第9話 天音ファンクラブー迷惑なストーカー集団ー

 天音さんのマンションを出ると空は茜色に染まっていた。気温も少し落ち着いている。

 天音さんの目的地であるラ・カメニュールはマンションから7分ほど歩いたところにあるらしい。

 僕はパティスリーなんて興味もなく、一度たりともその敷地に足を踏み入れたことがない。スイーツなどが嫌いというわけではない。むしろ好きな部類なのだが、喫茶店でコーヒーと一緒に食べたり、コンビニスイーツを買って食べたりとパティスリーにわざわざ赴いたりしなかったのだ。

 そんなことを行きしな、天音さんに話すと驚いた顔で「損な人生送ってますねぇ」と哀れみを込めて言われてしまった。


「今日がいい機会になるじゃあないですか。もしかしたらハマっちゃうかもしれませんよ?パティスリー巡り」


「いや、そうなりそうでも自制するさ。喫茶店巡りでだいぶんお金を使っているのにその上に増えたらそれこそバイト生活になってしまう」


「そうかもしれませんね〜。……あっ、ここだ」


 天音さんが立ち止まり手前の十字交差点の曲がり角を指さした。そこには7組程のカップルが列を作っていて、大きな硝子で店内がよく見える白い壁の建物に列が吸い込まれているような感じだ。


「あれがラ・カメニュールです!早く並びましょう!無くなっちゃいます!」


 天音さんが勢いよく走り出したので僕もその後を追った。

 ラ・カメニュールに近づくにつれ甘い良い香りが風に乗って流れ込んできた。


 列の一番後ろに並ぶ。前にいるカップルは高校生らしく、聴き慣れない言葉を話している。これが今時の高校生の会話なのだろうか?


「何言ってんのかさっぱりだ……」


 独り言のように呟いた僕の言葉に天音さんが反応した。


「数年経てば新しい若者言葉が生まれますからね。もう私たちにも通じない言葉が生まれてきているって事ですか……。日本語って訳わかんないですね」


「それを日本人の僕たちが言ってはおしまいではないか?」


「それもそうですね……」


 どうしたというのだろうか?天音さんが先ほどから周囲を気にしている。

 僕も天音さんのするように辺りを見渡す。側から見れば付き合ったばかりでドギマギしている初々しいカップルに見えただろう。そもそもカップルではないのだが……。


「天音さんよ、どうかしたのかい?キョロキョロと辺りを見渡しているけど。特に怪しい奴はいないぞ?」


 僕は一通り辺りを見渡して天音さんにそう聞いた。


「いや、その、一番見られるとまずい厄介なのに見つかったようで……」


 天音さんは左斜め後ろを指さした。僕はそちらをチラッと見る。


「えっ?」


 もう天音さんの言葉でだいたい察していたが、そこにはアイドルグループのメンバーズTシャツを着ている若干180cmに届いてない微妙に背の高い男と小太りで165cmほどのいかにもオタクな格好をした男が物陰からこちらを覗き込んで歯をギリギリとすり合わせて妬ましそうにこちらを見ている。

 どう考えても例の天音ファンクラブの人間だろう。


「なんでこんなところに?」


「さ…….さあ?私に相手がいないか確認しにきたとか、私のマンションの住所特定して……あー怖いからやめましょう」


 天音さんは真顔で前を向き直して何事もなかったかのように振る舞うつもりらしかった。

 しかし、現にあの迷惑極まりないファンクラブの一員がああして近くの物陰にいると思うと内心恐ろしく感じる。

 僕はとっとと店内に入ってしまいたい気持ちが強くなった。


 結局何もないまま僕たちは目的のカップル限定スイーツを手に入れる事には成功したのだが、ここからが問題である。奴らはまだ物陰からこちらの動きを伺っている。


「さて、どうしたものか……」


 下手に別れれば天音さんは付き纏われ、僕は肩の詳細を詳しく問いただされ、その後どうなるかわからない。一緒にいるのが安心な気がする。


「走って撒くっていうのはどうです?」


「多分あっちの背の高い奴は足速いだろうから追いつかれるのがオチだし、折角のスイーツを台無しにしたくない」


 悩んでも悩んでも答えは出ず、仕方ないので歩き始めた。

 僕たちが歩くのを確認してファンクラブの男どもも一定の間隔を空けてついてくる。完全にストーカーである。

 ストーカーには何を言っても無駄である。しかし、ストーカーどもをどうにかせねば無事に家には帰れない。

 悩んでいる最中、天音さんがあっという声を出した。


「なんだ天音さん?何か思いついたのかい?」


「はい、迷惑な人には迷惑な人を当てれば良いんです。目には目をってヤツですよ」


 迷惑なヤツと言えば僕には一人しか思い浮かばなかった。僕はすぐさま連絡を入れた。電話だと変に話を惑わしてくるのでメッセージを送信した。


『ちょっとピンチだ。今度くだらん話を聞いてやるから手伝ってくれ』


 すぐに既読がついてヤツから返信が来た。


『矢田氏から私に頼み事とはな。驚いたぞ。……なんてな、既に手は打っている!』


「どういう事……」


 考える必要もなかった。すぐさまヤツの声が聞こえてきたのだ。


「やーやー!こんなところで何をしているのかね?お二人さん」


 大声で天音ファンクラブに近づいてくだらん話をひたすら吐き捨てている。


「テレパシーでもあんのかよ、あのひねくれ者……」


 呼んですぐ様現れるっていう事自体がまずおかしいのだが、まあ今回は突っ込まないどおこう。

 僕たちは山吹がファンクラブを引きつけている間に天音さんのマンションまで走って帰った。


 天音さんの部屋に入りスマホを取り出すとメッセージが届いていた。


『どうやらうまくいったらしいな!よし、ならば約束だ。今度私の素晴らしい研究話を聞いてもらうぞ矢田氏よ!はっはっはー!』


 ムカついたので僕は既読スルーした。


「はぁ、何とかなりましたね」


「今回ばかりは山吹に感謝することとしよう」


 大きくため息をついて気分転換のため、買ってきたスイーツを食べることにした。

 箱から取り出して天音さんが台所から取ってきた皿に乗せた。


「いやー美味しそうですね!いただきましょう!」


「そうしよう」


 僕は皿の上に乗った清涼感のある美しい黄色をしたケーキを口に運んだ。

 程よい酸味のあるオレンジソースがとても美味しい。今まで食べたスイーツで一番美味しいと言っても過言ではない。


「どうです?美味しいでしょう?」


「うむ、驚いた!こんなに美味しいとは思わなかった」


 僕達はペロリとケーキを完食してしまった。


「ふぅ、美味かった。時間はそろそろ16時40分か。そろそろ帰らねば」


「あ、そうですね。それじゃあまた明日会いましょう」


「明日?……あーそういえばサークルがあったのだった。そうだった、そうだった。うむまた明日」


 僕はそうって手を振ると天音さんのマンションから出て帰路についた。

 一瞬まだ天音ファンクラブと山吹が近くで言い争っていたらどうしようかと思ったが流石にもういないだろうと思い込んで僕は最寄りのバス停へと向かった。

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