勝ってこい 01

 一月の横浜は、潮風が強く吹き付けて寒さが厳しい。かと思ったが、那須なす連山れんざんから吹き下ろすからっかぜの方がよほど体にこたえるのだと、クリスは初めて知った。

 先週末、那須塩原なすしおばら市に降った雪はこちらには影も形もない。センター試験の当日には雪が降る、というのが栃木県北けんぽくのジンクスだ。

 背の高い建物におおわれて、隙間からわずかに見える空は雲一つない青空だった。自然とクリスの足取りも軽くなる。トートバッグを肩にかけ直した。

 川崎かわさき駅を降りて少し歩くと、クリスと同じような服装、格好の男女が増えてきた。男女比で言えば若干男性の方が多いだろうか。寒そうに首をすくめて歩く後ろ姿についていくと、巨大な商業施設の一番奥に、目的地のイベントホールがあった。

 クラブ・マリキータ。

 赤と黒でテントウ虫のように彩られたそのイベントホールは、アニソンダンスバトルの最高峰と言われる『あきばるは~ら』の聖地の一つである。

 体育館と同じくらいか一回り大きいくらいのホールは、人気インディーズバンドのライブ会場から、海外のメタルバンドの演奏会、講演会から映画観賞会まで何でもありでイベントが開催される大型ホールだ。

 あきばるは~ら当日は、一日中貸し切って、正午前から予選バトルが始まる。

 決勝戦が場合によっては午後九時にさしかかろうかという長丁場のイベントだ。アニソンダンスバトルイベントの双璧そうへきすバトスクとタイムテーブルはほとんど変わらない。

「わあ……」

 クリスは思わず感嘆かんたんの声をもらした。

 既にクラブ・マリキータの前を通る道の半分が列に並ぶ観戦客で埋め尽くされている。その周りに、えさのおこぼれにあずかろうとする働きアリのような人たちが群がる。当日入場券を買おうとしているか、あるいは単なる野次馬だ。

 クリスには見えていなかったが、クラブ・マリキータのある巨大商業施設の内部にも、あきばるは~らの観戦者が長蛇ちょうだの列をなしていた。

「おーい、クリスァ!」

 整理された列とは別の入場口の前で、一人のスキンヘッドがクリスに向かって手をっていた。

「シゲさん!他の皆さんも!」

「おいおいバジルさん、聞きました?クリスのヤツは俺らのことをこのハゲ頭のオマケみたいな言い方をしやがりましたぜ?」

「聞きましたよヨーヘイさん。ちょっとあんまりにもあんまりな仕打しうちですよねえ」

 クリスが夏休みにバトスクでお世話になった六人の下に駆け寄る。

 久々に会った六人は、初めて出会ったときと全く変わらない様子でクリスを迎え入れた。

「そんな気は全然ないですって!」

「嘘だァ。どーせ、俺らのことなんか踏んづけるアリんこくらいにしか思ってないくせに」

「違いますよ!シゲさんがハ……スキンヘッドで大きく手を振っていたから一番目立っていただけですって」

「おうゴラ、今お前ハゲ言いそうになったなゴラ」

「む!クリスは少し太ったか!?」

 とんとんはそう言うと、無遠慮ぶえんりょにクリスの身体をベタベタと触りだした。

「いやいや、着ぶくれしてるのよ」

「アハハ、アッコさんにはフォローしてもらって悪いんですけど、実際ちょっと太ったかもしれません」

「え、そうなの?」

「運動は普段以上にしていたんですが、受験勉強でどうしてもストレスが溜まってしまって……」

「そうだよ、クリス!お前先週センター試験だったんだろ!?」

 シゲがクリスの肩に手をかけると、ビルかぜがビュオとその場の全員をでた。さすがに寒さに強いクリスも他の人たちと同じように身体を震えさせると、バジルが総意そういを代表して言った。

「とりあえず、受付してマリキータに入りましょうか」


 ◇


 空調の効いたマリキータの中は温かく、自然と全員がアウターを脱いだ。長袖を少しまくったクリスの手首につけられたのは、他の六人と同じ黄色のリストバンド。あきばるは~らは2オン2のバトルのみなので、当然と言えば当然なのだが、それでもクリスは、本当の意味で彼らと共にバトルに出られるのだと感じた。

「それで、余裕しゃくしゃくのニトクリスちゃんはセンター試験でどれだけの点数をとったのかね」

 えらそうに身体からだをふんぞり返らせて、タニーが問う。

 受付を済ませたヨーヘイらグループは、観客と出場者でごった返す廊下から移動して、ホールのさらに奥にある選手の荷物置き場として解放されたロッカールームの一角で準備を始めていた。

