戦ってこい 01

 女井おないとおると出会ったクリスの、嵐のような夏休みは、夏期講習の始まりと共に終わりを告げた。

 夏休み後半、夏期講習のために久々に登校したクリスの机の上は、大型のカッターでズタズタに切りかれ、その上にマジックで乱雑らんざつに文字が書かれていた。

「ドロボウ」

 漢字が書けなかったのだろう、カタカナで机いっぱいにドロボウという文字がおどっている。

 分かっていたことだった。

 机の横に荷物をかけて、デコボコになった天板てんばん一撫ひとなですると、クリスは小さく溜め息をついて、水雑巾を用意した。

「よお、クリス。のこのことよく登校してきたもんだな」

 クリスが来たことを誰かが伝えたのだろう、隣のクラスから一人の男子生徒が教室の入口にもたれかかり、クリスに向かってよく通る声でなじってきた。

 ツーブロックにり込みを入れて制服を着崩したその男子は、ズカズカとクリスの机の前まで歩いてきて、片手に持っていたペットボトルの炭酸飲料をドボドボと机の上にこぼす。

「そんなよくしぼった水ゾーキンじゃあ、この机はキレイにならねえよ。こうしてもっとビチャビチャにしねえとな!」

 空になったペットボトルを窓から外に投げ捨てて、机を蹴り上げる。

 上方に向かってわずかに浮いた机は、そのまま大きな音を立てて着地した。

「何をしている!」

 夏期講習を行うはずの教師が生徒の連絡を聞いて入ってきた。

斎藤さいとう!お前は夏期講習組じゃあなくって補習組だろうが!!!」

「はーい、すいませーん」

 制服のポケットに手を突っこんで、蹴り上げた机を今度はクリスに向かって蹴った。

 天板のふちが腰に当たり、クリスは体をくの字に曲げてうめいた。

「じゃあな、クリス。また休み時間に会おうぜ。今日はたっぷり時間があるからな」

 斎藤と呼ばれた男子生徒は、肩をいからせて教室を出て行った。

 男子生徒が教室きょうしつへ帰ったことを十分じゅうぶんに確認すると、教師はへその下を押さえて痛みをこらえるクリスに声をかける。

二戸にと、大丈夫か?何があっ……なんだこの机は!?」

 机上の惨状さんじょうと机の周りに広がる甘ったるいにおい、そして先ほどの斎藤の態度とがあいまって、クリスはただちに別室へ移動、隔離された。

 他の生徒達の怪訝けげんな目にさらされながら教室を出るその時、クリスはふり返って、もう一度自分の机を見た。

 まずは、ドロボウ、と大書されたこの机と戦わなければならない。拳を強く握りしめて、クリスは教室を後にした。


 ◇


 アニソンダンスバトル・スクリームが開催されたその日。

 バトスクに熱中し過ぎたあまり終電を逃したクリスは、シゲ、とんとん、バジルと共に、タニーの家に泊まることになった。

 居酒屋いざかやと食堂の中間のような店で限りなく飲み会にちかい食事をし、ふらふらのシゲをタニーが、へべれけのとんとんをバジルとクリスがそれぞれ肩を貸して帰りの電車に乗りこんだ。ヨーヘイとアッコはつゆはらいのように周りの人に気をくばる。迷惑な客、とまではいかないものの、あまり近づきたくない感じの乗客になっていたのはクリスも自覚していた。

「ヨーヘイさんとアッコちゃんは今日は帰るってよ」

 途中で吸血きゅうけつひかりまつりの二人が電車を降りた。これから地下鉄を乗り継いで自宅まで帰るのだという。食事の最中にそれぞれのメンバーの最寄もより駅を路線図をまじえてアッコに教えてもらったが、一見いっけんしたところでクリスにはどことどこが繋がっているのか全く分からなかった。

