アビゲイル・クロスフィールド

 アビゲイルに支えられながら歩くと薄暗い路地に入っていた。路地には人影がなく、遠くでは人の叫びとサイレンが聞こえる。

 アビゲイルは、立ち止まり静かな路地に俺を下ろした。腰から腰巾着を取り出し慌てて身支度を始めた。例によって、手のひらほどの大きさからその何倍あるアタッシュケースを取り出している。

「いったい何が起こっているの?」

 さすがのさすがにこの状況は、飲み込めない。俺よりもいくつか冷静に対応しているアビゲイルをはさむことでなんとか咀嚼を試みる。

「おそらく抗議デモに対する過激な現王国派の爆破テロってところかしら……」

 だが、次の瞬間、アタッシュケースから小物を次々と懐にしまうアビゲイルの手が止まる。顔を深く下げ、目に見えるほど沈み込む。

「いえ違うわ。盗聴されていた。しっかりと確認したはずなのに甘かったわ」

「盗聴?……もしかして、『亜人』ことが聞かれたとか……」

 人権を保護する組織は、時として過激な行動に出ることもあるがさすがに過激すぎる。

「なわけないでしょ。あんたを殺すなんて鉛玉一発で十分よ。それより、鉄パイプでのひき肉にした方が効果的かもね。まぁ爆弾は使わないわよ。盗聴されていたのは、ここまでのこともそうだけど、私の家のことよ」

 アビゲイルのわずかに見せた表情が気のせいだったのかと思わせるほど、得意げに冗談を交えてきた。

「家?なんで家が盗聴されてるの?」

 どうして家が盗聴されていると爆弾なんかに食らう目に合う?家が盗聴されること自体肯定するわけではないが……

「少し考えればわかるでしょ」

 それは異世界初心者の俺でもわかって、爆弾を使う過激な行動を起こすほどの価 値があるもの……わからない。

 少しできた間にアビゲイルはすぐさま答えを入れた。

「狙いは私よ。私って天才で美少女だから色々な人に狙われているのよ。もうほんと天才美少女魔術師の宿命ね」

「……そんな冗談を言えるってことは意外と余裕なの?」

「冗談じゃなく事実よ。それにこういう時だからこそよ。現実を現実としてすべて受け止めようとするとすぐに心が壊れてしまうわよ。ある程度笑って心に余裕をもっておかないと本当の危機に対処できないわよ」

 アビゲイルは軽く言っているか、少女が発しているとは思えないほど言葉が重い。まるでいくつかの死線を実際に潜り抜けたような寒さがある。

「真面目な話。狙いが私なのもホント。いろいろな人に狙われているのもホント。目的は大方私の知識よ」

「知識?………わかった。異世界召喚魔術かぁ」

 大発明、世界初、こう言った世界を変えるほどの技術には、大銀が絡むものだ。最もシンプルで確実な人を動かす動機である。

 異世界召喚魔術になるとその価値は計り知れない。新しく未開拓な大地がポンと突如現れたようなものだ。

 土地、天然資源、現代文明において人が血で血を洗う戦争をしてまで手に入れようとしたものが国際法上のあらゆる縛りをなく手に入る。本末転倒になるが戦争を始めてでも手に入れる価値はある。

「……異世界召喚魔術?異世界転移魔術よ。変な名称付けないでくれる。まぁ概ね正解よ」

 と、考えるとあの爆発だって、メイン料理までの前菜みたいなものかぁ……

「でも、爆弾なんか使ったら、最悪、アビゲイルが死んで知識が得られないんじゃない。今回のは、アビゲイルと無関係だったり、偶然、通る道に爆弾があったり、とかじゃないの?」

「問題はそこよ。あぁ~もう完全にハメられた。クソ」

 アビゲイルは一人、怒りを爆発はさせる。

「ハメられたってどう言こと?」

 いつ?どこで?何をされた?

「私にわざと尾行に気づかせたことよ。私が国王の退位を要求するデモ隊に紛れて巻くことを予想して、その道に爆弾を仕掛けたの。そうすれば、あなたが思った通り爆発に巻き込まれた小市民の死体が出来上がるのよ」

 アビゲイルはあの惨状を見ながらも、自分のもう一つの可能性を他人事のように語った。

「もう一つ、アサヒが言った通り連中の目的は私の知識。爆発で死んだら、手に入らないのに一体何を考えているのよ。さすがにそこは理解できないわ。もしかしたら、本当にデモ隊へのテロ行為かも……」

 アビゲイルは、スッと立ち上がる。

「アサヒあと一人で大丈夫?」

「あぁなんとか大丈夫だよ」

 混乱してうまく動かせなかった体もアビゲイルの平常運転に流せれ、一人で歩けるぐらいまでには戻った。

「そう、それはよかった。じゃ縁があったら、また会いましょう」

 アビゲイルはできる限り背一杯の笑顔を見せつけ、一人この場から立ち去ろうとした。

 その予想外の行動にアビゲイルを呼び止める。

「ちょっと待って、一人でどこ行くの?」

 アビゲイルは立ち止まりこちらに振り向く。

「どこ行くって、逃げるに決まってるでしょ」

「一人で?」

 どこ行くかなんて聞いていない。なぜ一人でこの場から立ち去ろうとする。

「当たり前でしょ。あんたみたいなお荷物抱えて逃げてたら、私の命いくつあっても足りないでしょ」

 確かに狙われているアビゲイルが何もできない俺を抱えて逃げるとその分リスクが上がる。上がるのはわかるのだが、もっと他の言い方はなかったのかな。はっきり言われると少し傷つく。