「確かに気になるね。ダンスに夢中で受験失敗しましたーとかヘラヘラ言うヤツは、二度と仲間と認めてやらねえからな」

 ヨーヘイは今日のために色々と衣装を持ってきたらしく、それぞれ一揃ひとそろいがきちんとあるかを確認しながら話しかけた。

「も、もちろんッスよね!ヨーヘイさん!ヘッヘッヘ」

「確かシゲは一回浪人したんだっけ?」

 アッコもヨーヘイと同じように衣装をチェックしていた。話には参加していたが、視線と意識は衣装に向いている。

「アッコちゃん、おッ、俺の場合はほら、俺がただバカでハゲだっただけでダンス云々うんぬんは関係ないから!」

 シゲの言い訳を聞きながら、クリスは自分の荷物の中から、高校で渡された成績表を取り出した。自己採点の結果を報告し、それを学校側が集計してまとめたもので、言葉で示すよりも一目で分かるだろうと持参したものだった。

「目標点数には届きました。おそらく志望校は難しくないと思います」

 表の一番分かりやすいところを指さした。

「はあ!?何だこの点数!?」

 驚愕きょうがくのあまり大声を出したのはタニーだ。すでに準備を終えていたタニーが成績表を見てあまりに頓狂とんきょうな声を出すので、周囲の視線が向くのも気にかけず、他の五人も次々と集まり、その表の点数を確認していく。

「え……ニトクリスさん、これマジですか?」

 ヨーヘイが思わず敬語になった。その他も大体同じような反応だ。

 国数英にリスニング、合計六五〇点満点のところ、クリスは五八〇点を超えていた。得点率で言えば八九パーセント、文句なしの結果である。

「自己採点、甘くしたんじゃねーの?」

 シゲの負け惜しみにクリスがツッコむ。

「マークシート方式でどうやって自己採点を甘くするんですか……」

「僕、数学で百点取る人初めて見ましたよ」

「本当だ……しかもⅠAⅡB両方とも満点じゃないの……ヘンタイね」

「いや、それはガチのヘンタイだわ」

「む!クリスも俺と同じでヘンタイだったか!」

「いやあの、多分とんとんさんとは別ベクトルのヘンタイかなー、と僕は信じているんですけど……」

「おい、この成績優秀ヘンタイ野郎!」

「ヨーヘイさん、それはめてるんですかけなしてるんですか」

くやしがってるのよ」

「お前が万難ばんなんはいしてこのあきばるは~らにやってきたことは認めてやろう!しかしそれだけで簡単に勝ち進めるほどあきばるは~らは簡単ではないぞ!フハハハハ!」

「何でヨーヘイさんがあきばるは~らを代表した魔王みたいな顔してんの?」

「それは言わないお約束だぞ!」

「まあ、そのために俺がいるんだがな」

 ロッカールームの入口を背にしてクリスに人差し指を向けるヨーヘイの背後から、よく通る声が聞こえた。

「ライジンさんって、毎回登場が突然ですよね」

「おっ、クリスも言うようになったなあ」

 ツカツカとグループに歩みより、ライジンはクリスの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 その場の全員が、ライジンのあきばるは~ら参加を知っている。知ってはいたもののどこか現実味がなかったものが、こうしてライジンの手首に黄色のリストバンドが巻かれてあるのを発見すると、六人は胸が高鳴るのを抑えられなかった。

「それにしても、クリスの正確なタッティング技術の理由の一端いったんが分かった気分だ」

「どういうことですか?」

 バジルの質問に、ライジンはクリスの成績表を手に取って言った。

「タット、特にキングタットは空間処理能力の芸術だからな。関節の可動域かどういきえんえがく曲線、直線の運動。そう言ったものが直感的に理解できると強い」

「なるほど。クリスのダンス技術の高さはそこにあったんですね」

「鶏が先か、卵が先か、って話だがな」

 数学的素養そようの高さがダンスを上達じょうたつせしめたのか、ダンスによる空間把握はあく能力への適応が数学を得意にさせたのか。

「それはきっと相乗そうじょう効果だと思います」

 ダンスを始めた頃からクリスの理数系能力が伸びたのには、自覚があった。

「志望校には合格できそうか?」

「二次試験があるからまだ何とも言えませんが、少なくともセンター試験の成績で今日のダンスがにぶるような影響は出ません」

「分かった。足を引っ張るなよ」

「任せてください」

 センター試験という一つの大きな山を越えたクリスは、背中に羽が生えたように心持ちが軽かった。

「やっぱり、ちょっと変わったわね」

「太り過ぎたか!」

「違うわよ、とんとん。むしろ軽くなったように見える」

「太ったのにか!?」

「きっと、重荷が一つ取れたのでしょうね」

 バジルがとんとんの口を押さえながら言った。

「まー、それでも土下座どげざ野郎のヒボーチューショーはまぬがれないだろうな」

 シゲが組んだ両手を後頭部に回しながら言った。

 一瞬、その場の空気が凍りつく。

「おい、シゲ……」

 タニーが制止しようとするのを振り切り、ライジンを遠慮がちに押しのけて、クリスの目の前に立った。

 頭半分程の身長差は、クリスの方が背が高いものの、ひょろりとした体型はどうしても否めない。シゲはポケットに両手を突っこんで、身長差を逆手さかてに取ったように、下からにらみつけた。

