眠っている間に……

 バッと眠りから起き上がった。

 いつの間にかリビングの長ソファーに横になっていた。

「おはよう。随分、遅いお目覚めね」

 アビゲイルが、一人掛けソファーでタブレットのような大きな板をいじりながらあいさつしてきた。

「遅い?まだ日が差してけど?」

 窓の外を見れば、太陽の光が真上から降り注いでいる。

「もう次の日の昼頃よ」

「マジで……」

 俺は額に手を当てた。

 この異世界に来て、脳のキャパシティーが超える出来事があったとはいえ、一日中寝てしまうとはなんとも情けない。

 と、寝る前の記憶が妙な声を響かせる。

 

 『ゆっくり休みなさい。目覚めたときにはすべてが終わっているから』


 アビゲイルがそんなことを口にしていた気がする。

(これは一体、どういう意味だ?)

 目覚めた時にすべてが終わっているってことは、寝ている間に何かが起こっていること?凄く怪しい感じしかしないのだが……

 もしかして⁉

「ねぇ、コーヒーに毒を盛ったりしてないよね?」

 あのコーヒーを飲んで直後に眠気に襲われた。疑うようで悪いのだが、一応確認だけはしておこう。今後のために……

 アビゲイルは、板をテーブルに置いた。

「毒なんて盛るわけないでしょ」

「まぁ、そうだよな」

 さすがに疑い過ぎだったか。

 この世界に来て、いろんなものが信じられなくなっているからな。疑ったことを謝っておかないとな。

 と、口で謝罪の言葉を述べようとしたとき。

「盛ったのは睡眠薬よ」

「盛ってんじゃねぇか⁉」

「何言っているのよ。睡眠薬は毒じゃなくて、立派な薬よ」

 なんだよそのトンチ。お前こそ何言ってんだよ。

(あぁ~もうヤダ……)

「頭が痛い」

「頭痛薬あるわよ?」

「絶対飲まない‼」

 差し出された薬が頭痛薬とは、到底信用できない。

 一度、深く呼吸した。

「で、なんで睡眠薬を飲ませたの?」

 俺が見て取れる範囲で、何かをされたような形跡はない。アビゲイルが遊びだけで睡眠薬を飲ませたとは考えにくい。あまり知りたくもないが、知らずにいるのもなんだか気持ち悪い。

「それはアサヒの体を隅々まで調べるためよ」

「寝ている間に何やってんだよお前は‼」

「だから、身体検査だって言ってるでしょ」

「そうじゃなくて、そうじゃなくてな……」

 俺は、もうあきれて両手で顔を覆った。

 寝ている間に身体検査なんて、どう考えたってマッドな想像しかできないだが……

 あぁ~もう、今すぐこの家から出ていきたい。こんなヒロインまっぴらごめんだよ。

 ……でも、この異世界で頼れる相手がいないから、出ていきたくても出ていけない。

 そんなジレンマに悩んでいると、アビゲイルが補足した。

「何泣いているのよ。検査の結果は、無事健康だったのだから別にいいでしょ」

「……んっ?どういうこと?」

「だ・か・ら、アサヒは、この世界とは全く異なる世界から来ているのよ。何が体に悪影響を及ばすかわかったものじゃないでしょ。この世界の空気や水があなたには毒かもしれないでしょ」

「…………なんか、ごめん。本当にありがとうございます」

 全く持ってアビゲイルの言う通りだ。

 同じ世界でも惑星一つ違えば、生き物が生きていけないのだから、世界が全く異なれば俺が生きていけるとは限らない。俺がこの異世界に来た時点で即死だった可能性もある。むしろ、そっちの方が十分にあり得る。

