外した視線

 太陽が真上を過ぎた頃、鼻を刺す清潔の香りが漂う白い部屋でホッチンズと対面した。

 車椅子にもたれ掛かる俺は、挫けた心から心情が吐露された。

「はぁ~、どうしたら、この屋敷から抜けだせますかねぇ~」

 相手の前で堂々と抜け出す宣言をしてしまうほどに、心は挫けてしまっている。

 そんな発言を聞いたホッチンズが、子供を見るような目でほほ笑む。

「ハハァ、苦労しているね、アサヒ君。でも、この屋敷から抜け出したとしても、ここは山奥の避暑地だからね。その体じゃ、結局のところうまくはいかないよ」

(山奥ねぇ~)

 薄々そうではないかと思っていたよ。抜け出しても、車椅子では街まで行けるはずがない。

「バレットはいつ寝ているのですかね……」

 三日続けて、夜遅くまで起きることとなった俺は、頻繁にあくびを我慢することがあるが、バレットは、いつも通り眩しい光で笑い続けている。

「たぶん彼女のことだ。寝ていないと思うよ」

「はぁ?」

 寝ていない?三日間連続して寝ていないってことだよな。それはさすがにお日様のようなバレットでもありえない。三日も寝なかったら、人は大抵体のどこかがおかしくなる。

「バレットの体は、まぁ、何と言うか、死して動くゾンビ。いや、人形と可愛く言うべきか、まぁ、特殊だからね。特に寝ることを必要しないんだよ。でも、精神的に寝ることもあるよ」

「……」

 うぁ~、変なものを掘り出した気分だ。

 これは深く尋ねることも、触れることも良くない気がする。

「そういえば、俺のこと何かわかりましたか?」

 早急に話題を変え、本題に入る。

 ここに来た目的は、数日前に行った身体検査の結果を聞きに来たからである。

「そう‼それなのだよ‼実に素晴らしいことがわかったよ‼」

 おっと、この展開。絶対、本題とはズレるぞ。

「アサヒ君、君、歳はいくつかね?」

 鼻息を荒くしてホッチンズは迫る。

「……十六ですけど」

 高校二年生で誕生まだ迎えていないため当然一六である。

「そうか、十六歳か、十六歳ね。なるほどなるほど。いや~長生きするものだね~そうかそうか……」

 いまに飛び上がって喜びだしそうな勢いだ。

「いや~おかしいと思ったんだよ。こちらの想定よりもアサヒ君が若すぎるのだよね。最初は発育不良によるものだと思ったけど。いや~そうきたかぁ~」

「あの~どうしたのですか?」

 この置いてけぼり感はどこかで覚えがある。確かアビゲイルと出会って直後のとか。

「あっごめん、年甲斐もなくはしゃいで。そうだな……アサヒ君、君は自分が何歳か知っている?」

「???十六じゃないんですか?」

 なぜか、自分のことなのに不安になってきた。

「間違いじゃない、間違いじゃないのだよ。まさしく君の体は一六歳そのものだよ。だがね、アサヒ君。君はこの世界じゃぁ二十三年前に生まれているのだよ」

 二十三年前……ってことは、俺この世界では二十三歳ってことになるのか。

 おいおい、それって大学を卒業して社会人一年目か、大学院一年生じゃないか⁉

「いや~素晴らしい、実に素晴らしい。二十三歳のはず青年が、今だ十六歳の肉体をしてる。これは二つの世界では流れる時間が違うことを指してるのだよ。まぁ、サンプルが一つしかないから断言はできないがそう見て間違いないね。いや~この仮説を出したときは久々に歓喜したね」

 俺も当事者ではなかったら同じく歓喜したかもしれない。正直、また王子であるピースがハマったと逃げ道がなくなった。

 この年齢に関する誤差はうすうす感づいていた。だって、国王暗殺事件が起こったのは確か二十年前で俺の年齢が十六歳。四年もの差があれば王子であるはずがないと思っていたから。