 ダンス歴の長いシゲの身体は筋肉で適度に引き締まり、スキンヘッドも相まって武闘派なチンピラのようだった。ドスのきいた低い声で、挑発するように告げる。

「なあ、土下座野郎。お前の夏祭りの動画、結構なヤツらが見てるぜ?お前が出てないアニソンダンスのイベントでも、時々ニトクリスの名前が出ていたよ。そして、当然のようにお前の土下座動画も出回ってた」

 人差し指で、クリスの心臓の辺りを突っつく。

「予選はツーサークルだからぁ?お前への誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうは少ないかもしれない。だが本戦に出てみろ?弱みを知ってる敵さんは、きっとお前を土下座野郎となじってくるだろうな。何なら、ダンスをするときに挑発して土下座のバイト真似っこをしてくるかも知れない。それでもお前は自信を持って踊れんのか?アァ!?」

 ロッカールームは、水をったように静まりかえる。

 他のダンサー達も、シゲの剣幕けんまくとその場の剣呑けんのんな様子に固唾かたずを飲んで注目していた。

 睨みつけ、スゴむシゲに対して、クリスは無表情を貫く。視線は決して揺るがず、互いを見つめて一歩も引かない。

「シゲさん、ありがとうございます」

 ふいに、クリスが言った。

「ありがとうって何だよ、どういう意味だよ言ってみろ」

「シゲさんは、バトルで起こるかも知れないことを、あらかじめ忠告してくれたんですよね。お前に、そういう悪口を言われる覚悟はあるか?って」

 クリスの隣で、ライジンがうつむきながら、微笑ほほえんだ。

「あの土下座動画は、確かに僕です。夏祭りの動画も、土下座の動画も、両方が僕の姿で、まぎれもない事実です。そして、あの二つの姿は両方とも僕が『戦った』あかしなんです」

 クリスは、拳を握りしめた。

「だから、その戦った姿を僕自身が認めないでどうする。……誹謗中傷を受けようと、ダンスバトル中に悪口や土下座のバイトをされようと俺は、それをけてみせます」

 ギリリと音が聞こえるほどにクリスを睨みつけていたシゲは、クリスの啖呵たんかを最後まで聞き終えると、ややあって全身の力を解いた。

「オーケイ。クリスの覚悟は分かった。試すような真似をして済まなかったな」

 シゲはライジンにも、押しのけてすいませんと謝った。

あおォォォォーーい!!!!!」

 突然、ヨーヘイが叫んだ。

「うわああああ!青い春だああ!!青春だあああ!!!青春マシーンがやってきたぞおおお!!!」

「うっわ、マジやっべ、鳥肌たちっぱなしなんだけど」

 タニーが前腕ぜんわんを抱えるようにさする。

「僕、こんな青春してる人初めて見ましたよ。やっぱり頭が良いと青春さえも計算して召喚しょうかんできるんですかね」

 バジルが誰にともなく話しかけている。

「うああ、心が筋肉痛になりそうだ……」

 とんとんがはち切れんばかりの筋肉を弛緩しかんさせ、弱り切っている。

てぇてぇ尊い……シゲニトてぇてぇとうといよぉ……フヘッ」

「ヤバい!アッコちゃんが生物なまものカプちゅうモードに入ったぞ!!!」

「取り押さえろ!暴走モードだ!!!」

 ヨーヘイによって羽交はがめにされたアッコが、手のこうで自分のよだれをいていた。

「ハハッ!なあ、ニトクリス!楽しい奴らだなあ!」

 ライジンが大声を上げて笑った。

「……はい!」

「おいクリスァ!はいじゃねーんだわ!『そのたたかったしゅがたを、ぼくじしんがみとめないでどうしゅる』じゃねーんだわ!」

「ちょっ、シゲさん!勝手に真似マネしないでくださいよ!」

「イヤだ、真似マネするねッ!!」

「そんなこと言ってッケド、シゲも相当だったからな?『しょれでもおまえはじしんをもってオドレんのか』だってよ!」

「おいタニー!てめゴラァ、俺はそんなにアゴしゃくれてねぇよ!!」

 楽しそうな笑い声が、しばらくロッカールームに響いていた。

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