「俺はどうすれば?」

「適当に逃げれば」

 アビゲイルはあっさりとそう言った。

「そのあとは?」

「う~ん確かにそうね。ここに来て間もないアサヒが逃げた後で頼れる先もないわよね」

 深くため息を吐きポケットから財布を取り出す。財布から数枚の紙を抜き出した。

「はぁ、持ち合わせこれしかないけどこのお金あげる。多くはないけど数日は生きられるわよ、路上で……私の家には危ないから近づかないことね。ことが済んだら探してあげるから、それまで生きてなさい」

「いやいや、勘弁してくれよ。元いた世界ならまだしも、この何も知らない異世界で生きていけるわけないだろう」

 俺の知る物語の異世界なら、主人公がどんな無一文、どんな場所であってもなんやかんやで生きている。

 俺も渡された紙幣がどれほどの金額かわからないが、アビゲイルが探し出すという数日なら最悪飲まず食わずでも生きていけるはずだ。

ただ、この方生まれてきて一度も温かな毛布がない生活などしたことがない。『はい、そうですか』なんて簡単に言うわけがない。

「それにアビゲイルの知識が狙いなら、俺は異世界サンプルとして狙われない?」

 危機感を感じると変なことを閃くものだ。

 アビゲイルの知識とは、比べ物にならないが、俺の価値もそれなりに高い。だって、この異世界にただ一人の異世界人。俺の世界での知識や俺自身の体は、人によっては喉から手が出るほどである。

「その可能性はたぶんないと思うけど……仕方がないからこれもあげるわ」

 アビゲイルは、首元のペンダントを外しスッと差し出す。

「これ持って、警察ところいきなさい。そこでフランシス・アルバトロスっていう人を出してと言えば、なんとかなるから。最初は断られるかもしれないけど、後で絶対会える。そしたら、アサヒがどんな奴でも手厚く保護してもらえるわよ」

「これは?」

「中身なんてどうでもいいでしょ」

 飾りっ気のない銀色の鎖。これを持っているだけで警察に手厚く保護を受ける逸品。このペンダントが一体何か知りたいが、確かにどうでもいいことか。

「じゃ、これであとは頑張ってね」

 アビゲイルは今度こそこの場から立ち去ろうと歩を進めた。

「ちょっと待って」

「今度はなに?」

「……」

 一体なぜ俺は呼び止めた。アビゲイルの言ことが本当なら、このペンダントで警察に保護されて困ったことは起こらない。なら、なんの問題ない。

だが……だが……それでいいのか?

「本当に何?早くここから離れないと危ないんだけど」

 アビゲイルに催促される俺は、ぐっと力を込め立ち上がる。

「やっぱり俺もついていく」

 自分でもどうしてそんなセリフが出てきた理解できない。ただ、それを口にした。

「はぁ、何言ってるのアサヒ」

「だから、俺もついていく」

 もう一度、口が勝手に動いた。

「わかっているの。私といると危険なのよ」

(あぁ、わかった)

 アビゲイルのことを放っておけないんだ。

 アビゲイルが言った通りアビゲイルと一緒にいると先ほどの爆発を受けたときと同じような危険がある。だから、アビゲイルは俺と別れて逃げようとしている。俺の安全を気にして言っている。

 だが、アビゲイルの危険はどうなる?俺と別れたところで何が変わると言う。

 今度は自分の意志ではっきりと口にした。

「それでも付いて行く」

 少女が命の危険に晒されて放っておくことができるほど、落ちぶれていない自信がある。なら、助けてあげないと、と心が騒ぐ。

 アビゲイルは髪の毛をかきむしる。

「あぁもう。勝手にすれば、もう一度言っておくけど私と一緒にいたら一人でいるよりも危険なんだからね。覚悟できてるの?」

「もちらん」

 アビゲイルは、あきれため息を漏らす。

「あなたバカなんじゃないの、本当に」

「あぁ、なんかそんな感じがする」

「後悔するわよ」

「絶対しない」

 そうアビゲイルに強い視線を送ると、アビゲイルは楽し気に笑う。

「もう好きにしないさい。絶対後悔させてやるんだから」

 そう言って、アビゲイルは、腰から折りたたみナイフを取り出し、その刃先で手の平を切った。

「ちょ、何してんの」

「気にしないで、必要な手順だから」

 深く傷を入れたことで手の平から血が滴り落ちる。

 あまりにも豪快な行動に『気にしないで』とは難しい話だ。だが、アビゲイルが『必要な手順』と言うのだから、そこは見て見ぬふりを決め込む。

「じゃぁ、それでこれからどうするの?警察に保護でも求めるの?」

「私、政府は嫌いなの。奴ら信用ならないもの。家に戻るわ。そこに設置型の転移魔術があるから、それで……」

 そこでしゃべるのが止まった。

 アビゲイルは左手で俺の肩を掴み力強く横に突き飛ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る