少女の姿

 麻袋に誰かの手が掛かる。ガッと引かれ瞼から光が漏れる。ゆっくりと瞼を持ち上げ瞳に光を入れる。

 Tシャツにジーンズ。一瞬、男だと思った。だが、吸い込むような黒の長髪に、対照的な白磁の肌。あどけなさを残しながらも、甘さを捨てた少女の姿があった。

「アビゲイル?」

 銀髪であるアビゲイルとは、雰囲気が違うが、エメラルドグリーンの透きとおる瞳を見て、アビゲイルだと思った。

 少女は、俺の疑問をよそに、感情をむき出しにする、

「なんでこんなところにいるのよ‼何もできないのろまで、バカで、変態で、けが人で、あまつさえ捕まる暴挙、話にならないわ。言い訳があるなら、聞いてあげるわよ。最悪、半殺しで許してあげる」

「ア……ア…アビゲイル~」

 少女から発せられた声は間違いなくアビゲイルのものだった。

恐怖のあまり涙目になりながら、顔をすり寄せた。

 急いで現れたのか、かなり体温が高い。だが、その確かに感じる熱がおそろしくホッとする。

「なっ!なにしてんのよ」

 すり寄る俺を無理やりはがされ、俺は地面に尻もちをついた。

「アサヒねぇ~」

 アビゲイルは、拳を握り戦闘態勢になる。

 ふと冷静になってしまうと、涙目になりながら、少女の腰のあたりにすり寄る姿というもの、とんでもないことをやらかしてしまった。

 これは一撃を覚悟したが、アビゲイルは拳を下ろした。

「まぁいいわ。でも、質問には答えなさい」

 合理的な理由がない。結果良ければすべてよし、と英雄的な行動と称えられるには悲惨な結末である。

 無謀と、馬鹿と、失敗を重ね、自らの命と引き換えに自己責任で終わらせるならまだしも、アビゲイルに命を救われ、迷惑をかけては弁解のしようがない。

なら、被害を受け入れ、冗談交じりに言った。

「『またね』って、早い方がいいと思って……」

 バシンと強烈な痛みが頬に走る。

 腰と手首とスナップが良く効いた全力フルスイングに、手錠で手を床に付けることができない俺は体から床に倒れた。

「!!!!」

 強烈な痛みに身をよじりながら、無音の叫びをあげ床を転がる。

 結果、強烈なビンタを顔にもらってわかりづらいが、半殺しにされることを考えたら、ビンタ一つで済んだことは、かなりいい線をいっていた。だが、できればこれも避けたかった。

「はぁ~、それでどうしてこんなところにいるわけ?」

 仁王立ちで腕を組むアビゲイルの表情は、全く怒りが収まっていない。

 俺は床に転げたままその顔を見上げた。

「そっ、それは~」

 誰の物かわからない変なスマホに導かれて、ここに来ました。

 なんて正直に話したら、今度こそ半殺しにされる。

「アサヒ、あんた変な物でも拾ってないでしょうね。例えば、このウォッタとか……」

 そう取り出したのは、そのまさしく透明な板だった。

 俺はチラッと床に置いてあるそれを見た。

 アビゲイルの視線が床に移る。床に落ちた透明な板ウォッタを見ると、かかとを振り上げ、砕いた。

「あぁぁぁ」

 と、高価そうなものが無情に砕ける姿につい、跳ね上がる。

 アビゲイルは、その様子に冷ややかな眼光を向ける。

「アサヒ、あんたこれ誰に……いや、想像がつくからいいわ。私のウォッタに位置情報だけ送り付けたクソ野郎がいるのよ。もしやと思ってきてみれば、そこにアサヒがいたのよ」

