違和感のない違和感
「要するに、不慮の事故ってこと?」
俺は、アビゲイルが一人で住む家のダイニングルームで、椅子の背もたれにだらんと、もたれ掛かった。
「まぁ、そう言うことね」
俺は、その単純な一言にがっかりしている。
『たまたま……』『偶然……』アビゲイルが行った異世界転移実験で召喚された。俺の異世界召喚には、微塵も人の意が含まれていない。
やはり異世界召喚なら、『特別な……』『選ばれし……』なんかが定番で、憧れてしまう。だが、『不慮の事故』とは世の中そう面白いようにはいかないよな。
アビゲイルは、ダイニングのキッチンに立った。
「何か飲む?コーヒーと紅茶があるけど?」
「コーヒー。濃い目にお願いします」
頭をシャキッとさせるために濃い目を頼んだ。
アビゲイルは、蛇口から鍋に水を溜め、コンロで火にかけた。
俺は、ポケットから銀の指輪を取り出し、手の平で転がした。
「この銀の指輪が、俺の世界から物を採取するための探索機ってことだよな?」
「まぁ、ほぼその通りよ。その指輪はあくまで位置を示すだけのビーコンみたいなもので、実際は私が完成させた異世界転移魔術で回収するのだけどね。それを基準に半径一メートルあるものをこの世界に持ってくることになっていたのよ」
「半径一メートルねぇ」
俺は、その異世界転移魔術による回収に巻き込まれる形で一緒にこの世界に召喚されたということだが、広大な地球で僅か半径一メートルの事故に巻き込まれとは、全くツイてない。
「おい、ちょっと待て!もしこれが俺のズボンじゃなくて、俺の足元に落ちてたらどうなっていた⁉」
「それは、あなたの下一メートルが、この世界に来ることになるだけのことよ」
「大惨事じゃねか‼どんな猟奇的な絵面だよ‼」
「仕方がないでしょ‼それが精いっぱいの大きさなんだから。そもそも人間が来るなんて想像してなかったわよ」
(それぐらい勘定に入れとけよ)
左ポケットにこの指輪が転移されていなかったら、俺は今頃、下半身とお別れをしていたことになる。
そう考えるとツイていたな、俺……。
「なぁ、一つだけはっきりと答えてくれないか……」
俺は、重い声色でそう前置きした。
異世界転生ならまだしも、異世界召喚だと気がかりなことが一つある。
異世界転生は、元いた世界で事故や病気によって死を迎えた後に、新たな生命として異世界に生を受ける。
でも、異世界召喚は、それこそ何の脈絡なく異世界に飛ばされる。言い換えるなら、一種の誘拐に近い。
突然、あの世界から俺と言う存在がいなくなったら、今頃元の世界では大問題になっているだろう。
死ぬことよりは、誘拐された方が問題として多少小さいが、何もないよりは、死体の一つもあった方が周囲の気持ちの整理がつけやすいはず……
だから、俺は確認しておかなければならない。
「俺は、元いた世界に帰れるの?」
まだ、やり残したことがある。
血のつながりのない俺をたった一人で育ててくれた母に恩返しの一つもしなくては死んでも死に切れない。
アビゲイルは、俺の質問に対していとも簡単に答えた。
「帰れるわよ」
「…………えっ?」
今、『帰れる』って言ったよな?
