優しい夢

 茹で上がった俺の頭が上空で冷え覚まされたことで嫌な現実が見えてしまう。

「俺は一体何をしているんだか」

 そもそもだが、俺はなぜアビゲイルを助けようとしているのか……

(元の世界に戻りたいから?)

 アビゲイルが死んだら、異世界転移魔術は失われ帰ることができない。だから、助けに行く……

 それはない。

 アビゲイルは、『またね』と言った。それはまた出会えると言うことだ。死ぬ気なんてさらさらなかったようだし、敵に捕まるなんて考えてもいないだろう。大人しく待っていたら、事件のほとぼりが冷めたところでフラッと戻ってきていたはずだ。

(なら、俺は事件に巻き込まれているアビゲイルを助けたい?)

 そんなのはありえない。

 アビゲイルと出会ったのは、昨日のことだ。そんな相手に命を懸けるほどの思いがあるか……正直、一年以上付き合いのある同級生でも、本当に命を懸けられるかと言ったら、多分無理だ。

 自分の身は大切だし、なにより死ぬは怖い。

「そう言えばもう元の世界に戻れないのか……」

 あの廃ビルで身勝手ことを口にした。

 必死にもがき苦しみ、それでも巻き込まないようにと奔走していたアビゲイルに対して止めの言葉だ。

(元の世界に帰れない現実を振り払いたかったから?)

 それもないとは言わないが多分違う。

 あの時、あの場所でそんなことは考えていない。

 おそらく、憧れ。

(いや、この場合は嫉妬だな)

 憧れの異世界で俺は一体何をしてきたか……

 この世界で何も持たず何も成せない俺と、何かを持って何かを成せるアビゲイル。

 あの廃ビルで見せた弱弱しいアビゲイルの諦め姿に、何もできない俺は苛立った。

 アビゲイルなら、と思ってしまう俺は、全く弱く情けない男だ。

「あぁ~ダメだ」

 考えれば考えるほど自己嫌悪で死にたくなる。

「よし……」

 後悔先に立たず。

 今はこの状況をどうにかしないとな。

 まずは、状況確認。

 この場所は、森。大木が一面に立ち並ぶ森。

 後は……なにもない。

 人っ子一人いないし、近くに集落なんて贅沢なものは見渡らない。

 異世界初心者の俺が、この森がどこの森で、どんな森なんかもわかるはずがない。

 無闇に歩こうものなら、間違いなく遭難するのが目に見えている。

(まぁ、すでに遭難しているけどな……)

「これはアビゲイルが起きるのを待つしかないよな」

 また、『アビゲイルなら……』と言っていしまうのは、自分の存在価値を疑いたくなる。だが、もう同じ過ちを繰り返さないと歯を食いしばるしかない。

「それにしてもいい天気だな」

 木々の隙間から零れる柔らかな光。肌をくすぐる優しい風。ただ漠然と浸っていられる時間は、身体だけでも休まる。

 ……

 ……

 ……

「あぁ~もうクソ‼」

 とことん異世界は相性が悪い。

 異世界の森と言えば、魔獣とか、魔物とか、日本では考えられないほどの物騒なイメージがある。今この時も、狙われていると一瞬でも脳を過ぎってしまったら、もうモヤモヤが晴れない。

 まぁ、最近は異世界のことごとくが外れてるから多分心配ない……はず……ほんとにこの森は大丈夫なのだろうか……

 手元には、セリカさんからもらった拳銃が一丁。

 だが、あの広場で警察が発砲した銃弾が無残にも敵にはじかれているところ目撃してると、この拳銃が魔獣に一体どこまで通じるか疑問だ……

「よし、一つ試してみるか」

 異世界の定番とも言えば、世界の常識から逸脱したような主人公のチートスキル。

 俺には、その片鱗すら垣間見えていないが、もうそれぐらいあっていいだろ。

「ステータス画面オン」

 ……と、高らかに言ったものの、うん、出る気配ないよね。

 異世界チートの定番の一つ、ゲーム画面。わざやスキルを表示する画面だが、まぁそう簡単にうまくいかないし、そもそも一番可能性が低いものやったのだから当然と言える。

 本番はここからだ。

 木に背中を預けたまま右腕を水平に伸ばす。魔力の流れをイメージして右手に集めた。

「ファイヤボール」

 …………これ叫んでみるとかなり恥ずかしいな。

 これまた、よく耳にするような簡素な呪文を全力で叫んでみたが、右手から火が出る気配はない。やはり、魔術という物はそう簡単なものではないか。

 これはもうヤケだと、手当たりしだいに記憶の端から端にある漫画や小説の呪文を唱えていった。

「メラ…ファイヤ……火よ出ろ………燃えろ……………かえんほうしゃ……………エクスプロージョンもう、死ね‼くそ」

 最後の最後にただただ『ふざけんな』と込めて叫んだ。

「はぁ……はぁ……はぁ…………何が異世界チートだよ」

 異世界に来たからって何が変わる?

 神様に願って何になる?

 叫んだとしても、誰も助けてくれない。

「……もうわかっているよ」

 俺がやろうとしていることは冒涜に近い。

 アビゲイルの才能。

 それが神からの授かりものなわけがない。

 そこに至るまでに血のにじむ努力をして、途方もない時間を費やしたに違いない。

 俺は、今まで何をしてきた?何を努力した?

 そんな俺が力を何の苦労もなく手に入れようなど、努力の冒涜だ。

「だからこそ、憧れるんだよな」

 平凡な主人公がちょっとした出来事で強大な力を得て、英雄としての道を進む。

 だから、平凡な俺でもちょっとした出来事があれば、そんな道を歩むことができるんじゃないかと夢を見ることができる。

 それは甘えかもしれないけど、夢を見るぐらい自由でいてほしい。

 だが、これは現実。

 ちょっとしたことで世界を変えられるほどの力を得ることなど、幻想に等しい。

 嫌な現実ではあるが、現実はこんなものだよな。

「でもさぁ。それでも……」

 今は力が欲しい。

 何かを成すため、何かを守るため。

 そんな崇高な理由もためじゃない。

 単純に怖い。

 今頃になって死に恐怖を抱いている。

 向けられた銃口、肩を掠めた銃弾。

 死と言う存在を間近で触れてしまうと生きられていることが、いかに儚いかを思い知らされた。

 死が二人を分かつまで、共に歩くと運命づけられたこの命を守っていくには、やはり力が必要だ。

 だが、そんなもの俺の手元にはない。

「はぁ~、これからどうしよう」

 なんか絶望が一周回って、何もかもがどうでもよくなった。

「いっそ一度死んでみるか」

 なんてリセットして、あのスイーツショップからやり直せるわけもない。でも、できなくてもこの現実から……あぁダメだダメだ。まんざらじゃないと思う自分が怖い。

 差し迫った脅威はないのだから、アビゲイルが目覚めるまで休憩と体を休めることにした。

「‼‼‼‼」

 体が凍った。

 ごくわずかな雑音。聞き取るには小さすぎるほどごく僅か。だが、風で流れる木々の小波に大地を踏みしめる土の感触。ひどく懐かしく悍ましいほどに心地よい中に混ざることで背筋を這い上がるような寒さ感じた。

 周囲を見渡すと、目の端で何かを捉えた。喉が締めあげるような感覚に襲われ、咄嗟に姿勢を低く屈む。俺はゆっくりと気絶しているアビゲイルに忍び寄り、背中に担ぐ。なるべく低い姿勢のまま地面を這いつくばり、先ほどまで背にしていた木の後ろに回る。

 光から影に身が入ると影に潜み、一直線に走り出した。

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