 なんとご親切な人がいたものだ。

 俺の九死はその人に救われたのか。

「はぁ~、もういいわ」

 アビゲイルは、倒れている襲撃者に近づき、男たちを物色し始めた。

「その人たち死んでるの?」

 床で力なく倒れる二人を見る。

「ずいぶん余裕ねアサヒは。スタンガンで眠らせただけよ」

 その言葉にちょっとだけホッとする俺は、確かにろくでもないな。

「ねぇ、この手錠の鍵はない?さすがに動けないのは辛いのだけど」

「そのまま縛られていれば」

「いや、気持ちは凄くわかるよ。わかるけどさぁ、ねぇ」

 縛られたままこの場で一日中自分の行いを反省する必要は確かにあるけど、本当に放置されたら、今度こそ悪い大人に連れ去られてしまう。

「はぁ~。はい。これでいいしょ」

 アビゲイルは鍵を見つけ出し、手錠の鍵を開けてもらった。

「ホントありがとうございます」

「はいはい」

 と、アビゲイルは軽くるあしらい、再び男たちの物色に戻った。

 自由となった俺は、アビゲイルの横に立ち、その様子を眺めた。

「ねぇ、何探しているの?」

「情報よ。こいつらが何者で、どこの組織のものか、その手掛かりになる物を探してるのよ」

「見つかりそう?」

「まぁ、大抵は見つからないわね。もしそんなのがあったら、組織ごと抹殺されるからね」

 うぁ~、触らぬ神に祟りなしと言うが、アビゲイルはもしかして神なのか?

 抜け駆けしようものなら、組織ごと抹殺って、相当ヤバい神だな。まぁ、やるのは本人じゃなくて。周りの人間だと思うけど。

「やった、いいもの見つけた。この人たちあなたのファンみたいよ」

 アビゲイルがしたり顔で男から見つけ出したのは、一枚の写真。

 平穏な街中をアビゲイルと歩いていた時の写真である。隠れて撮られているため目線は合っていないが顔はばっちりと映っている。街中なので知らない人が映りこんでいるが、実にわかりやすく、俺の姿が赤ペンで囲われターゲットと書かれている。

「なんで俺が狙われているの?」

「さぁね。モノ好きでもいるんじゃない」

 テキトー、モノ好きってなんだよ。そんな理由で捕まってられるか。

 でも、俺単体で狙われるって一体何を考えているんだ?

「ほら、これ、一応持っておきなさい」

 アビゲイルは、男たちが持っていた拳銃一丁を差し出してきた。

「いや、もう持っているよ」

 俺の腰には、すでに拳銃が一丁据えられている。

「はぁ~、ってことは、やっぱりセリカの差し金ね。足止めを頼んだのに、一体何を考えているのよ」

 アビゲイルは、やはりセリカさんに俺の足止めを頼み、一人逃げる気だったのか……

「アサヒ、拳銃を持っているならいいけど、気を付けなさいよ。警察に見つかったら、銃刀法違反で豚箱行きだからね」

(またそうやって笑顔で余計なことを付け加える。絶対わざとだろ)

 うすうすわかっていながらも、仕方がないと気に留めないようにしていたが、はっきりと違法と言われると、今すぐに捨ててやりたい。

 だが、敵に捕まるぐらいなら、警察に捕まった方が幾分はマシか。

 やらなきゃ、やられる。人はこうやって武器を取るのだろ。

 アビゲイルはスッと立ち上がり、服に付いたホコリを手で払った。

「さぁ用事も済んだことだし……アサヒ、さっさとあの店に帰りなさい。私はこのまま逃げるから」

 アビゲイルは、甘い香り漂うセリカの元へ帰れと言った。

「いや、このままアビゲイルに付いていくよ」

 学習しない俺はそう答えた。

「はぁ!何考えてるのよアサヒは。私と一緒にいるとどういう目に合うか十分わかったでしょ。あそこに戻れば、セリカが守ってくれるから戻りなさい」

「それでも付いていく」

 あきれるアビゲイルにそれでも自分の意志を言った。

「ごめんなさい。優しく言ったつもりだけどちゃんと言わないとダメなようね。アサヒ、あんたが一緒にいても足手まといなだけ。邪魔なの。さっさとどこかいきなさい。何もできない無能なくせに、この天才美少女魔術師の私に付いてくるようなこと言わないでちょうだい。助けなんていらないんだから‼」

 その罵詈は優しさから出ているものだと十分にわかっている。わかっているが、こう面を向って言われると、多少腹立つ。

「そう俺も言葉足らずで悪かったけど、アビゲイルになに言われたって付いていくから」

「あんたバカなの。どうして私の言っている意味を理解しないのよ。その頭は空っぽなわけ‼」

「ちゃんと脳みそが入ってるし、理解もしてます‼」

「じゃなんでそうなるのよ‼私には自分勝手な実験なせいでこの世界に連れてきた責任があるの‼あなたを守る責任があるの。だから、安全なあの場所に連れてったのにどうしてわかってくれないのよ‼」

