一本の電話
唯一と言っていい見知った道を、昼食を食べに行くと言って初めて通ること幾ばく、本来の目的など悠長に達成できることなく、戻る羽目になった。
小道から大通りへ出る角の手前、後はこの角を曲がり一直線に進めば、ゴールのアビゲイルの家に着く。そこで、設置型の転移魔術で遠くに飛んで逃げると言う寸法である。
「ねぇ、早くいかないの?」
大通りの角からちょこっと顔出し、様子を伺っているアビゲイルは、一向に出ようとしない。
「おかしい」
「何がおかしいの?」
狙われている身として、安全確認は大切であるし、罠を仕掛けるなら確実に通るであろうこの道に張るのが定石と言える。
だが、素人目から見る限りでは、大通りには人もなく、目立った障害もない。安全な気がするが……
「通りに人がいない」
アビゲイルはそう感じてはいない。
「あんな爆発があった直後だから、みんな家に引っ込んでいるじゃないの」
事件現場の広場からどのくらい離れているかわからないが、ここまで爆発音はしっかりと届くだろう。この世界の文明ならニュース速報でやっていてもおかしくない。身の危険を感じて外を避けるのは、当然の行動だと思うが……
「バカね。爆発現場からそれなりに離れているのよ。多少、混乱はあっても、人もゼロ、ましてや、車もゼロよ。いちいち、こんなじゃ。社会なんてあっという間に崩壊してるわよ」
「そういうものなの?」
「そういうものよ。もしかして、経験がないの?」
「そんな経験あるわけないだろ、あんなの一度だってごめんだ」
神奈川県川崎市在住。それなりに発展したところに住んでいる。だとしても、国内ですらテロ行為なってものは発生していない。そもそも滅多にあることじゃないから、経験なんてできるはずもない。
「平和な国ね」
「まぁ、それなりに」
「よく考えてみなさい。アサヒが思っているほど社会はシステマチックなのよ。人がいくら死のうが社会は動く。人のために社会があるのか、社会のために人がいるのか、人自体の価値はそんなものよ。あんな小さな花火一つ二つじゃ、街から人が消えることなんてありえない。アサヒだって、対岸の火事はいちいち反応しないでしょ」
皮肉交じりのだが、そう考えるとそうなのかもしてない。
ニュースに流れる災害事故に心を痛めるが、バラエティー番組にチャンネルを変えた同時に笑っている。実際、悲劇というものは、味わっていないものには、本当の意味でわかることはできない。
「わかったよ。確かにアビゲイルの言う通りだと思う。それでこの通りに何があるの?」
「それは何かあるかもしれない」
「何かって何?」
「知るわけないでしょ、そんなの」
覗くように見るだけではまぁ、見つかるはずもない。そんなので見つかっては罠の意味がない。
アビゲイルなら、見える景色が違うと思ったが、そうではないらしい。
「怖いの?」
「アサヒ、言葉を選びなさい」
今の迂闊だった。つい恐怖から見栄を張ってしまった。命を狙われているのだアビゲイルだって怖いに決まっている。
俺は超怖い。小鳥のさえずりや草木のたなびく音でさえ、乙女のように情けない叫びを上げそうなところをぐっと抑えて、首を振るだけに留めている。まるで、この街が恐怖のホラーハウスになったようである。
「私は天才美少女魔術師なのよ。慎重なだけで怖いわけないでしょ。ちょうど今行こうと思ってたところよ。ホラついて来なさい」
臆病者ではないと主張するため、小道から飛び出し大通りに出た。
アビゲイルの強気な性格でムキになって、注意が散漫になっていないこと願いたい。
「静かだね」
「まぁ誰もいないからね」
大通りを歩くも別段変わった様子はない。人がなく風の音しか聞こえない静かな街並みは不気味である。
そのあまりの静けさに耐えられなくなった。
