背負う物
アビゲイルがこの部屋からいなくなったことで問題が発生した。
この部屋で、つい先ほどあったばかりのパティシエと二人っきり、同年代ならまだしも、どう言葉をかけていいものなのか、わからない。
空気が気まずい。
その気まずさを察してくれたのか、セリカが口を開いた。
「あなた、名前は?」
「アライ……アサヒです」
「私は、セリカ。セリカ・コルト。あなたは、アビー……アビゲイルとはどういった関係なの?」
自然な問いかけだが、言葉以上に含みがある。
明らかに疑いのある感じだ。友人、親友ではまず信用されない感じがする。かと言って、異世界人ですと、事実をそのまま述べれば信じてもらえるのか……
そう、言葉を選んでいると……
セリカの表情が微かにほころんだ。
「別に警戒しなくていいわよ。あの子は、素直じゃないからね。今までほかの人間と一緒にいるところなんて見たことなかったのよ。いや、いたら問題があるってわけじゃないのよ。ただ、アビーにも同年代の友人がいてホッとしているだけよ」
さすがに俺は考えすぎだったかもしれない。
色々ありすぎて、一挙手一投足が怪しく見えてしまった。
「それにしても、連れてきたのが男とはねぇ~。どこまでいったの?」
俺は手をパタパタとばたつかせた。
「いや、そんな」
「初々しいわね。それじゃ手をつなぐのもまだかしら」
「女の子と手をつなぐなんて……」
いや、あるか。しかもかなり最近。
でも、それが逃走とは悲しい話だ。
「あら、意外とやる子だったのね」
俺のわずかな反応から、心の声を読み取られた。
「でも、そんなあなたに一つだけ忠告……」
セリカは、突然にこやかな顔から真剣な眼差しになる。
「……アビゲイルとは縁を切りなさい」
突きつけられた言葉は、あまりに唐突だった。
「それがあなたのためにもなるし、あの子のためにもなる」
「……」
そんな唐突な言葉に俺は、言い返すことができなかった。
アビゲイルを襲う敵は、非力な俺では手に余る。いや、触れることすらできない。俺に何か秀でた力があるわけでもない。特別な何かを持っているわけでもない。
そんな俺がアビゲイルと一緒にいたら、火花ですら命を落としてしまう自信がある。
そして、彼女と共に行動したら、俺は、足手まといにしかしかならない。
俺のためでも、アビゲイルのためにもならない。
結局、セリカさんの忠告は正しい。
「すぐに言葉を返さない……あなたは十分に自分の立場を弁えているのね。別に悔やむことはないわよ。あの子の問題は、簡単に解決できるものじゃないからね」
「……できません」
だが、そんな簡単なものでない。
「アビゲイルと縁を切ることはできません」
「ふ~ん、それはどうしてなの?あなたはあの子のことが本気で好きなの?」
「それはわかりません。でも、アビゲイルと縁を切ったら後悔しそうな気がするからです」
「死んでも」
「……」
そこでまた、口ごもった。
俺の情けない姿にセリカが、声を上げて笑いだす。
「ブッ、ハハハァ。そこまでいったのなら、即決しなさいよ。それじゃあなたの気持ちがわからないでしょ」
(ですよねぇ~……はぁ~)
「でも、あの子が折れたわけね。なるほど、存外あなたは厄介な人ね」
セリカが何かを納得し、そして呟く。
「転移魔術……あの子を助けたいのなら、事情を知っておくべきでしょ」
「えっ?……」
「あぁ別に何も言わなくてもいいわよ。これはむしろ申し訳ないと思うわ。私には、手助けはできても救うことはできないから、あなたにあの子を救ってもらおうと思っているだけだから。それで、あなたが死んだとしても私は何も知らないから」
最後の通告とばかりに尋ねてきた。
「それでも聞きたい?」
「お願いします」
「そこは即決なのね。あなたのこと少し気にいったかも」
セリカは深く椅子を座り直した。
「あの子はね。転移魔術と呼ばれる魔法技術を持っているのよ」
「転移魔術ですか?」
異世界転移魔術じゃなくて、転移魔術。昨日今日、できた代物をセリカさんが知るわけがないか……転移魔術は、いわゆる異世界転移魔術の原型。
でも、狙われている理由が転移魔術って、俺は異世界転移魔術と聞かされていたから、アビゲイルに信用されてないな。
「そう転移魔術。遠く場所に瞬間的に移動することができる魔術」
「でも、なぜ転移魔術で?」
転移魔術ってあれだろ。テレポートとか、瞬間移動とか、魔法ものの話ならよく目にする魔術だ。そんなもので普通、命を狙われるか?
