42 「良かったと思います。」
結局あの後五分ほどはあの状況が続いた後、我に返った朝日さんが「ご、ごめん!」と飛びのいたことであの状況を脱することができた。僕は特に気にしていないと答えたが、なぜかあの後も笑顔が頭から離れず、昨日は思ったように眠りに着けなかった。
それで、今日はいよいよ決戦の日。とはいってももうすでに朝日さんの勝ちは決まっているのでそこまで不安ではないのだが。
七時半の目覚まし通りに目が覚めた僕はいつも通り準備をし、持っている中で一番似合いそうな私服を選んで着る。昨夜朝日さんから「午前九時に家にきて」と連絡があったので、その時間に合わせて準備をしている。まぁ余裕で準備は終わるのだが、また朝日さんのお父さんと会わなければいけないので心の準備が必要だ。
『星空深夜』の本を読み心を落ち着かせていると、家を出るのにいい感じの時間になったので鞄を持って家を出る。道路を渡ってすぐの朝日さんのマンションに入ると、エントランスで『409』と文字を打ち込み、ボタンをぽちっと押す。呼び出し音が鳴った後、朝日さんの声が聞こえてきた。
『はい。』
「おはよう、逢音です。」
『うん。』
僕の言葉にそう返事が返ってきたと思うと、ガーとドアが開き中に入れるようになる。僕は中に入ると、エレベーターに乗り込み四階のボタンを押す。エレベーターは特に問題なく僕を四階まで運んでくれた。
もう完全に覚えたマンションの中だが、試験が終わってから一度も中に入っていなかったので少し懐かしさを覚える。いやまぁ、来たかったというわけでもないんだけどね。
朝日さんの部屋前まで辿り着きインターフォンを鳴らすと、すぐにガチャっとドアが開いた。
「おはよう、朝日さん。」
「う、うん。」
僕と目が合った瞬間朝日さんは僕から目を逸らすと、「どうぞ」と言って中に入れてくれる。昨日からずっとこんな調子で、帰り道も離れるというほどではないがいつもよりも距離を置いていたし、話しかけると動揺していた。そんなに昨日のことが恥ずかしかったのだろうか。テンションが上がっていたのだから仕方ないとは思うけども。
「お邪魔します。」
そう言って中に入ると、前に来た時よりも綺麗にされているのがわかる。自分の父が来るから緊張してこんなに綺麗にしたのだろうか、とかどうでもいいことを考えながら、僕はリビングに入る。
朝日さんがキッチンで淹れているコーヒーのいい香りがしてくる。コーヒーメーカーは僕が家でよくコーヒーを淹れるときに使うのと同じもので、パッと見た感じ買って間もないように見える。
リビングがいつもよりも綺麗で逆に落ち着かないが、僕はなんとなくいつも通りの場所に座った。あ、普段が汚いというわけではなくて、今日は異常なくらい綺麗だということが言いたかっただけ。
「コーヒー、どうぞ。」
「ありがとう。」
朝日さんは僕にカップを渡すと勉強を教えるときのように隣に座る。僕の向かいの場所にもコーヒーカップを置いたので、たぶんそれはこれから来る倉井さん用なのだろう。
隣に座っている朝日さんは落ち着かなそうに手先をいじっていた。なぜか僕のほうをチラチラと見るのが気になるけど、なんとなく聞いちゃいけない気がするのでなにも言わないでおいた。こういうときの勘は大事にしたほうがいいというのは、今までの経験則だ。
そんなことを考えていると、鍵が開けられる音とドアが開けられる音がする。ついに来てしまったと心の中で嘆くが、もうどうしようもない。大人しくしているほかにないのだ。
「おはよう、朝日。逢音君もわざわざ呼び出してしまってすまない。」
「い、いえ。」
リビングに入ってきた倉井さんはそう言うと、朝日さんと僕に向かい合う位置に座り、「ふぅ」と息を吐く。倉井さんが持ってきた鞄の中にはコーヒーの缶が二本入っていて、どちらもこの前入っていたコーヒーと同じだった。
「外は暑いな。逢音君も大変だっただろう?」
「いえ、向かいのマンションですから大丈夫でした。」
相変わらずの威圧感にビビりながらも、僕はそう答える。そういえば、中学時代の知り合いの父さんもこんな感じの威圧感があった気がする。あの人も会社の偉い人らしいし、偉い人ってみんな威圧感があるのだろうか。
「ほー、逢音君は向かいのマンションだったのか。偶然だな。」
「そうですね。教えるときに負担にならなかったので、良かったと思います。」
「確かにそうだな。娘のために貴重な時間を使わせるのは申し訳ない。」
そう言ってくる倉井さんに、やりにくさを感じつつ、僕は「いえいえ、クラスメートですから」と返しておく。もう嫌だ、家に帰りたい。そう思っていると、倉井さんは「さて」と呟き、その場で座りなおした。
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