行きつく先……

 勢いよく外に出たものの現在、立ち尽くしている。

 それはそのはず、セリカと長い間、会話をしていた。どのタイミングでアビゲイルは店から出たかわからないが、それなりに時間は経過していた。

 アビゲイルのことだ、歩いた道に痕跡はおろか、パンくずだって、残しはしない。そんな相手をどう探し、どう見つけるのか、何も持たない俺にできるはずもない。

(パンくずじゃ、鳥が食べるか……)

 ふと、立ち止まっているといろいろなものが見える。

 今、立っている場所は、オシャレな店が立ち並ぶファッション街。数々の出来事で汚れた服も身に付けている俺は、かなり浮いている。道行く人に、怪しく見られたり、心配な眼をされたりと、様々な視線を感じる。

 それだけじゃない。このままアビゲイルを探して、もし見つけられたとしたら、俺に何ができる。十分思い知ったよ。俺が無力だと言うことを……

 今のところ、異世界に来て、特別な力を持った実感もないし、元の世界の知識が役立つようには見えない。魔法がある世界で、魔法が使えず、文明の進んで世界で、一世代前の知識しか持っていない。

 この事件はどう考えても俺の手には触れることすらできない。それこそ、巨大な組織の力や、伝説的な英雄の力が必要だ。

 まだ、微かに鼻の奥に甘いスイーツの香りが残っている。それはどこまでも甘く、優しい香り。わざわざ他人のためにかすかに残る甘い香りを捨てて、血と硝煙の香りを嗅ぐ必要はあるのか……

「いやいや、あきらめちゃ駄目だ」

 頭を振るい、前に進む。

「あっ、すみません」

 目の前にいた女性に気づかず、軽く肩をぶつかってしまった。女性は、一度頭を下げ、そのまま何もなかったかのように立ち去った。

 はぁ~、とため息を漏らし、再び歩みを進めた。


  ―ブゥゥゥゥゥゥ…………―


 聞きなれないメロディが鳴る。音はどこか俺から出ている。

 普段通り、上着のポケットからスマホをとりだそうとしたとき……

 ビリっと静電気みたいな痛みが手に走り、持っていたスマホを地面に落とした。慌てて拾い上げ液晶がわれてないかチュックするが……

 拾い上げたのは、スマホではなかった。アビゲイルが何度か操作していたスマホのような透明な板だ。

 俺は恐る恐るそれを耳に当てた。

「もしもし」

『その通りを右へ』

 三十代前後の男性の声。誠実で柔らかな声質だが、この異様な状態では、逆に身構えてしまう。

「誰ですか?」

 もちろん、声の主に聞き覚えなどない。

『その通りを右へ』

 正体不明の通話相手の男は、ただ方向を示す。

 このタイミングでの道を示す声。都合がいい解釈をしてしまう楽観主義かもしれないが、示す方向にアビゲイルがいるのではないかと、一瞬、脳に過った。

 だが、見ず知らず聞き覚えのない声について行ってはいけないのは、小学生でもわかる。それにだ、この最も必要とするタイミングに訪れた導きは、あまりにも都合が良過ぎて不信感を抱く。

『最後です。その通りを右へ』

「ちょ、ちょっと待った」

 容赦ない最終通告。

 今だ、相手が信用に値するか、合理的な理由を探しているところでわずかな時間も与えてくれない……

「あぁ~、くそ」

 この場に立っている時点で、俺には最初から選択しなどないことを気づいていた。悩んでいたことに悪態をつき、クルっと方向転換して通りを右へ走り出す。

『次の角を左へ』

 次々と男から指示が出る。そのすべてに従い前に進んでいく。

 電話越しからでも迷いのない言葉。まるでどこからか見ているかのようだ。周囲を見渡しても俺を追いかける、監視しているような人はいない。そればかりか、どんどんと人の姿がなくなっている。

 テレビドラマの知識で予想するに、街灯の監視カメラで見張っているか、携帯のGPS情報で位置がバレているか、それとも、想像も及ばない異世界の技術か。どれにしても見ず知らずの男は、そのどれかを為せるほどの力を持っていることになる。ただものではない。