「でも、アサヒ君が十六歳だと、妹とのマリア様が二十歳で兄弟の年齢と立場があべこべで面白いことになっているね」

 ニヤニヤと笑うホッチンズに、ため息を付く。

「ホッチンズさん。話を元に戻してください。バレットを呼びますよ」

「さぁ、診断を始めようか。とりあえず、今日の調子はどうかね?」

 ホッチンズは、手のひらを返すように興奮を抑え込んだ。

 俺は、何気なく言ったバレットの脅しがここまで効果的なことに、過去に何があったのかと考えながら、質問に答えた。

「そうですね、ここ数日は妙に体にたまっていたダルさが抜けてかなり調子がいいですね」

 異世界に来た初日、人生最悪の一日と言っても全く問題ない一日を無事に過ごした。二、三日疲れが残っても、ここ数日何もしなけばだいぶ気が楽になった。

「それは良かった。健康であることは生きる喜びだからね。食事はしっかりととれてるかね」

「はい、出された食事は残さず」

「そうかそうか、まぁ確かにアサヒ君に用意したものパトロンのご厚意で一級品の食材が用意されてるからねぇ。味も栄養も問題ない。睡眠の方はどうかね?」

「それはまぁ~いろいろと……」

 脱出計画に深夜まで遅く起きていたから、よく眠れてはいない。

「ダメだよ~しっかりと寝ておかないと、それじゃ、性欲の方はどうかな」

これでもかもとニヤニヤと尋ねてきた。

「ブフゥー、突然なんですか!」

「いやいや、真面目な話だよ。三大欲求は健康に直結しやすいからね。特に思春期の君には性欲は三大欲求の中で盛りな時期だからね。それでどうなんだい?」

「いや~……」

 俺は人差し指で頬を掻きながら言葉を渋る。

「アサヒ君、これは健康に関して重要なことなんだよ。正直に答えてくれたまえ」

 この男、医者という立場を理由して俺のことを弄んでいるな。だが、会う人会う人は俺に対して畏まった態度を取る。息が詰まりそうだ。こういったバカ話をしてくれるホッチンズは、唯一素でいられる時間で気が楽で済む。

「そうでね……正直、辛いです」

「うんうん健康、健康。これでないと言われたどうしよかと思った。四六時中ファームと一緒で、身内びいきを抜いてもファームはかなり美人だからね、性格はちょっとだけど」

 大げさではないその主張に全面的に同意する。

「入浴中も、トイレも一緒だと辛いのも仕方がないよね」

「なぜそれを‼」

「ファームのことだからね王子であるアサヒ君ためなら、それぐらいはやりかねないからね」

 実際、ホッチンズが言ったことは起こった。悲劇というか、ラッキーというか、何を考えているのか。

 お風呂とトイレ。入浴時はバレットの前で全身を剥がされ、一糸まとわぬ生まれたままの姿を隅々まで見られるのはどんな羞恥プレイかと思った。トイレなんてもうずっと近くにいて、音の聞かれる恥ずかしさを思い知った……いろいろと溜まってしまう

「なんなら処理の方も頼んだらやってくれると思うけど……」

「!!!!!」

 ホッチンズの冗談には驚くが……

「ホッチンズ、アサヒ様がそんな下世話なことを考えているわけがないでしょ」

 いつの間にかバレットがホッチンズの背後にいた。いつ、どうやって、と疑問があるがそれよりもホッチンズの後頭部に銃口を押し付けていることに言葉が出ない。

「やぁやぁファーム。男同士の会話に覗きとはいけないなぁ~」

 後頭部に拳銃を突きつけられたぐらいでは、一つも怯むことないホッチンズ。

「あなたが変なことをアサヒ様に吹き込まないか、監視する必要があるので」

「ハハハァ、なんのことだか」

 後頭部に銃を付けつけられているのに和やかに見えるのは気のせいだろうか。

「お二人とも仲がいいんですね」

「はい、いいえアサヒ様。ご無礼を承知で申し上げますが、どのように解釈されましたらそのようの結論をだされるのですか」

「そうなんだよ、もう二十五年近い頃の仲だからね。親友と言ってもいいね」

 バレットは銃口を強く押し付けるが、ホッチンズはひょうひょうと笑顔を崩さない。

 友情は人それぞれだが、こういった形もあるのだな。

「ここだけの話アサヒ君。これでもファームは丸くなった方なんだよ。僕はね、研究畑の人間で医療技術なんて一つも持ってなかったけど、ファームと出会ってからケガが絶えなくてね。やむにやまれて医療技術を学んだというわけ」

