天国?
瞳を開いた。
また、見慣れない天井。今度は白。一辺の曇りもない清らかな白。
「ここは……」
バッと上体を起こした。
今度はどこだ……雲のように柔らかなベッドは、三人は軽く横になれるほど大きい。部屋にある家具や調度品は妙に高そうなものが目に付く……ホテルのスイートルームを思わせるほど細部まで人の手が施されている。
これはどういうことだ?
最後の記憶が正しければ……
「おはようございます。殿下」
脇から聞こえた声に驚き、咄嗟に掛け布団を盾にした。上から目だけを出し正体を見た。
「メイド?」
自分の目すらも疑った。
深い黒に艶やかな光沢のクセのあるショートヘアー。スラリとした長身にふわりとしたセミロングのメイド服を身に纏う。にっこりとほほ笑む姿は、まるで太陽を思わせる向日葵のように華やかだった。
メイド服の女性は、両手でメイド服の裾を上げた。
「はい、これから身の回りのお世話をさせて頂くことになりました。メイドのバレット・ファームとお申します。何かお困りのことがありましたらなんなりとご命令ください」
朝、目覚めたらベッドの横で美人メイドがにっこりと、清々しさ朝を彩っていた。
何を、どう間違えたら、現実世界でこんな素晴らしいイベントが発生する?
想像もつかない。
甲斐甲斐しくメイドに世話されるなんて、実際は存在しない。幻想だ。そんなことが実在したら、なんとも羨ましいことかぎりだ。
と、言うことは……
「……天国?」
「いいえ、殿下。ここはリアリス王国にあるとある邸宅でございます」
軽い冗談にも、にっこりと笑った。
バレット・ファームと名乗ったメイドはレストランの配膳に使うサービスワゴンからティーポットを手に取った。
「もしよければ、お目覚めに紅茶はどうですか。ご一緒にクッキーも用意してございます」
「いただきます」
バレットはティーカップに紅茶を注ぎ、カップとクッキーが入ったお盆を俺の膝上に置いてくれた。
ティーカップを取るとファッと芳醇で爽やかな甘い香りが漂う。透きとおる濃い飴色。紅茶には親しみはほとんどないが高級なものだとわかる。
すでにひと肌ほどの温度の紅茶を一口口に入れる。口から鼻に抜ける香りはより一層濃密になる。
「おいしい」
普段の飲む紅茶はティーパックに入った安物の紅茶だけ、それよりも高価な物を飲んだことはないし、それより安い物も飲んだことない。後味にえぐみが好きじゃなかったが、この紅茶にはなく、すっきりとしている。
「お口に合って良かったです。王国御用達最高級マリーシャルの紅茶です」
最高級という単語に一瞬、カップ一杯の値段を考えてしまった。一旦、お盆に置き今度はクッキーを手に取る。
チョコが入ったチョコチップクッキー。見た目も質素で気兼ねなく食べれる。
「これもおいしい」
サクッとした食感に広がる甘さ。やはり甘さにはホッと心地いい幸せが含まれている。
「はい、殿下のために料理長には命をかけさせてもらいました」
「??????」
いま、可愛い笑顔から物騒な単語が出てきた気がするのだが……
「……その料理長さんにはこれからもおいしいクッキーをお願いしています」
「はい、そのようにお伝えします」
冗談だと思っているが、一応料理長さんの身はこれで大丈夫だろう。
もう一口紅茶を飲み、そしてクッキーをかじる。午後の優雅なひと時にぴったしのテイストだが……
「あのいっしょに飲みませんか?」
ずっとベッドの横で服にシワ一つ付けずに立つバレットにジッと食事姿を見つめられるのは、非常に食べづらい。
「私は大丈夫です」
「そうですか……」
はっきりとした断りに無理には勧められなかった。
なるべく手早く、だけど相手に気を使って早く食べていることを悟らない早さで済ませた。
「空いたカップはこちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
食器が空くとすぐさま片付けてくれた。
「何かお困りのことはありませんか」
「いえ、大丈夫です」
「かしこまりました。何かお申し付けることがありましたら。そちらのベルでお呼びください」
ベッドの横にある小さなサイドテーブルには、ちょこんとガラス製のハンドベルが置いてあった。
「ありがとうございます」
そう了承すると、バレットは深々とお辞儀した。
「では、私は一度失礼させて頂きます」
バレットは、サービスワゴンを押し、部屋を出る。
それを見送った俺は、一人になった部屋でベッドに倒れこんだ。
「あぁ、幸せだな」
メイドに甲斐甲斐しく世話されるなんて、一つ夢がかなった気がする。
体験してみると、そわそわと背中がムズかゆくなるが、悪くなかった。
こんな素晴らしいひと時が終わるのは寂しいが、今日の出来事を記憶にしっかりと焼き付ける。
俺はゆっくりと瞼を閉じる。
……
……
……
「夢じゃない‼」
バッとベッドから起き上がる。
「えっ?どういうこと?」
寝ても覚めても、夢から醒めない。
「落ち着け俺。落ち着くんだ……」
何がおかしい?何が間違っている?