 ドアが閉まる。窓越しにクリスが手をふると、アッコが少し悲しそうな顔をして小さく手をった。

 あるいは、泥酔でいすい二人の世話をしなければならないクリスへの同情なのかもしれない。

「あーあ、ヨーヘイさんとアッコちゃんはこのままなぐさめ会かなあ」

 二人の乗る電車を見送ったあとに、タニーがぼそりと言った。

「はーい、タニーくんお手付きでーす」

 バジルの言葉を聞くと、肩を借りていたシゲがほとんど無意識にタニーの頭へ拳骨げんこつを落とした。

「……あの二人は、付き合っているんですか?」

「うーむ、どうなんだ?一緒に住んでいるとはきいたぞ」

 クリスの質問に目をつぶったままのとんとんが、ぼやくように言う。

「それって同棲ってやつですよね。もうほとんど結婚じゃないですか」

「まあでも、結婚って言うと二人とも否定はしないまでも、いい顔をしませんからねえ。男女の関係は難しいものですよ」

「ダンスはめちゃくちゃ息が合ってるから、相性が悪い訳じゃあないんだがな」

 吸血光祭りの二人の関係性にあれこれ妄想をふくらませながら、タニーの家に到着する。途中、コンビニに寄って買った酒とツマミはクリスが運ばされた。

「まだこんなに飲むんですか?」

「お、何だ?お前も飲みたいか?」

 受験を控えているのでと固辞こじするクリスに、その場の全員が驚いた。

「お前、高三かよ!」

「マジ!?大学生とかじゃねぇの!?」

「おいおいおいおい、ライジンさんちょっと急かし過ぎっしょ」

「大学に入ってから参加じゃあダメだったんですか?」

 結局のところ、高校三年生だと言うクリスに対して彼らが問いたいところはそれだった。

 大学受験という人生の岐路きろの時期に、なぜダンスバトルに参加したのか。

「いや、参加するとは思ってなかったんですけど」

 今大会、バトスクに参加したのはライジンの奇襲きしゅうだ。

「でもよォ、結局練習会には参加しただろ?それはお前が決めたことだ。違うか?」

 違わない。

 クリスはダンスの世界に、受験期という人生で最も大切な時期に飛び込んだのだ。人によっては、受験からの逃げだとクリスをそしるだろう。

「そうですね。……僕は学校に居場所がありませんから」

 一瞬、室内が静まり返る。

 とんとんが缶ビールを一気に飲みして握りつぶした。

「なんだ、学校から逃げ場所を求めてきたのか?」

 それまでの言葉づかいとは異なるとんとんの口調は、隆々とした肉体と相まって、威圧感がいやす。

「逃げ……では、ないです。逃げて求めたんじゃなくって、進むためにもがいたって感じに近いです」

「なんだよクリスァ、歯切れが悪いなあ」

 胡坐あぐらをかいて安い焼酎のビンを握りしめたシゲが言った。

 クリスは、ライジンと出会った時のことを思い出しながら、四人に向かってポツポツと語り始めた。ライジンとどのように出会い、それまでにどんな葛藤があり、どうして地元の夏祭りであのような暴挙ぼうきょに出たのか……。

 その心の底は、クリス自身にも分からなかった。

 イジめられたくないとか、学校に行くのが嫌だとか、そういうことではなく、単純に居場所がなかった。シゲの言うようにコミュニケーションが下手だから居場所が作れなかったのだろうか。それとも、こじらせた厨二ちゅうにびょうが長すぎて自分と周囲の社会がズレていると感じたのだろうか。

「クリスくん。それは『逃げた』んじゃあ、ありませんよ」

 ほとんど酒を飲まずにいたバジルが、クリスの話を聞いて真面目な顔で答えた。

「逃げたんじゃなくって、求めたんですよ。それまで手の届かなかった、届くとも思わなかった場所に手を伸ばして、その手がようやくつかんだ糸の一本が、クリスくんが今ここにいる理由です」