「転移魔術で?」
そこでセリカの目がより研ぎ澄まされた。
でも、すぐに元に戻った。
「いや、これも世代ね。『ゲート』が建設されたときはよくメディアが問題点を挙げていたけど、今じゃ普通だものね」
「『ゲート』?」
「あなたも知っているでしょ。転移魔術を使うための大規模施設。国家間を結び大量の人と物資を移動させる施設のこと。昔は危険だからって、多くの人が施設建設に反対していたのよ、信じられる?」
申し訳ないのですが、異世界初心者には初耳です。
なんて言えるはずもない。
すっかり忘れていたが俺は、この世界と異なる異世界人。この異世界の常識が完全に欠如している。セリカさんは『ゲートとは?』を『ゲートが?』と、勘違いしていくれたが、下手すればものすごく怪しい人になってしまうところだった。
でも、『ゲート』。説明からすると、オンラインゲームとかでよく見られる転移門みたいなものが想像できた。
「まぁ、そんなのはどうでもいいわね。あなた、あの子が身に付けている銀のネックレスを見たことある?」
アビゲイルと俺が爆弾騒ぎ直後に差し出してきたネックレスのことか。確か警察にもっていけば、保護を受けられるほど価値があるものだったはず……
(まさか⁉)
「あれが転移魔術のインテムよ。『ゲート』に比べたら、異常なほど小型化されて、持ち運びが可能、コストも従来ものと比較にならない」
このネックレスが転移魔術だったのか。
『ゲート』は建物であるから、小さくないことは容易に想像できる。それをネックレスほど小さくするなんて、スーパーコンピュータみたいな大規模装置をスペックそのままノートパソコンにしたみたいなものだ。
その技術価値は計り知れない。誰だって欲しがる。
だが、話には続きがあった。
「でも、最も脅威なのは、あの子の転移魔術はどこへでも転移できることよ」
(んっ?)
それこそ俺がさっき思ったように、あまりに物語には定番でありふれている。そんなありふれた転移魔術の力でどうして最も脅威と言える?
「『ゲート』は、発動するために転移先である座標に同規模の施設が必要でしょ。でも、あの子のは必要としない。政府の機密施設や国会議事堂、どんなに厳重な場所でも指定することを可能とする。犯罪者の手に渡れば、政府施設に爆弾を転移させることもできるし、大物政治家を誘拐したりなど、それが容易に行える。使い方によって、あらゆる悪事を可能とするのよ」
俺は、乾ききった喉で唾をごくりと飲み込んだ。
知識は、生き抜く武器となるが有害にもなりえる。
転移魔術はオンラインゲームで都市と都市を移動するためのツールとして、よくある設定である。だから、あまり気に留めることはなかったが、実際現実世界にあるとしたら、恐怖でしかない。
転移魔術がただ人や物だけを運ぶだけなら本当に便利なツールである。だが、運ぶ物が悪意あるものなら……例に挙げられた爆弾を飛ばしたら撃墜不可能、どんな強固な場所でも侵入可能なミサイルになる。要人暗殺、政府施設の破壊が容易となる。
「アビゲイルは国に保護を求めないのですか?それほどの知識があれば十分に受けれると思うのですけど……」
「それはクロスフィールド家の呪いか、あの子が転移魔術の価値を最もよく理解してるからよ」
「……」
一国、一組織が転移魔術を持ったとしたら、それは世界を支配できる。アビゲイルがそんな技術を国に渡すとは到底思えない。
だったら、そんな危険な技術を持つアビゲイルを技術が漏れる前に国が暗殺しようとしてもおかしくないはずだ……
