第2章

7:たかが仕事、されど仕事

「お兄ちゃん起きろー! いつまで寝てるんだー!」

 

 ぼんやり霞んで聞こえてくる声。

 薄目を開くと、パジャマを着た希が顔を覗き込んできている姿が。

 

「え? 今何時……?」 

「もう11時だけど! 希なんて早めの昼ごはん食べちゃったからね?」

  

 ……………………。

 

「いっけな〜い! 遅刻遅刻〜!!」 

 

 ベッドから飛び上がると同時に俺は叫び、大急ぎで寝巻きから適当な服に着替えた。食パンをくわえている暇もない。

 初実との駅での待ち合わせは10時半。

 元々この仕事に乗り気じゃなかったからアラームをかけるのを忘れたのか? そんなことを思い出している時間すらない。

 初実と交換しておいたライソを見ると、ただ一言だけ「遅い」と送られていた。たった2文字というのが逆におぞましい……!

 

「初実さんとの初デート頑張ってねー! ばいばーい!」

 

 陽気に手を振って見送ってくれた初実。あの日の帰り、家に着いた瞬間に初実との話について興味津々で問いただされたのだ。

 

「デ、デートじゃないわいっ!」 

 

 そう叫び残して家を飛び出して行った。希め、あれだけ説明したのに本当の恋愛と勘違いしてるのか!?

 

 □ □ □

 

 ようやく近所の駅にたどり着いた。久しぶりにまともに運動したせいで息が絶え絶えになっている。

 時計を見てみると──まだ3分!? これ全国大会狙えるんじゃないか!?

 

「よ、よう……遅れて申し訳ない……」

 

 腕を組んで壁に寄りかかっていた初実に及び腰で話しかけると、静かに頷くだけで思いのほか叱ってはこなかった。

 彼女は澄ました顔で俺の全身を一瞥し、

 

「何よその格好……」

 

 え? 俺そんな変な服装してきたっけ……? 目線を下に移してみると、

 

「うわっ、なんだこれ!?」

 

 夜中にちょっとコンビニやらゲーセンやら行くのに使っている薄汚れたジャージ。これから街で初実といちゃいちゃする(ふりをする)ための格好とは程遠い。  これにドン引きして怒る気を失ったんだな……。

 

 それに比べて初実の方といったら──

 

 白いシンプルなカットソーの上に愛嬌のある大きめのボタンが目立つ水色のカーディガンを羽織り。

 ウエストから膝にかけての黒いスカートが、引き締まった体型を際立たせ。

 清楚さと可愛らしさを絶妙なバランスで織り交ぜた、まさに初実の魅力を引き上げるのにぴったりなファッションだった。

 

「これじゃあ私だけウキウキで来たみたいなんですけど……」

「え? そうじゃなかったの──あいたっ!」

 

 無言で頭を叩かれた。痛い。この威力はもしかして図星では?

 

「さぁ、早く乗りましょう。2人はとっくに着いてるはずよ」 


 俺を置き去りにしてダッシュかと思うほどの早歩き。待ってくれ、もう脚が動かない……!

 

 □ □ □

 

 目的のショッピングモールが近くにある、町の中心駅に到着した。

 休日の昼なので人で溢れかえっていてかなり歩きにくい。中には俺らと違って本物のカップルもいる。人混みに押されたどさくさで密着しちゃったりしてる。こんなことまで楽しみに繋げるとはリア充め……。

 

 電車に乗っている間、やはり初実との会話はほとんどなかった。その後に備えて会話練習でもするべきだったのだが、彼女がずっとスマホをいじっていたから切り出す勇気がなく……。他の乗客からあーあのカップル絶対もうすぐ別れるなーとか思われてそうだった。いろいろな意味で間違っている。

 

 ん? あれ? 初実がいない……!

 

「……あ」

 

 人混みに流されて大股数歩分くらい離れてしまっていた。初実もそれに気づいたようで不安そうに目を合わせてくる。

 どちらからともなくお互いくっつき直した。 


「気をつけないと本当にはぐれるな、これ……」

「そうね……何とかしないと……」

 

 ただでさえ遅刻しているのに、はぐれて探し合っている暇なんてない。

 だが見苦しい煩悩カップルのように密着するわけにもいかない。

 俯き、頭を悩ませ合ってから数秒後──

 

 俺らは手を繋いでいた。

 

 どちらが先に思いついたのかわからない。

 無意識のうちにこうなっていたのだ。        

 

「「………………」」 


 ……会話を交えずとも、初実の緊張感が脈を通して伝わってくる。

 だが彼女とてそれは同じだろう……顔が熱い……。

 

「なんでこんなことしなきゃいけないのよ……」

「ほんとだよ……」 

 

 こんなの傍から見れば微笑ましい恋人同士でしかない。

 お互い同じ気持ちで通じ合っているのに気まずいというこの感じ……なんなんだよこれ……。

 

 ようやく駅から出ることができ、人混みからも開放された。

 再びどちらからともなく手を離す。急に呼吸が楽になった。

 

「あぁー疲れたー……」

「ほんとにね……誰よこんな仕事を引き受けたのは……」

 

 お前だろと突っ込みそうになったが、その手伝いをすると言ったのは俺の方だ。文句なんて付けられる立場じゃない。

 

「近くに2人が待ってるはずよ」

 

 早足になって依頼者を探す初実を見て、寝坊した罪悪感が蘇る……後で2人にも謝らないとな。

 

「見つけたわ! えっ、あれは……」

「ん? どうした?」


 ベンチに座っている2人組を指さしたまま、思考停止みたいに固まっている初実。

 見るとそこには早和さん、そしてその彼氏が身を寄せ合って待っていたのだが。

 

(おいおい、まじかよ……修羅場じゃん)

 

 特徴的な金メッシュ頭なのでよく覚えている。

 3人で集まったあの日、廊下で初実をナンパしていたチャラ男──それが早和さんの彼氏の正体だった。

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