幸せの甘い香り

 アビゲイルがとある店の前で止まると、俺は目を丸くした。

「目的地ってここ?」

「そうよ、私の知り合いが経営しているお店よ」

 街中を慎重に進み、人に紛れながら訪れた場所は、パステルカラーで彩られた華やかなスイーツショップ。あまりにもきらきらとした感じに今までの過酷な世界の落差に単純な事実を受け止められずにいる。

 アビゲイルもうすうす感じているのか……

「大丈夫よ。期待は裏切るから」

「そうしてくれと嬉しい」

 本当に、本当に、この状況に合わない甘いスイーツショップが見た目通りでないことを願いながら店に入っていた。

 店内に入ると、香ばしい砂糖菓子の甘い匂いが漂い、緊迫とした体にわずかな幸せを運んでくれた。ショーケースに並べられた数々のスイーツはどれも思考が凝らされ、パティシエの技術力の高さがうかがえる。

 イメージ通りであるが、ショーケースの裏には、真っ白なコックコートを身に纏う女性の姿があった。

 コックコートからでもわかる細身の体に、コック帽からわずかにはみ出る茶色の髪。キリっとした赤い瞳は、どこか泡立て器を握るよりも、拳銃を握った方がしっくりくるように鋭い。

 女性は、アビゲイルの汚れた服を見るやカウンターから飛び出てきた。

「アビー、大丈夫だった⁉ニュースで爆弾テロがあったって報道してたけど、もしかしてあなた広場の爆発に巻き込まれたわけじゃないわよね」

「私は大丈夫よ。ねぇ、少しだけ匿ってくれる?」

「えぇ、大丈夫よ。それより体の方は大丈夫?傷を負っているように見えるけど……」

「えぇ、私はなんとか……」

 アビゲイルが視線を俺に向けた。つられて女性がコック帽を取り俺の顔を覗き込んできた。

「酷いわね」

 俺は、そんな女性の心配をよそに、目にしたものについ叫んでしまった。

「ケモ耳美人‼」

 女性のコック帽には、三角の可愛らしい耳が隠れていた。

(あぁ~なんて素晴らしいだ。念願の異世界らしさがこんなところで拝むことができるとは、もうなんか涙が出てきそう……)

「アビー、この子は本当に大丈夫なの?」

「残念だけど、もうダメ見たいね」

 なんて、二人の会話に我に返った。

 夢にまで見た異世界感につい叫んでしまったが、爆弾テロに遭遇した直後にあげる場面ではなかった。

 俺は、恥ずかしさに顔を下げる。

 それを察してくれたのか、女性は何も聞かなかった。

「いろいろ用意するから、アビーは先に休憩室に行っててちょうだい」

「ありがとう、セリカ」

 そう言ってアビゲイルは店の奥に入ってく。

 通路を進んですぐ右の部屋。更衣室も兼ねてかスチールロッカーが並び、長机が中央に置かれている。近くのパイプ椅子に腰を下ろし、つかの間の休息をとる。

 四方が壁に囲まれ息苦しい閉塞感がなんとも心地よく感じてしまうのは、守られていると実感があるからだろう。普段は抱かないがこれが当たり前であることは感謝すべきことだな。

「ねぇ、これからどうするの?」

 安全な室内に逃げ込んだとしても、事態は何も解決してないのだから、楽観視できるほど愚かではない。

 命を付け狙うテロリストがこの場所を特定したら、一瞬で元の地獄だ。

 なら、この平穏な時間を有効的に使わなくてはならない。

 と、言っても打開策を考えるのは俺じゃないけど……

「心配しなくてもいいわよ。私がなんとかするから」

 なんとも頼もしい一言である。

 どうするつもり?と、聞きたいところだが、さすがに疲れて聞く気が起きない。

「ねぇ、アビゲイル。俺の体って、顔をしかめたくなるほどヤバい?」

「はぁ~、その質問をしている時点でかなり重症よ。感覚がマヒしてる証拠ね。今日の出来事を考えたら、無事なわけないでしょ」

 今日あった出来事ねぇ~と、考えたがあまり実感がわかない。

「あまり意識すると酷くなら意識しない方がいいわよ……アサヒ、お腹すいているでしょ、ちょっと食べ物持ってくるわね」

「おい!」

 そう言って、一人部屋に残された。

 意識しないように意識することは、意識していることと変わらない。

(よくよく考えると、人生で一、二を争う悲劇に見舞われている。間違いなく一番だけど……)

 二度の爆発に、一度の襲撃。こんなバカげた現実は、映画館でポップコーンを片手に見ているのがちょうどいい。

 少し考えただけで、妙に体の痛みがはっきりと感じられるようになってしまった。全身にジワリと侵食する鈍い痛みが……

(いやいや、考えちゃダメだ)

 少しして、アビゲイルがお盆に様々なスイーツを携え戻ってきた。一口サイズの色とりどりのスイーツはどれもおいしそうだ。

「はいこれ、お好きなものをどうぞ」

 目で楽しめる技巧の光る見た目に、漂うまろやかな甘い香り、空腹な状態なら十分に誘惑される。

 ごくりと喉を鳴らし板状のチョコ一枚手に取る。シンプルな正方形のチョコを一口で口入れた。

「なにこれ。超おいしい」

 滑らか舌触りに、ほのかなカカオの香り。体温でゆっくりとさが広がる。

普段、口にするチョコは、スーパーに並ぶ百円の板チョコだ。どちらも黒一色と見た目は一緒であるが、中身は全く違う。掛けられた手間と使われた材料の質が別物だ。

「でしょ。ここのスイーツはどこもこんな感じでおいしいのよ」

「他にも食べていい?」

「そのために持ってきたのだから、別にいいわよ」

 そして、一つ、また一つと食べていった。

 つかの間の休息に張り詰めていた心もようやく溶けだす。

 ドアが開き、たくさんのものを抱えたセリカが部屋に入ってきた。手に持っていた黒のボストンバックに、小さな錠剤の入った瓶が二つを長机に並べる。

「アビー、預かっていたカバン……あなたはこの薬を一錠ずつ飲んでおきなさい。痛み止めだから今より多少マシになるわよ」

 受け取った小瓶から錠剤を取り、口にいれ飲み込む。

 アビゲイルは、カバンを手に取った。

「ねぇ、セリカ。武器は?」

セリカは一蹴した。

「欲張るな」

「なによ。か弱き美少女に一つぐらい心添えはないの?」

「ダメよ。素人が下手に武器を持つと敵に応戦しようとするから駄目。何も持たず逃げ一択の方が生存率が高いのよ。それにあなたの装備で十分よ」

「ケチ、じゃぁまたね、アサヒ」

 この場から立ち去ろうとするアビゲイルに俺は尋ねた。

「どこ行くの?」

「服を着替えるだけよ。あと、変装。バイバイまたね」

 アビゲイルは、ニッコリと笑い手を振りながら部屋から出て行った。

 こんな時に悠長に着替えをと言ったら、女の子には身だしなみが大切なの、と一発殴られそうである。

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