一度目

 やっと夜が訪れた。

 寝室に一人。

 さすがにバレットは、寝前まで付き添っていない。正真正銘の一人。ベッドの横に置いてあるベルを鳴らせば、バレットは飛んでくるが、それまで一人っきりだ。妙な背筋の力がこれで抜ける。

 今日の出来事を振り返れば、なんともバラエティーに富んだ一日だった。体験と言う経験がなかったら、ニヤニヤしてられるほど面白い。

 と、言うことで……

「逃げるか」

 車椅子に座り、不敵に笑った。

(今さら、王子なんてまっぴらごめんだ)

 今日一日は、ずっと屋敷の中を巡った。ただ巡ったわけではない。足は動かしていないが、しっかりと頭を動かした。

 屋敷の中にはバレットとは毛の色の違うメイドが数人と軍人風の男が数人。おそらくメイドたちは元々屋敷に仕える人たちで、軍人風の男たちはバレットを慕っている場面があったので、バレットの仲間だと考えた。

 それから、庭に出た時に出口も確認した。と、言うよりも屋敷を囲む塀がないため、そもそもどこからでも抜け出せる。見回りをする兵士もいない。

 結果、簡単に脱出できる。

「よし、行ける」

 俺は車椅子のタイヤを転がし扉の前に来た。

 ドアノブをゆっくりと回し、わずかな隙間を作る。そこから目をのぞかせ廊下の様子を見た。

「誰もいないな」

 ドアを開き、廊下に出た。

 窓から差し込む月光りが廊下をぼんやりと薄暗く照らす。廊下の先は、昼とは違い暗い壁がせり立つ。

 静かにタイヤを転がす。僅かな物音を聞き逃さまいと耳を立てる。

 バクバクと心臓の鼓動がうるさく響く。

「……」

 誰もいない、

 まるで無人を思わせるかのように物音ひとつ聞こえない。

 この状況、脱出を図るにはうってつけなのだが、なぜか嫌な汗が流れ出る。

 長大な時間を掛けたようなゆっくりとした進みで、玄関ホールの手前まで来た。

 廊下の隅から頭だけを伸ばし、周囲を確認した。

「誰もいない」

 タイヤを滑らせ、一気に玄関ホールを抜ける。

 拍子抜けするほど、何事もなく玄関の扉の前まで来られた。

 ドアノブに手をかけ……

「アサヒ様。どちらに行かれるのですか?」

「わぁ⁉」

 声に驚き背後を振り返ると……

「……」

 そこには暗闇の中で、うっすらと月光りに照らされ怪しく微笑むバレットがいた。

 俺は、ぎこちない笑みを返した。

「えっと~、お手洗いに行きたくって……」

 苦しい言い訳にバレットは、にっこりと笑う。

「でしたら、お手洗いはこちらでございますよ」

 バレットに車椅子を掴まれ、俺は来た道を戻ることになった。

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