「そんなに危ない目に?」

 銃を化粧道具のようにぶら下げるバレットは、過酷な戦場をいくつ渡り歩いているのだろうか、それについて行ったら、それはひ弱そうなホッチンズはなかなかついて行くのは大変だろう。

「いや、九割近くはファームにやら……」

「それ以上をアサヒ様の前で辱めを言うでしたら、こちらの引き金を引きますよ。ちなみに弾はスマート弾です」

 バレットは、どこからともなく先ほど持っていた拳銃とは一回り小さい拳銃を取り出した。

「いやいや、それはシャレにならない。今まで普通の玉を何発か食らったけど。スマート弾はあれだよ。スマートと言いながら、傷口を優しく広げて相手をむやみに苦しめる死の銃弾でしょ。さすがに死ぬから」

「いえ、威力が弱い分体内で反射して内臓をずたずたにするので、一発撃ち込めば相手を死に至らせるのですから、スマートかと」

「わかったもう何も言わない。こんなところで僕を殺したらアサヒ君の服に血がつくよ。だから落ち着こう」

 レットのピクリとしない表情に何を考えているかわからない。一緒にいてわかったことだが、彼女は冗談のようなこと言ったことはない。

「チッ……そうですね。お召し物が汚れるのは頂けませんね」

バレットは銃をスカートの中にしまった。

 ホッチンズは、ホッと胸をなでおろすと

「ファーム、ちゃんと真面目に役目を果たすから席を外してくれないか、僕には医者として患者の個人情報を守る義務があるんだから、君の前で患者の情報を話すことできないよ」

「闇医者のくせに立派の志ですね。今回の件が済んだら、どうせアサヒ様から得たことを学会にでも発表するのでしょ」

「するわけないだろ、医者として患者の個人情報は守らないと」

「そこは医者ではないとほざくのでしょ」

「ハハァ、なんのことやら」

 バレットにはすべてお見通しだった。ホッチンズは、医者だと言って患者の守秘義務を主張するが、そもそもホッチンズは医者ではない。医療の知識はあるが、正式には学者である。守るべき義務なんてないし、あったとしても守る人にはみえない。

「はぁ~アサヒ様、私は外で待機していますので不手際がありましたらお呼びください。その男をすぐに始末します」

 一礼をすると扉の方を向って歩き、部屋の外に出ていった。

 いつも通り嵐のような一幕だった。この二人は仲がいいのは確かだが、一緒にいるところをみると、心臓に悪い。

「さぁ、こちらも本題に入ろか、アサヒ君の足についてだ」

 ホッチンズはそう言った後真剣な面持ちとなった。

普段にこやかなホッチンズが急に真剣な表情をされると、あぁ嫌な予感しかしない。

「正直に言って、原因は不明だよ」

「それって、酷いってことですか?」

「いや、身体自体は、健康体そのものだよ。今すぐにだって、歩けてもおかしくない」

「じゃどうして?」

「そうだね。僕としては専門分野外のことを口にして、余計な先入観を与えたくはないのだけどね。ただ、一つだけ言えることは……」

 言い渋るホッチンズであったが言葉をつづけた。

「アサヒ君。君は心の病だな」

「心ですか?」

 体の異常でなぜ、心が関係しているのかわからなかった。

「発症している症状は珍しいものだが、病気自体はそう珍しくない。屈強な兵士ですら、戦場で起こった悲惨な出来事に帰還後多くの人間が心の病にかかる。普通に暮らしていたであろう君が今日この日までに起こった出来事を振り返れば、当然とも言える」

「……」

 聞いたことがある。

 PTSDと言われるストレス障害。戦争や事故などの強い精神的衝撃を受けることで生活機能の障害。戦場にいった兵士が仲間の死や常に死の危険に晒され、恐怖から精神的不安定になることが多く、これは強いショックから回避する行動だと言われている。

 確かにこの異世界でそれに当てはまるような経験したのだが、足が動かなくなる症状は、一体俺は何を避けようとしているのか……

「どうすれば、治りますかね?」

「さぁ、わからない」

 ホッチンズは、はっきりと口にした。

「僕は医者じゃないからね。具体的な治療法については、わからないよ。まぁ、心の病は、根本となる部分を克服すれば治ると思うけど、何か心当たりはあるかな?」

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