「そういえば、転移魔術でどこ行く予定なの?」
なんて気を紛らわせるため、明るい話題を求めた。
アビゲイルも『こんな時に!』とは言わず、日常のように答えてくれた。
「そうね。特に決めていないわね。どこに行ってもあまり状況は変わらなし……アサヒは、海と山どっちに行きたい?」
「海と山かぁ~」
どちらもイベントに富んだ二択である。
海だったら、間違いなく海での水着イベント。可憐な少女たちがさんさんと輝く太陽の元で開放的な姿に目のやり場に困ること間違いなし、異世界の海の幸も頂いて食を満喫するのも悪くない。
山だったら、キャンプ。満点の星空を眺めながら、ゆっとりと風に当たり泥のように休みたい。山の幸も……以下略。
甲乙つけがたい選択肢にふとアビゲイルを見た。つま先から頭まで視線でなぞった。
「山だな」
「おい、なんで私の体を見て山って言った?」
「いやー、特に理由がないよ。水着イベントに期待できないからとかこれぽっちも思ってないよ」
「よし、表に出ろ。ぶっ殺してやる‼」
アビゲイルを容姿端麗であることは認めるが、身体の起伏がない。ビキニと言うより、スクール水着がぴったしだ。
戦意旺盛なアビゲイルだが流石に敵に狙われている状態ではむき出しにした牙を収めた。
「はぁ~まぁ、久々においしいドゥモアの肉も食べれるから山でいいわね」
「なにそれおいしいの?」
「それはもうおいしいわよ。なんたって市場に滅多に出回らないから幻なんて言われている逸品よ。現地に行かないとなかなか食べれないからね」
それはかなり期待できる。砂漠の真ん中でオアシスが目の前になると、重たい足も軽やかになる。
トゥルルルルルルルルル……
唐突に軽快なメロディがアビゲイルから鳴り響いた。アビゲイルは慌てて懐からスマホに似た板を取り出す。
静寂の中でよく響くメロディは敵に自らの居場所を公言してるようなものである。
アビゲイルも止めようとするが画面を覗いた途端、先を急ぎながらもウォッタを耳に当て、通話相手に怒鳴り散らした。
「アルバトロス‼よくもまぁぬけねけと私に連絡してきたわね。私がどんな目に合ってるかご存知?えぇまぁ、知ってるでしょうね。狙撃手の件に関しては感謝してるわよ。でもねぇ、こういうことは事前に取り除くのが契約でしょ‼」
相手はペンダントを渡すときアビゲイルが出した名前。確か、フラ……フラ…フランシスコ・ザビエル。いや、それは社会の教科書で落書きされるトップ5か……フランシス・アルバトロスか!警察に駆け込めば、出会える相手だから、警察関係者と考えるのが妥当か。アビゲイルにはそう言ったつながりがあるわけか……
アビゲイルの怒りはますます燃え上がる。
「はぁ‼突然だったから対応できなかった‼白々しい。あんたはそんな玉じゃないでしょ。わかっているわよ、何か企んでいるのでしょ。契約違反よ。あとでご機嫌取りの品でも用意しておきなさい。じゃないとぶっ殺してやるだから」
いやもう、どんな会話をしているか聞き取れないが、ここまで感情をむき出しにする当たり、アルバトロスと言う通話相手が相当嫌いなことだけは伝わる。
「それで、何しに連絡したの。まさかあなたに限ってお詫びを入れるためだけではないでしょ。要件を言いなさい。こっちも忙しいのよ」
相手のことは嫌いだが、信頼を置いている節はある。聞くべきところはしっかりと耳を傾けている。
なぜかアビゲイルは急ぐ足を止めた。あと数十メートルで目的地にたどり着くのにそれでも、足を止めた。
「はぁ?意味がわからない。その場で止まれ?こっちは今すぐにでも安全な……説明している暇はない‼どういうことよ。説明できないのなら……」
ドォーン
そこでアビゲイルの言葉が吹き飛んだ。