 今、生きていたとしても数日後にはぽっくりと……健康チェックしておくことは、必要不可欠なことだったかもしれない。

 だが、釈然としない。

「でもさぁ、最初からそう説明していたら、わざわざ睡眠薬を飲ませなくても普通に検査を受けていたよ。第一、睡眠薬が本当に毒だったかもしれないぞ」

「あっ!………テヘッ」

 アビゲイルは可愛らしく舌をペロッと出した。

「おいっ‼」

 すこし見直しかけていたところだったが、確信犯だなこいつ。

「別に睡眠薬を飲んで問題なかったのだからいいでしょ。それに睡眠薬ぐらいで死んでいたら、それこそ生きていけないでしょこの世界で」

「うっ……確かに」

 ここで最低でも一週間近くは暮らすことになる。さすがにその間、飲まず食わずでいられることはまず無理だろ。必然的にこの異世界の水を飲んで、食べ物を食べることになる。睡眠薬ぐらいで死んでいたら、確かに生きていけないよな。


 ぐぅ~~~~~~


 俺の腹が盛大に食べ物を要求してきた。

「お腹すいた」

「そういえば、この世界に来てまだ何も食べてなかったわね。そろそろ昼だし、何か食べにでもいく?」

 何と言うか、先ほどの食べ物が毒かもしれない話を聞いたら、ちょっと気が……

「行く‼」

 人間は、三大欲求の一つには抗うことができないものだ。

「それじゃ少し待っていて。準備してくるから」

 そう言ってアビゲイルはリビングを後にした。

 しばらくして、戻ってきたアビゲイルは、白のトップスに黄色のカーディガンを羽織った外着に着替えてきた。手には、アクリルビーズのブレスレットが握られていた。

 アビゲイルはそのブレスレットを俺に差し出す。

「これ身に付けておきなさい」

「なにこれ?」

「認識阻害の魔術が施されたブレスレットよ」

「どうしてそんなものを?」

「あなた『ドッグ』に追われていたでしょ。それを身に付けていたら、追われることはなくなるわよ」

 『ドッグ』?それって、犬のこと?犬になんか追われてないけど……

追われる?そういえばそんな経験が。

「もしかして、あの宙に浮いていた丸い球のこと?」

 異世界に来た直後、けたたましい音を鳴らしながら、追いかけてきたあのドローンこと。今になっても、なにがなんだかわかっていない。

「そうよ。あれ『ドッグ』って言って、犯罪者を取り締まる自立型の監視カメラよ。犯罪者リストに載っている奴を発見するとサイレンが鳴るようになっているの。そのブレスレットは、そのドッグの認識を妨害する道具よ」

 ふ~ん、それは便利な道具なこと。

 あの一件でなんかもう白い球体がトラウマになりそうだからなぁ~。これを身に付けていれば、大丈夫ならありがたく身に付けておくか。

 ブレスレットを手に取ろうと腕を伸ばした。

「ねぇ、これは違法な物じゃないよね?」

 取る直前で手が止まった。

 このブレスレットは、犯罪者の敵ともいえる装置の認識を阻害する代物だ。これを持っている人間は、十中八九犯罪者と言えなくもない。普通に考えて、持っていい代物とは思えない。

 アビゲイルは簡潔に答えた。

「アサヒの存在の方が違法よ」

「あっ、やっぱり」

 中世風の世界観みたいな、まだ国のシステムが雑な世界ならまだしも、ここまで文明が進んだ世界になると、個人の情報がしっかりと管理されているに違いない。

 となると、この世界に国籍も、個人情報も持たない俺は間違いなく怪しい人物。捕まったらスパイ容疑で一生刑務所暮らしになる。

 俺は、ブレスレットを受け取り手首にハメた。

 こんなも身に付けなくても、このまま家の中に閉じこもっていたらいいのでは?

 そんな最もらしいアイディアをアビゲイルが吹き飛ばした。

「さぁ、アサヒ。とびっきりの異世界料理を食べさせてあげるわよ」

 俺は、この違和感のない異世界に不安を抱きながらも、それを上回ってあまりある好奇心には勝てなかった。

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