いや、単純に殺すには、惜しいほどの技術と言うことか……なら、誘拐はして技術を奪えば……それができるなら、すでに国の機関がやっているはずだ……
(あぁ、誘拐なんてそもそも無理だ)
捕まえようとしても、転移魔術で逃げられる。
殺すには惜しいが、捕まえように捕まらない。だが、他国や他組織に技術の流出は是が非でも避けたい。
それを裏付けるのが広場でのテロリストを撃ったあの狙撃。流出を避けるために、敵が敵を撃つが、動かなくなっているアビゲイルを殺さなかった。
今回の事件は、それでもなんとかしてアビゲイルの技術を狙うもの犯行と言うこと。
「これでわかったでしょ。あの子の取り巻く世界が。それでもあなたは助けられるかしら」
「……も」
「答えはいいわ。でも、頑張ってね」
物語によくあるヒロインを取り巻く強大な敵。
あんな騒動と日々培ってきたオタク脳が当然のように導き出した答えだ。
だが、第三者がそれを口にすると現実なのだなと認識した。
(頑張る…頑張る……頑張るしかないのか)
ちっぽけな俺にはこれしかできない。
妙に気まずい空気の空間の中、ふと時間を気にした。
「あの~アビゲイルが着替えに行ってからかなりの時間が経っている気がするのですが、なんだか遅くありません。セリカさん」
「……」
セリカは何も言わず首を横に振る。
セリカもずっとここにいるのだから、わかるはずもないか……女の子の身支度は、時間がかかるとよく耳にする。それに、変装もしてるとなるともっと……
そこで、俺は 椅子から飛びはねた。
そのままの勢いで部屋を飛び出し、店内を走った。手当たりしだいに扉を開き店にある部屋を覗く。ドアノブに手をかけるたびに、心臓は大きく鼓動し嫌な汗が滴る。
店中を走り回り、最後にカウンターに行き、 店番をしていた赤毛の店員に尋ねた。
「あのアビゲイルを見ませんでした?」
表情険しく息を荒げ変な汗を垂らす知らない男から必死の問いかけにやや引きつった顔を浮かべるが答えてくれた。
「えっとー、アビゲイルっていう人がどなたかは存じませんが……少し前に黒髪の女の子が店をでていきましたよ」
黒髪の女の子……アビゲイルは銀色の髪。なら、まだ店の中に……
(いや違う)
アビゲイルは『変装する』と言っていた。前だって、銀髪から赤髪に変えていた。
クルっと走り出し、再びセリカのいる部屋に戻ってきた。
「セリカさん‼アビゲイルが……」
慌てて様子で戻ってきた俺に、セリカは、全く動じることがなく落ち着いて腰を据えている。
(あぁくそ、やられた)
心の中で、最大限の悪態をつき、部屋に背を向けた。
セリカは、知っていた。むしろ、頼まれていたのだろう。会話、仕草、それとなく、気づくべきだった。アビゲイルと言う人間がなんとなく、わかった気がした。強くて、賢くて、とても優しい。
「ちょっと待ちなさい」
セリカが俺の足を止めた。
「これ持っていきなさい」
ゴトンッとテーブルに拳銃が置かれた。
「でも……」
「これぐらいの覚悟は決めているのでしょ」
一度ためらったが、拳銃を取り腰に据えた。
「最後に一つこれは頼みのだけど……
……あの子の鎖にだけはならないでね」
最後の言葉が何を意味しているのか、わからなかったがその言葉を心に刻み、俺は走り出した。
そして、甘くて幸せ香るスイーツショップを出た。
店から、姿を消したアビゲイルを追って……
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