「つかんだ一本がライジンさんって、お前どんだけ引きが強えんだ、って話だけどな」

 シゲの言葉にタニーが同意して付け足す。

「一本つかんで手繰り寄せた先がダンスの沼だったりしてな」

「本当に、タニシゲの二人は茶化ちゃかすのが好きなんだから」

「そうでなきゃ聞いてらんねーんだよ、今のコイツの話はよお……」

 シゲはほとんどラッパ飲みの勢いで焼酎の瓶をかたむけていた。

「……だから、学校に行くのは嫌じゃあないんですけど、それでも報復ほうふくは怖いっていうか……」

ひゃくパー報復されるだろうな。お前がダンス部のステージをめちゃくちゃにしたんだ。当然の報いだ、って向こうも思ってるだろ」

「とんとんみたいにゴツいのもいるんだろ、どうせ」

「む!?タニーは俺の筋肉をバカにしているのか!」

 先ほどの威圧感のある口調ではなく、クリスの聞き慣れたとんとんに戻っていた。

「してねーよ。ただ、筋肉はパワーだからな。クリスのような細身じゃあ、とんとんのパワーには太刀打ちできねえだろ?」

「当たり前だ!そんなひ弱な首など二秒でへし折ってやるぞ!」

「怖いです、とんとんさん……」

 目の前で裸締めのジェスチャーをするとんとんに、クリスは戦慄せんりつする。

「まあそんな訳で、夏休み明けの学校は今やお前にとって超危険地帯になってる訳だ。それでも学校に行くのか?」

「……行きます」

「無理してケガしてもつまらないだけですよ?」

「それでも……ここで学校に行かないと、それこそ逃げたことになっちゃいますから。最後まで、やり通さないと」

 コップに注がれたコーラの黒い水面みなもに映る自分の顔を見ながら、クリスは握る両手に少し力を込めた。

 その時、ローテーブルの上に置いたクリスのスマホが鳴った。

「ライジンさんからです」

「ライジンさんは、何だって?」

 内容をザッと一読し、別に読み上げても問題ないと確認すると、クリスはその場で送られてきたメッセージを読み上げた。

「お疲れさま、早速さっそくだがお前に課題だ。クリスは前に出るのが弱い。そこで、曲と共にサークルの真ん中に一歩を踏み出す練習をしろ。サイファと同じだ。周囲の空気を自分の空気に一瞬で染め上げる出方でかたを考えろ」

「確かに、それができると強いですよね」

「それから、セットムーブを毎日考えて作れ。お前にはムーブの種類が足りない。自分の身体の動きを確認して、何ができるか常に考えろ」

「うわー、ライジンさん容赦ようしゃねえなあ」

「クリスが受験生だってことすっかり忘れてんなあ」

 タニーとシゲが若干引いているものの、容赦なくアドバイスをするライジンにクリスは逆に信頼されている感じを受けた。

 それだけ期待されているという証左しょうさだとしか思えなかったからだ。

「後は、普段の生活をおろそかにするな。学校へは行け。お前のやったことだ。お前が後始末をつけろ」

「やはりライジンさんはパワフルだな!そういうところが好きだ!」

「お前の好きは、イコール戦いたいみたいに聞こえるんだよ」

 最後の短い一文を読もうとして、クリスは思わずくちびるをかみしめた。他三人がすっかり酔っぱらって視界しかいもあやふやな中、バジルだけがその姿をしっかりと見ていた。

。……以上です」

 スマホをテーブルに置いて、大きく深呼吸をした。

「ライジンさんに言われたんなら、いやまあ言われなくっても、学校にはきちんと行かねえとな」

「はい。きっちり落とし前つけてきます」

「そんな仁侠にんきょう映画みたいな言い方しなくてもいいんですけどね」

 悲壮ひそうな面持ちのクリスの頭を、バジルがトイレに立つ途中に、誰にも気づかれることもなく、ポンと一回やわらかく叩いた。

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