「なら、安全な場所に連れていた時点で十分に責任はとったよ‼ここにいるのは俺の意志。アビゲイルには関係ないし、責任なんてもうない」

「関係ないわけないでしょ‼私の問題に巻き込んでるのよ。どこが関係ないのよ‼」

「別にアビゲイルが悪いわけじゃないんだから関係ないだろ」

「現に私の所為で敵に捕まりそうになってるじゃない‼」

「それは俺の意志でここにいるんだから、俺の責任だろ‼」

「どういう発想になったら、アサヒの責任なるのよ‼ちゃんと私に責任取らせなさいよ‼」

「ふざけんな‼俺はアビゲイルのために助けになりたい訳じゃない。俺のためにアビゲイルの助けになりたいんだ。俺は俺の意志でここにいて、俺の意志で行動してるんだ。勝手に俺の責任を取るんじゃね‼」

 アビゲイルは固まった。ピタリと表情を固め、微動だにしなかった。

 そして、先ほどまでの威勢は消え、崩れるように言葉を漏らした。

「じゃ、私はどうすればいいの……」

 アビゲイルは膝から崩れ落ち床に沈み込んだ。顔を下げながら弱弱しい声でつぶやく。

「アサヒ、あなたの言葉は嬉しいわ。あの時だってそう、本当に嬉しかった。今までそんな言葉かけてもらったことないもの」

 あまりにも唐突な変化に声が震える。

「なら、一緒に……」

「でも、無理なの」

 言葉とは裏腹にそれ拒否した。

「最初は、私ならアサヒ一人ぐらい守れると思ったの。でも、うぬぼれだった。アサヒは銃に撃たれて、爆発に巻き込まれて・・・・・・結局、私にはアサヒを守る力がないの」

「そんなことないよ。だって、いまも……」

「もう耐えられないの‼私のせいで誰かが傷つくのをもう見たくないの」

 アビゲイルは顔を上げた。その表情は不気味な笑みを浮かべながらも、その瞳には涙を浮かべている。

「ねぇ、私はどうすればいいの?どうしたらいいの?」

 懇願ともいえる問いに言葉が出ない。

アビゲイルは、腰から銃を抜き出し、握りしめた銃をこめかみにそっと当てた。

「なにやってんだよ!」

 俺は、慌ててアビゲイルの手から銃を払った。拳銃は乾いた音を立てて床に落ちた。

「もうアサヒが無事でいるには私が死ぬしかないの。私なんて、生きてたって周りを不幸にするだけ。なら、死んだ方が周りのためになるでしょ……」

「なんでそうあるんだよ。アビゲイルは悪くないだろ、悪いのはアビゲイルを利用しようとする人間だろ。それにアビゲイルが死んだら悲しむ人だって……」

「それならあなたにもいるでしょ、大切な友人があなたの世界に……」

「それは……」

 そんなこと関係ない。そんなことどうでもいい。

 ……そんなことを軽々しく口にすることはできない。

「あなたにはあなたの人生があるでしょ。家族だって、友人だって、叶えたい夢だって……元の世界にはあるでしょ。それを私は自分勝手で、身勝手な理由だけでそれを壊したのよ」

「そんなことない。六日なんて壊したうちに……」

「もうないのよ‼」

「えっ?」

 それは……どういうこと?

