に代えてもお守りします』と
「どうかなさいましたか?」
「いや、落ち着いたよ」
考えすぎ、考えすぎ、まだ決まったわけではない。
「それは良かったです」
「あの~ルカさん。少し一人になりたいので、部屋に戻ります」
「かしこまりました。朝食の方はどうなされますか?」
「大丈夫です」
「かしこまりした。なにかありましたら、お呼びください」
俺は車椅子を反転させ、一人部屋に戻った。
部屋に戻ると、ドッと疲れがのしかかる。
ベッドに倒れこもうとしたとき、あるものが目に入った。
ベッドの横のサイドテーブルに置いてある一枚のメモ。
そのメモを手に取った。メモにはたった一言言葉が添えられていた。
―すみませんー
その一言にすべてを確信してしまった。
『復讐』
バレットたちは、命を捧げた前国王を殺した現国王を暗殺するつもりだ。
だが、いかにバレットたちであってもそれが容易ではないこと俺でも想像がつく。
一国の王を暗殺することが如何に過酷で、苛烈をわからないほど愚かでない。
バレットたちは、それこそ刺し違える覚悟で臨んでいるはず……
もうここには帰ってこない。
それでも俺は、動くことは出来なかった。
バレットは死地に向かったとしても、動くことができない。
なぜなら、何もできないことを知っているから……
涙を流すことはなかった。怒りに叫ぶことしなかった。
ただ、漠然と天井を見上げ、己の未熟さに浸った。
「指輪?」
メモの下には、銀の指輪が隠れていた。
(魔除けのお守りとか、ものすごい魔道具だったり……それとも……)
嫌な言葉を振り払いながら、指輪を肌身離さないと左の手にはめようと試みた。指輪の直径が小さく人差し指には入らなかった。それでも順に指を試していくとある指にはまった。
(ハハァ、これは魔除けと言うより女避けだな)
左手薬指にハマった指を天井に掲げじっと、眺めた。
最初からこの日常が続くとは思っていなかった。
だが、あまりの居心地の良さにすっかりと忘れてしまった。
たった数日間。昨日の出来事がどこか遠く、夢であったかのように感じてしまう。
「やっぱりダメだ……」
重力によって悲しみが流れ落ちる。
(わかっている……ちゃんとわかってる……)
自分が何もできないことわかっている。
あの時と一緒だ。
甘い香りが漂うあのスイーツショップと一緒だ。
あの店から何も言わず、アビーは一人でいなくなった。
それを追いかけた俺の結末は、今でも心を縛り付けている。
バレットを追った先に、無力な俺を待ち受けている結末は……
(でもさぁ……)
それでも何かをできないかと考えてしまう。
それが何の意味もなく、ただ自分を苦しめると知りながら、やめることができなかった。
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