 人気のない小道まで来た。それほど人の多い大通りから離れていないが、周囲が高い建物が並び日常の死角となっている。妙に肌寒く、空気が淀んでいる。

『赤い扉』

 声が聞こえると赤い扉を探した。廃墟となったビルのところに赤色の扉があった。ところどころ壁に大きなヒビがあり外装も崩れている。

 赤い扉に手をかけ、錆びついて重くなった扉を開き中に入った。

 中は建物を支えるコンクリートの柱は鉄筋がむき出しで、部屋を仕切る壁も穴が空いている。天井に並ぶ照明は見事にすべて砕け、床に敷かれたカーペットがはがされている。そこら中に瓦礫の山ができている。

 オバケでも出るんじゃないかと思う不気味な雰囲気に歩む足も慎重となる。

 廃ビル……ここにアビゲイルがいるとは到底思えないが、隠れ家の一つであるなら納得はできる。人気もなく荒れた雰囲気は、一般人には近寄りがたく、そうそう人も来ない。隠れ家としてピッタシだと思った。

『四階へ』

 階段に差し掛かったところで指示が出た。

 一段一段階段を上り、四階へ向かう。

 四階まで上がり切った。左右一直線に伸びる廊下には、いくつものドアがある。

『左、一番奥のドア』

 視線を左に向けると、明らかに毛色の違うドアがある。他のドアは、木製でできているが、左の一番奥のドアだけは鉄のような硬い質感をしている。

 何の迷いなく、廊下を進みドアの前へ。

 不安と期待。違うようで似た感情を胸に扉を開けた。

 扉の向こうは無機質な部屋だった。四方をコンクリートの壁で囲い、外のつながりは小さな窓一つ。床もコンクリートで人が住む部屋ではない。おそらく、元倉庫と言ったところだ。

 部屋の中に足を踏み入れ、辺りを入念に確認した。

 やはり、どこかに隠し通路があるわけでもなく、人がいたような痕跡もない。

(アビゲイルは、どこだ?)

 部屋のどこを探してもいない。

 透明な板をを強く握りしめ、耳元に当てようとしたが、その手が止まった。

(なら、なんのためにここに導かれたのか……)

 そのとき、扉の方から微かな音を捉えた。

 振り返った瞬間、体が硬直し、両腕を高く上げた。

 白い帽子に、白いつなぎ服、いかにも清掃員風の男が二人扉の向こうに立っていた。一人の手に掃除モップの代わりに拳銃が握られている。

 自らの過ちに怒り狂い自らを痛めつけてやりたいが、その権利すら俺には与えられる資格がない。

 みすみす、見ず知らずの男の言葉を信用して導かれた結果、子供でもわかるような結末をもたらしてしまった。

 人気のない廃ビルに来て、わざわざ逃げ道のない部屋に入った。罠にかかり、あとはおいしくいただいてくださいと言わんばかりの細やかさだ。

(あぁ、死んだな)

 普通ならここで、持っている拳銃を取って、ドンパチと敵と戦うものだが、拳銃を向けられた状態では、指一本動かすだけの勇気が出ない。

 このまま動かなければ、死ぬ。

 だからと言って動いても、死ぬ。

 どちらを選んでも死ぬなら、いっそ……

 そんなことが出来ればいいが、あまりの恐怖にどちらも選べない。

 拳銃を向ける男とは、別の男が近づいてきた。

 その男は高く上げた俺の手を掴むと、乱暴に背中へ回し後ろ手に手錠を掛けた。

 想像とは違った出来事に戸惑う俺だが、すぐに視界が暗くなった。

 顔を覆い隠すように麻袋を被らされた。

 手の自由がなくなり、視界が真っ暗。

(一体に何が?)

 すぐに殺されていないことにホッとするところだが、理解できない行動に戸惑いの方が大きかった。

 男に手首を掴まれ、引きずられるまま歩かされる。

 ドサッ、と大きなものが床に落ちる音がした。

 服が擦れる音、バチナチとはじけるような音、視覚を閉ざされ外の様子は音でしか入ってこない。

 俺を掴む男の手が叫びと共に離れた。

 そして、ドサッと、また大きなものが床に落ちた。

 ふぅ~と息遣いを感じ、コツコツと足音が近づく。気配を肌で感じられると、恐怖で身を引き、暗闇の中で目を閉じた。

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