数十メートル先になる建物の窓ガラスが爆炎と共に吹き飛んだ。大通りに響いた爆音に耳を抑えしゃがみ込んだ。
「うそ、うそうそうそ」
アビゲイルは上げていた腕をだらんと下げ、感覚がやられた。放心状態に陥りながらも爆破された建物に向かった。
窓ガラスは跡形もなく吹き飛び、室内は業火の炎によって焼かれている。近づくだけで肌がヒリヒリと焼かれる。
アビゲイルは焼かれ、崩れていく建物を眺め、やるせない気持ちを通話相手にぶつける。
「これは……これはどういうこと。私の、私の家が吹き飛んだわよ。どういう事なの‼」
爆発で吹き飛んだのは、まさしくアビゲイルの家である。
「私を狙う組織の仕業?どうせ私の家に侵入者が入っていくところ見てたんでしょ。なんで防がないのよ……はぁ、関係ない‼私の知識が流出しなければいい‼ふざけんじゃないわよ‼」
そこで、通話を切る。
「あぁ~もうくそ!あのやろうくそ、くそくそ」
通話を終えても今だ怒りが収まらないアビゲイルにどう話しかけたらいいか……
唯一の頼みの綱であった設置型の転移魔術は、建物と一緒に吹き飛んだ。協力者と思しき人物も会話の限り、消極的で望みが薄い。謎のテロリスト集団もどこに居るのか……
案外、もう手を出さないのかもしれないが、現状楽観視はできない。安全な場所に隠れるにも、家が吹き飛んではその場所もない……。
(全く最悪だ)
マグマを吹き出すように怒鳴るアビゲイルを見ていると、こんな状況でも思考できるほどには俺は落ち着いている。
(さてどうするかぁ?)
この家が吹き飛ぶような状況、パニックで放心状態に陥らないことが奇跡なくらい普通の人間だ。頭を絞れば打開策が出るなど幻想に等しい。
なら、賢い人に任せればいい……ただ、頼みの人物が冷静な判断ができるかどうか。それどころか今にでも人を殺しかねない憤怒を覚えている。
(まずは、アビゲイルをどうにかしないと……)
いろいろと話を進める前に、話をする相手をどうにかしないと、話が始まらない。
(あれをやるかぁ……いや、だがあれ結構恥ずかしいんだよね……まぁ命よりはマシかぁ。あとで精神的な手当てを出してくれ)
俺は肺一杯に空気を吸い込み、それを一気に解き放つように叫んだ。
「$%&$&%“$$&#%‘$&”%$’#&%$‘%’$#%#‘“&%$’%#&”」
業火に燃える轟音よりも勝る叫びが周囲の建物に反響し近くにいたアビゲイルの鼓膜を突き刺す。
意外と叫ぶと気持ちがすっきりする。喉に奥につっかえていた小骨が取れた感じだ。
アビゲイルは耳を両手で塞ぎ、発生源を驚きよりも心配した目を向けてきた。
「アサヒついに頭でもおかしくなった?」
冗談ではなく、本当に心配されているところがもう一度叫んでやりたい。
「はいはい、これで冷静になっただろ」
俺がやったのは、自分よりも混乱している相手を見るとなぜか冷静になる、あれである。うまくいくとは思ってなかったが成功してよかった。最悪、怒りの矛先がこちらに向き、捌け口になることも覚悟はしていた。
アビゲイルは俺に鋭い眼を向けながら近づき、思いっきり脛を蹴ってきた。俺は、蹴られた足を掴みながらもう片方の足でケンケンとジャンプしながら痛みをこらえた。
「いきなり、何すんだよ‼」
「別に」
アビゲイルの目は、なぜか対抗心に燃えていた。
(そういうのは、他にも敵がいるのだから、別に向けてほしい……)
「アサヒ、ボケッとしてないで行くわよ」
「おぉ」
落ち着きを取り戻したアビゲイルは、燃え盛る家に背を向け通り歩き始めた。どこに?と、聞きたいところだがそんな声を掛けれるような雰囲気でもなく黙って後を追う。
アビゲイルの迷いのない歩みだけが最後の頼りである。
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