8 「なにか調べておけばよかったかなぁ。」




「んー、難しいね。」

「だね。なにか調べておけばよかったかなぁ。」

「――あ、あった。カラオケ、カラオケに行こうって話してた。」

「あ、そうだったね。」


 そういえば、この前の土曜にそんなこと言ってたな。僕は忘れてたけど、朝日さんは覚えていたみたいだ。


「じゃあ、そこに行こうか。確か――前に行ったファミレスの近くにあったはず。」

「そんなのあった?気が付かなかった――」


 まぁ、僕が思い出したのもたまたまだしね。それに、気が付かなくても仕方ないような場所だったし。仕方ないというか、覚えていてもなかなか使わないことだから、覚えてなくて当然。


「普通そうだと思うよ?僕が覚えてたのもたまたま看板を見たからだし。」

「でも、普通覚えてないと思う――。」

「風景とか覚えるの得意なんだよ。」


 風景とか写真とかは覚えるの大得意なのに、音楽とか会話とかは全然覚えられないんだよね。そのせいで英語の発音の問題とかは毎回苦労するから、どうにかしたいんだけど、どうにかなる気が全くしない。


「そうなんだ。いいな。絵を描くときに楽でしょ?」

「うーん、どうなんだろうね――ま、まぁ、僕あんまり絵を描くことがないからわかんないな。」


 危ない危ない。つい普通に絵を描く感じで話すところだった。もう僕は絵を描く気はないし、『一つの夕焼け』のファンである朝日さんには絵を描いていたことすらバレたくないしね。もし絵の話で盛り上がってるときにバレたら、恥ずかしくて死ねる。


「そう――だよね。」

「――朝日さん?」


 小さい呟きを耳が拾い、思わず朝日さんの名前を呼んでしまう。なぜ今少し寂しそうにしたのだろうか。そう直接聞こうと思ったが、「な、なんでもない」と言われてしまったら、なんとなくそれ以上は聞けなかった。



◇ ◆ ◇



 電車に乗って、以前日向さんと食事をするときに降りた駅と同じところで降りると、記憶を頼りにカラオケに向かう。幸い一度通った道だったのと駅からそう遠くなかったので、迷わずに着くことができた。


「こんな感じなんだ――」


 店内に入った朝日さんが、きょろきょろしながらそう呟いたので、僕は思わずくすっと笑ってしまう。夏休みとはいえ平日だからか、特に待っている人がいるとかそういうわけではなく、すんなりと中に入れた。


「朝日さん、どれくらいカラオケにいる?」

「うーん、どれくらいがいいと思う?」

「えっと――もうすぐお昼だし、長く居ると昼食がとれなくなるよね。一時間か――長くても二時間くらいかな?」

「じゃあ、二時間にしよう。」


 実はかなり楽しみだったようで、嬉しそうな声色でそう言う朝日さん。心なしか、いつもより雰囲気がふわふわとしている気がする。まぁ、初めてのカラオケだったらこうなるのも仕方ないのかも。密かに憧れていたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、僕は受付で二時間を頼む。伝票を受け取り、朝日さんと一緒に指定された部屋に入る。


「おぉ――」


 部屋に入った瞬間、朝日さんはそう声を漏らすとあからさまにめを輝かせた。部屋に入る前にドリンクバーで注いでおいたメロンソーダをテーブルに置くと、朝日さんはカラオケのリモコンを珍しそうに観察する。


「これ、触っていいの?」

「うん。それで好きな曲を入れるんだよ。してみたら?」


 朝日さんの質問にそう答えながら、僕はマイクにかぶせてある『消毒済み』と書かれたビニール袋を外し、電源を入れておく。そして、ちゃんと音が出るかを確かめるためになにか言おうとしたものの、なんとなく朝日さんが曲を入れるまで待つことにした。


「えっと、このボタン?」

「そうそう。そこ押せばいいんだよ。」

「わかった。」


 朝日さんはピッとタッチパネルを押し、曲を入れる。僕は朝日さんからリモコンを受け取ると、代わりにマイクを手渡す。


「あ、あー、あー?」


 朝日さんは恐る恐るといったようにマイクを口に近づけてそう言い、「おぉ!」と感嘆の声を漏らす。傍から見てもわかるほどにテンションが上がっている朝日さんは、急に流れ始めた前奏に驚いたのか、ビクッと震える。


「あとは好きなタイミングで歌えばいいんだよ。」

「う、うん。」


 なぜか少し緊張したように朝日さんはそう返すと、スゥっと息を吸い込み、前奏が終わるタイミングで歌い始める。最初は探り探りという感じだったが、段々なれてきたのか自然と声量が上がっていく。というか、すごい歌上手い。そもそも声が綺麗だし、歌のキーも合っているようだ。


「どう?」


 歌い終わった朝日さんは、僕のほうを見てそう尋ねてくる。相当楽しかったのか、ニコニコと笑顔が絶えない。


「すごい上手だったよ。やっぱり、朝日さん声綺麗だね。」

「そ、そう?」

「そうだよ。っと、始まったね。」


 僕は朝日さんが使ったのとは別のマイクを手に取り、軽く息を吸う。歌う曲は『星空深夜』の〈ブックカバーを〉という曲。前奏の終わりに合わせて、僕は息を大きく吸ってから、歌い始めた。




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