「なに、悪魔が聖水を浴びたような顔しているのよ。ここの世界に来る方法があるのだから、当然行く方法もあるに決まっているでしょ。それにその指輪があなたの世界に送れているのがいい証拠よ」
とんでもなく普通のことを言っている気がする。
(それはその通りなのか……)
異世界もので主人公たちが元いた世界に帰るために、多くの死闘を繰り広げていたものを考えると、てっきり帰れないものだと諦めていた。
いやいや、まだホッとしてはダメだ。こういう時は大抵別の問題があるものだ。
例えば……
「帰れるって、今すぐなわけないよ?」
帰れたとしても、一年以上、十年以上、先では意味がない。
高校生の俺が、一年先に帰れたとしても高校の出席日数が足らず、同級生を先輩と呼ぶ目にあってしまう。それはマジで避けたい。
「さすがに今すぐは無理ね」
アビゲイルは、首を横に振った。
(ほらやっぱり。異世界もののテンプレだ)
世の中、そうそううまいようにいくはずがない。
「でも、三日。安全を期するなら、六日はあれば戻れるわよ」
「六日⁉」
俺は、椅子からバッと立ち上がった。
「なによ。戻りたくないの。さすがにこれ以上は短くはできないわよ」
「それは戻りたいけど……」
俺は、椅子に座り落ちた。
水が湧き出すブツブツとした音にアビゲイルは、コンロの火を止めた。
アビゲイルが作業を始めたことで話し相手のいなくなった俺は、太陽の光が差し込む窓の外を眺めた。
元いた世界に帰りたい。
それは、間違いなく本音であるが、あっさりと帰れると少しだけがっかりだ。
『異世界』と言う単語に夢を見ていた。
わくわくするような冒険、熱くなる戦い、そして、憧れる女の子たちのハーレム生活。
そんな日々が待っているのではないかと思わなかったわけではない。
だが、プレゼントの箱を開けてみれば、中に入っていたのは……
「はぁ~、現実ってそんなものだよ」
子供頃、サッカー選手に憧れていたが、厳しい現実にそうそう諦めを覚えたものだ。
ごく最近なら、高校生活。
中学生の時は、高校生活と言うのは『学園ラブコメのような』と、までは言わないが、毎日が桜色のような甘酸っぱい青春を送れると期待していた。
だが、実際は女っ気の一つもない、中学時代とは変わらない生活だった。
それが悪いものとは言わない。
男友達とのバカ騒ぎに、賑やかな学園イベント。十分楽しい生活を送っている。
それでも、文化祭や体育大会のビッグイベントの呆気なさに妄想との落差があり、なんとも味気ない。
高校二年生になって、大学受験への先生からプレッシャーというもの全く明るくない。
現実なんて物語のように輝いてはいなかった。
アビゲイルは、黒い粉が入った瓶を取り出し、二つのコップに振り入れた。その後にコップの中に鍋から熱湯を注ぐ。
「ねぇ、砂糖とミルクは入れる?」
「いや、そのままで」
「ブラックねぇ~」
アビゲイルは、キッチンから二つのコップを持って、その一つを俺の目の前に置き、テーブルに着いた。
渡されたコップの中ではコーヒーが温かな香りを立てていた。
俺は、熱くなったコップの口を両手でつまみ口に運んだ。
「はぁ~、おいしい」
想像通りの味にホッとため息が漏れた。
「そお?豆に比べたらインスタントなんて大した味じゃないでしょ」
「いやいや、その粗悪感が好きなんだよ。畏まった豆よりもよっぽどインスタント方が好きだな」
「変わった意見ね」
アビゲイルもコーヒーを一口すすった。
俺は、視界から外していた多くの物に目を向けた。
(はぁ~、インスタントコーヒーかぁ~。そろそろ夢を見るのを諦め、この違和感のない違和感にはっきりと目を向けないとな)
このダイニングキッチンには、冷蔵庫らしき長方形の箱に、ガラス張りの食器棚には、ずらりと大中小の皿と様々のコップが収まっている。キッチンはシンクのシステムキッチンで蛇口を捻れば水が出て、スイッチ一つで火が付く。
アビゲイルが住まう家のダイニングには、見慣れたものが満載である。
(ホント、この異世界ってなんだよ……)
中世風の文化を想像していた俺には、この異世界は文明があまりにも進んでいる。
まぁでも、数日とはいえ、生活が便利なことは決して悪いことではない。
生活用品に困ったり、めんどうな家事に追われなかったり、生活に苦労はなさそうだ。
文明社会でしか生きたことない俺としては、ありがたいかぎりだ。
「ふぁ~」
突然の眠気に気の抜けたあくびを上げた。
「あら、疲れているの?」
「なんかそうみたい。コーヒーを飲んだにどうしてだろ?」
ぼやける視界に目を擦った。
「慣れないこの世界でいろいろあったからじゃない」
「それもそうか」
(確かにいろいろあったよな。疲れて当然か……)
抗うことのできない眠気に額をテーブルに落とした。重く瞼がゆっくりと瞳を包んだ。
「ゆっくり休みなさい。目覚めたときにはすべてが終わっているから」
遠くに聞こえた少女の声を最後に意識が深く沈んでいった。
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