この現実でおかしな状況とは一体?……
「殿下じゃなくて、そこはご主人様だろ⁉」
メイドなら、メイドらしく『お帰りなさいませ、ご主人様』が一般的だろ。
殿下ってなんだよ。『殿下』よりも『ご主人様』の方が発音が柔らかい感じで、一〇倍はかわいいのに……
「いやいや、そこじゃないだろ」
てっきり過酷な現実から生み出した甘い夢だと思ったが、やはり違うか……
これはまごうことなき、俺の現実。
記憶が正しければ、俺は怪しい男にスタンガンのようなもので気を失った。
「…………」
メイドとあの男をどうすれば、繋がる?
「……わからない」
もうこの世界がおかしいとしか考えられない。
思えば、最初からこの世界はおかしかった。異世界の文明レベルは……
「なに回想に入ろうとしている、俺。それじゃ、現実を先延ばしにしているだけだろ」
だが、扉の方へ目を向けた。
あの扉から、わぁと、アビーが現れてこの問題をまるっと解決してくれるんじゃないかと見つめた。
「まぁ、そんな都合がいいわけないか……」
コンコン。
「どうぞ‼」
あまりのグッドタイミングに声が上ずった。
「失礼いたします」
「……」
「あの殿下。どうかなされましたか?」
いや、うん。なんかごめん。がっかりするのはお門違いだよな。
「いえ、なんでもないです。それよりバレットさん、どうかしました?」
当然、扉から現れたのは、アビーではなくバレットだった。
「はい、殿下がお部屋でお困りのようでしたので、何かお力になれないかと思いまして」
確かに困っている。非常に困っている。
この世界のすべてを疑いたくなるほど困っている。
でも、なぜわかった?
バレットさんは、席を外していたはず……
「監視カメラ?」
一つの可能性を呟いた。
だが、意外にもバレットが慌てて否定した。
「そんな殿下の寝室に監視カメラなんてあり得ませんよ。そんなの恐れ多くてできません。でも……それもいいですね」
えぇ~なんでそこで高揚したような顔になるの?
これは絶対に触れてはいけない奴だ。
「それじゃぁ、どうして困っているなんてわかったのですか」
「はい、殿下。殿下だからです」
答えが全く答えになってない。なぜかバレットはその答えに満面の笑みを浮かべている。
「それでですが、殿下。なにに困っているのですか?」
あぁ、そうだったな。
困っていること、困っていること。
それはとてもシンプルなことだ。
だが、口が重い。
たった一言口にするだけで解決にするのに、同時に何かが崩れてしまいそうな気がする。
「逃げても仕方がないか……」
「?」
俺はバレットを見つめた。
「俺は、なんでここに連れてこられたのですか?」
バレットは、その問いに迷いなく答えた。
「はい、殿下。それは殿下の保護が目的です」
「保護?」
「はい、殿下。その通りでございます。おそらくですが、幼いときのことでしたので記憶がございませんでしょう……」
そう前置きした後、続けた。
「殿下は、リアリス王国第一王子エウソール・ディ・オーソ・サム・リアリスでございます。私たちは、ご主人様の父親であった亡きアビス国王陛下に忠誠を誓った者たちであります」
…………はぁ?……はい⁉
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