隠した笑顔

 夕暮れ時、風が少しずつ冷たく肌の奥が凍てつく。

 どこかモヤモヤとした気分を晴らしにだだっ広い庭園に出ている。

「心当たりかぁ~」

 足が動かなく心理的要因なんて、思い当たるわけ……

 たった一つだけ、『何か心当たりあるかな?』と、ホッチンズに聞かれた瞬間、引っかかったものがあった。

 直感を信じるなら、大抵最初に思い付いたことが正解だというが、それだけはありえない。

 だが、考えれば、考えるほど、俺はこの数日ずっと避けていたことを考えると……

「アサヒ様、大丈夫ですか?」

 車椅子を後ろで押すバレットが、俯く俺の頭に顔のぞかせてきた。

「いや、大丈夫だよ……」

「そうですか……」

 さすがにバレットの言葉にも浮かなさが見える。

 俺は自分の弱さを隠すため、バレットに尋ねた。

「そういえば、バレット。ホッチンズとやっぱり仲がいいだね」

「アサヒ様、冗談でもやめてください」

 バレットは、にっこりとした笑顔を保ちながらも声が冷たい。

「うん。ごめん。たぶん気のせいだったよ」

 その冷たい笑顔に押されてしまった。

「アサヒ様が誤解されるのも無理がありません。あの男とは一番長い付き合いですので、気の置けるところは否めません」

 ホッチンズに向かって銃口を向けること姿をよく目にするが、その行為で気が置けるって、変わった愛情表現である。

「やっぱり、仲いいじゃん」

「アサヒ様……」

(……うん、怖い)

「あの男との関係は利害関係でしかありません。私は命、あの男は私の体を、お互いの利益のためだけに顔を合わせているにすぎません。ですから、仲のいいと言ことは断じてありません」

 それでも、ケンカするほど仲がいいと思ってしまうのだが、言うのはやめておこう。

 利害関係と言っていたがイマイチよくわからない。バレットは命で、ホッチンズはバレットの体……

「体‼」

 バレットに驚いた目を向けた。

「大丈夫ですよ。私はすべてをアサヒ様に捧げておりますので、処女です」

「いや……うん……そんなことじゃなくて……」

 バレットがニッコリと爆弾に爆弾を放り込んで感情が打ち消された。

「えぇ~と、身体だってどういこと?」

 最初からそんなことは一切思ってない……。ちょっと驚いたが、思ってないよ。

 バレットはその答えと、手を差し伸べる。

「アサヒ様。お手をお貸しください」

「手?」

 突然のことだったが言われるがまま右手を差し出すと、バレットがその手を掴んだ。

 意外だったのだが、バレットの手の平は所々が堅くごつごつとしていた。

 そのまま俺の手をバレットの胸へと誘導された。

「ちょっ、何やってんの」

 唐突にバレットの胸を掴むことになった状況に戸惑いを隠せない。

「感じますか?」

 感じるって、あれだよ。柔らかいとか、プルプルしてるとか、もう最高ですと、言うのはどこか場違いな気がして口が裂けても言えない。だから、と言って、バレットの問いかけを無視するわけにもいかず、自分の考えが間違ってないのかと確かめた。

「えっとー何が?」

「心臓の鼓動です」

 あぁ~そっちね。そっちだと思ったよ。本当に……心臓の鼓動を感じるなら胸に手を当てることが手っ取り早いが、突然すぎて意図が読めなかった。とりあえず、指先に集中して振動を探った。

「……感じない」

 どんなに探ろうとしても、バレットの内側から感じるはず鼓動を捉えることができなかった。指を少しずつずらして、探ろうとしても見つけらなかった。

 自分の感覚を疑い始めたあたりでバレットが答えた。

「私には心臓と呼ばれる器官がありません。ここには心臓の代わりにバベルのコアが埋め込まれています。私はそのコアが作り出す魔力で生命を維持しています」

 『バベル』。アビゲイルのお婆様が発明した魔力増殖装置。都市を破壊するほどの爆弾に転用できると聞いていた。盗まれたはずのものがこんなところにあるとは……

「ホッチンズとは、私の魔道学的臨床データ。私は、バベルのコアの維持を、互いに利害が一致していると言うだけの関係でございます」

 バレットは、バベルのコアで生命を維持している。

 人体工学を専門とするホッチンズにとって、バレットの身体は人と魔道具が融合した検体で貴重な実験データを得られる。

 逆にバレットは、バベルのコアが不具合を起こしたときに専門的な知識を持った ホッチンズが必要とする。

 なんともあの二人らしい利害の一致だと思った。

「なるほど、よくわかったよ。でも、どうしてバベルのコアなんかがバレットの身体の中にあるの?」

 バレットはなぜか嬉しそうに答える。

「私は小さい頃。生まれ持った病に酷く侵されていました。それを魔道学士であった父が病を完治させようとしていましたが、何一つうまくいかず私は一度死にました。その後は良く存じておりませんが、父は私の死後にバベルのコアを政府から盗み出し、それを私の体に移植したことで私を生き返らせたのです。私の身体は、魔術によって血を巡らせ、崩れ落ちる肉体を留めています」