「あの爆発で家ごと……異世界転移魔術は壊れたのよ。もうあなたは元の世界に帰ることはできないのよ……」

「でも、一度作ったならもう一度……」

「できないわ……私にはできないの‼」

 現実を振り払った。

「私はただお爺様の設計図を頼りに作っただけ、それでもなぜうまくいったのかわからないのよ。それも全部なくなった。本当にごめんなさい……」

 一遍に情報が入ってもう何が何だかわからない。

ただ、涙をにじませる少女の姿に無性に苛立ちを感じた。

「だから、だから、死ぬって言うのか‼」

「そうよ。私にはこれしか償う方法がないもの」

「ふざけんな‼だから、潔く死ぬって言うのか。なら、もう一度作ってみろよ」

「さっきも言ったでしょ。私には無理よ」

「無理でもやれ‼何年でも、何十年でも、それ以上かかったとしてもやってみせろ。天才なんだろ‼」

「あなたに私の何がわかるって言うの‼……私の何が……」

 言葉を拒絶し、砕け落ちるように顔を沈める。

「……絶対に認めない。そんな絶対に許さない‼」

「……」

 アビゲイルは、黙り込んだ。

 平行線をたどる歩みに疲れ果てた。

 俺は座り込むアビゲイルの手を掴んだ。

「触らないで!」

 アビゲイルにその手を拒絶された。

「うるさい。黙って立て!」

 もう一度力強くアビゲイルの腕をつかみ、強く引っ張りあげる。

 今度は、引っ張り上げられるがままアビゲイルは素直に立ち上がる。

 アビゲイルの体には力なくまるで人形のようだった。

 それでも何も言わず、アビゲイルを引っ張り部屋から出た。引く力に抵抗がなく、黙ったまま付いてきてくれた。

 俺にはどうすることもできないが、同時に目を背けることもできない。

 ビルを降りようと階段に差し掛かった時、コツコツと微かな音が聞こえた。下の方を覗くと見慣れてしまった怪しい人影があった。

(あぁくそ。待ったなしか)

 こんな廃墟に普通の人が来るわけもない。当然、敵だ。

 近くに敵をやり過ごせそうな身をひそめる場所もなく、急いで上階へ駆け上がった。アビゲイルも手に引かれ、階段を上っていく。

 とにかく駆け上がり、八階の屋上に出た。

 屋上は肌寒く、視界を遮るものがなく周囲を見渡すことができる。

「で、これからどうする?」

 屋上まで上がったのはいいもののこれでは解決にならない。あくまで時間を引き延ばしたにすぎない。

 やがて、敵が来る。その前に解決策を見つけなくてはならない。

 屋上の縁まで歩き、下を覗いた。飛び下りて助かるような高さでは当然ない。飛ぶことができれば……

 ポケットからあるもの取り出した。銀色の羽根。飛行魔術が封入されたインテム『フエリィー』である。

(これを使えればなんとか……いや、多分ダメか)

 アビゲイルが言うには高度な魔術過ぎて落下しかねない。魔術を使ったことをない俺にはリスクが高すぎる。

 ここに来てアビゲイルに頼るか?

アビゲイルに目を向けても頼める状態じゃない。

 なら、イチかバチかでいいから飛行魔術で飛ぶか。いや、やはりリスクが高い。

それなら戦うか。それはないな。思い上がりも甚だしい。

 いっそのこと敵に捕まるか。アビゲイルの知識が目的なら殺されることはないだろう。他の二つに比べれば生きられるチャンスがある。

(バカか、なら、いっそ俺は死んだ方がマシだどこまで俺はアビゲイルを犠牲にするっていうんだ)

 行き止まりに散々ぶつかり、もう時が過ぎるのを待てば……と、思ったとき、ズボンのポケットにある違和感に気づいた。

それが何かとポケットに手を入れ取り出す。手のひらを開きそれを確かめた。

「これならいける」

 その手に握っていたのは、路地裏で受け取った銀のペンダント。

 セリカさんの説明が正しいなら、これは転移魔術インテム。

 目を閉じた。

 アビゲイルの言葉を思い出して、このインテムを体の一部とイメージした。心臓の鼓動を感じ、押し出される血と共に意識を徐々に広げた。広げた意思をネックレスに集中させた。

「くそ‼」

 瞼を上げても変わらない世界に愕然とした。

 どうして?なぜうまくいかない?

 説明通りちゃんとしたのに……

 やっぱり説明が感覚的すぎたか。もう少し論理的な説明を聞けばよかった。

 いや、待てよ。

 確か……

「アビゲイル、この転移魔術のインテムどうやって使うの?」

 アビゲイルは、無言で折りたたみナイフと素手を差し出す。

(ナイフと素手を差し出されて、一体何をしろと?)

 はっと閃き、ナイフを取る。

「アビゲイルごめん」

 ナイフの切先で差し出された人差し指の腹にそっと刺した。傷から膨れるように一滴の血が膨れ上がり、ネックレスにその血を塗った。

 アビゲイルは路地裏で指の腹をナイフで切っていた。最初は狂ったのではないかと思ったが、そう言うことか。

 インテムには安全上セキュリティーがあるって言っていた。

 それが血。

 確かに強固なセキュリティーだが、なんだか自分の戒めみたいな気がした。

 ナイフを捨て銀のペンダントを握り、もう片方の手でアビゲイルの手を掴んだ。

 今度こそ、脳内で血の流れをイメージし、そっと祈った。

 すると、世界は一変した。

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