 アビーの話を聞く限りでは、『バベルのコア』の盗難は、悲劇の原因とも言える。だが、こんな風に使われていることを知ると、気が抜けてしまう。

「そうなんだ、バレットのお父さんは優しい人なんでね」

 暗い話に俺は、話題を締めくくろうとしたが……

「優しい人ですか?……いえ、確かに優しい人かもしれなませんが私は父が憎かったです」

「憎い?」

 バレットが思わねことを口にした。

「はい、憎かったです。私が生き返った数日後、父は国に見つかり銃で撃たれました。当然、一人になった私は、バベルのコアが埋め込まれていましたので、国に捕まり体内にあるバベルのコアを取り出されそうになりました。ですが、国王陛下、アサヒ様の父上様が『子供には罪はない』と世間に秘匿して私をお傍に置いていただいきました」

 バレットは、一つ呼吸を置いた。

「それでも私は、王宮内で過ごすうちに自分の生に疑問を持ちました。私がなぜ生きているのか、どうして、あのまま死んでいなかったのか、ですから、私に呪いのようなこれを残して死んでいた父が憎かったです。いっそ死んでいた方が楽なのではないかと思ったほどです……」

「……」

 完全に失言だった。

 バレットの父は命を賭してまでも自分の娘バレットを生き返らせた。それは簡単にできることではなく、並々ならね優しさがなくてはできることじゃない。だから、安易に優しいと言ってしまった。

 だが、実際はバレットの感じていたことは違う。

 バレットの人生はアビーと似ている。本人は全く無害であるのにイメージでだけで周囲から危険視される。

 バレットは多く語らないが父を憎むまでの過程には、おそらく想像を絶する何かがあったのだろう。

 バレットは、不安を口にした。

「殿下。私のことをどう思われますか?」

「どうって?」

「バベルのコアは使い方によっては数万と言う人々を殺すことができる装置です。そんな装置で人形のように動くこの体を……私をどう思われます?」

(どうと言われてもなぁ~)

「正直言って何も思わないかな」

 気が知れたバレットだからと言う点もあるが、一番の理由はあまりピントが来なくて、実感がわかないことが大きい。

「どうしてですか?」

「どうして?どうしてだろ、そう思うからかな」

「私のこと怖くないのですか?」

「そんなこと言ったら、バベルのコアがなくても人間は普通に怖いと思うけど」

 この異世界に来る前の俺は、八十歳ぐらいで病気になって死ぬとばかり思っていた。だが、可能性としては他の死に方もいくらでもある。

「いつだれにナイフで刺されるかわからないからね。バベルのコアがあってもバレットは、バレットだから怖くないよ」

 俺は愚かにも、赤の他人は自分と似たような考えを持っていると思っていた。俺が『人を殺さない』から、君も『人を殺さないよね』、みたいな……実際に人に殺されそうになるとわかる。

 これは幻想だ。他人の気持ちなんかわかるはずもなく、隣にいた善人が人殺しだったりすることだってあり得る。

 未知という物は、不安を掻き立てるにはいい材料である。

 だから、気心の知れたバレットなら、俺の命を取ることがないと漠然と思っている。

「そんなことより、バレットのことが心配かな。怖くないの?」

 自分のことばかり気にしているが、一番近くにいるのバレット本人だ。心臓の代わりだから、不要に取り出すこともできない。

「……」

「……」

「……」

「……?」

 一向に返ってこない答えにアビーの顔を見た。

「ごめんなんか変なこと言った?」

 バレットの頬に涙が伝う。

 まるで氷塊から溶け出す一滴の雫。太陽にはあまりにも不釣り合いな光景だった。

 バレットは、瞳から涙を解け流しながらもニッコリとほほ笑んだ。

「いえ、すみません。やはりアサヒ様は殿下だったですね」

 なぜ、突然バレットは涙を浮かべたのか、この一言で理解した。

(あぁ、俺と一緒だ)

 バレットはどこかで不信感を抱いていた。

 俺が、本当に王子であるのか?

 科学でいくら証明されても、そんな単純なものではない。

 一度死んだ人間が、ある日突然現れても、納得がいかない。

 だが、バレットは、俺の何気ない一言でそれを払拭することができた。

「私は、国王陛下の命で、殿下が生まれて間もない時に護衛としてお傍についていたことがあります」

 バレットは、自分の胸を抑えた。

「今でも覚えています。アサヒ様が生まれて間もない姿、小さな手で私の小指を握られた時の温かな感触、ババと初めて私の名前を呼んでくださった声、初めて自力で立ち上がられた瞬間。アサヒ様と過ごした安らかな時間をすべて記憶しております」

 そして、満面の笑みを見せる。

「そんなアサヒ様の無邪気なお姿は私にとって、何よりも救いでした。私にとって殿下はすべてなのです」

 バレットは、俺の前で両膝をついた。

「殿下、再び誓いさせて頂きます」

「バレット?」

「私は、この命に代えても殿下をお守りして見せます」

 そんなバレットの揺るぎない姿に思ってしまった。

(王子であることも悪くないかな)

 どんな理由であれ、誰かに慕われることは悪い気分にならない。それがバレットみたいな人ならなおさら……

 でも、王子になるつもりない。

 ただ、バレットの前だけなら王子であってもいいと思った。

「よろしくね。バレット」

「ハイ!アサヒ様」

 顔を上げたバレットの笑顔はどこか力が抜けたような木漏れ日のように優しかった。

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