負けてこい 03

 すっかり日の登った西日暮里にしにっぽりの街をジャージ姿のままで歩くこと数分。人の増えた街並みに、クリスは気をつけないと前を行くヨーヘイたちの姿を見失いそうになってしまう。辺りを見回す余裕もなく、ただひたすらに彼らのあとをついていくのでせいいっぱいだった。

 早歩きな六人のあとを追うクリスが見失いそうになったときに、シゲのスキンヘッドに何度か助けられた。が、それを素直に報告すれば色々な意味で面倒なことになりそうだから、クリスは自身の胸の内にめておくことにした。

 線路沿いの駅にほど近いところにある風俗ふうぞくがいと屋台通りの混ざったような場所、その横を平行に進むと、そこに一件のライブハウスのような建物があった。周囲には既に何人もの似たような格好の人たちがおり、入口を入ってすぐの受付で次々と登録を済ませていく。

「こっちですよ」

 バジルに誘導されて、人の少ない右側の列ではなく左側の列に誘導される。

「左側の方が空いてますよ」

 クリスが左側に並びそうになるのを、バジルが首根っこを捕まえた。

「そっちは観戦勢。クリスくんは参加者だからこっち」

「クリスはこういうイベントに出るの初めて?」

 ヨーヘイの問いに、クリスは首を縦にふる。初めてどころか、ライブホールと呼ばれるような場所に来るのさえ初めてだった。

「あー、そりゃあ緊張するわな」

 タニーに肩をひっつかまれ、とんとんに髪の毛をもみくちゃにされながら、列がはけていくのをクリスは待っていた。ヨーヘイやシゲ、アッコが周囲のダンサー仲間に挨拶をしている中で、タニー、バジル、とんとんの三人は、ずっとクリスをいじり続けていた。うどんやパン生地のようにねられていると、クリスはうっとうしくもあるがどこか緊張がほぐれるような安心感も覚えるのだった。

「首の筋肉が少ないぞ」

 そう言って、にわかに首をめるとんとんのイジリが無ければ申し分なかった。

「登録番号と、お名前をお願いします」

 列がはけてクリスの順番が回ってくる。アッコにスマホを渡され、自分の登録番号を確認し、名前を言うと、受付の女性はリストのさい下段かだんの方にあったニトクリスの名前に蛍光ペンでラインを入れた。

「はい、それでは腕を出してください」

 言われるがままに腕を出すと、蛍光ペンと同じピンク色の紙でできたリストバンドを手首に巻かれた。ずり落ちないようにピッタリと貼られる。

「それとワンドリンク代金、五百円をいただきます」

 クリスがスマホを渡すついでにアッコを見る。アッコは大きくうなずいた。

 こういうイベントでワンドリンク代を払うのは当たり前よ、と目がうったえる。

 ジャージのポケットから財布を取り出して千円札で支払う。お釣りと一緒に切手よりも少し大きいくらいの紙きれを受け取ると、受付の女性は笑顔で言った。

「はい、では受付完了です。中ではDJタイムが始まっていますので、楽しんでくださいね」

 アッコに負んぶに抱っこ状態のクリスを見て、初参加だと気づいたのだろう。ぎわ、後方からクリスの耳に「ほほえま~」という言葉が聞こえてくるのだった。


 ◇


 アニソンダンスバトル・スクリーム。

 通称バトスクは、今回六回目を迎えるアニソンダンスバトルイベントだ。APOPシーンの最先端を走るダンスバトルイベント「あきばるは~ら」に比べれば歴史は浅いものの、あきばるは~らと同じ2オン2の対戦形式を採用してバトルを行うので参加者が比較的重複ちょうふくしやすく、またあきばるは~らに参加するための力試しという意味合いもある。

 今回のイベントは、初の試みとして2オン2のバトルに加えてソロバトルも開催するという。

「問題なのは、ソロバトルとの重複参加ができないってことだな」

 手首に黄色い紙のリストバンドを巻いたヨーヘイが、ドリンクバー前の一角で荷物を整理しながら言った。

 奥のホール入口から時々古いアニメソングが漏れ聞こえてくるのは、入退場で扉がせわしなく開閉かいへいされているからだろう。ホールの入り口は、ドリンクバーの方からは見えなかった。

「黄色のリストバンドは2オン2の参加者、ピンク色のはソロバトル参加者ってことだ」

 一緒に練習をした六人は、全員が黄色いリストバンドを手首に巻いている。ピンク色のリストバンドをしているのはクリスのみだ。

「あきばるは~らが2オン2だから、アニソンダンスイベントは大きいところだとほとんどが2オン2でバトルする。ソロバトルももちろんあるが、両方参加が認められない限り基本的には2オン2に参加するだろうな」

「っていうことは、逆に言えばソロバトルの方は人が少ないってことじゃないスか!良かったなあクリス!お前でも優勝できっかもよ!」

 さっそくドリンクバーで生ビールを注文したシゲが、プラスチックの使い捨てコップを傾けながらクリスに向かって言う。口角こうかく泡を飛ばしてまくしたてるのは、普段からおしゃべりなシゲが酔ってさらに饒舌じょうぜつになっているからだろう。

「それはどうかしらね」

 同じように飲み物を手にしたアッコが冷静に告げる。彼女の手に持っているのは、酒ではなくオレンジジュースだった。

「リストを見た感じ、普段は2オン2で参加するようなメンツがちょこちょこいるわ。きっと相方の都合がつかなかったんでしょうね」

「誰が参加しているんですか?」

 バジルが問うと、アッコはスマホを片手で器用にスワイプする。

「syu-ta、りゅ、Hyde、トーキー、うみさく……うみさく2オン2じゃないの?」

「えー、珍しいッスね」

「Hydeはまあ分かると言えば分かるけど。……割と歴戦れきせんぞろいじゃない」

「あー、こりゃあポッとのコミュ障には勝てねえわ。予選でボロクソにされて来い」

 シゲが残念そうな表情でクリスの頭をポンポンと叩く。しかしクリスはそんなシゲの意地悪も気にせず、というより参加者のリストをジッと見て何かを考えているように固まっていた。

「……どうした?緊張でガッチガチか?」

 バジルがシゲに三回目のお手付きを告げようとしたところで、クリスの表情が変わった。

 口のはしを三日月のように上げて、まゆいからせる。自然と肩が震えているが、その場の誰一人として、それが彼の緊張によるものではないということを一瞬で理解できた。

「シゲさん!凄いッスね!皆聞いたことがある人たちばっかりですよ!!!」

「お、おう」

 マンガなら「グリン!」と擬音ぎおんが描かれそうなほどに首を急回転させて、スマホから目を離したクリスがシゲの方を向いた。獲物を噛み殺しそうな獰猛どうもうさが、クリスの纏う空気をゆがませる。

「お前、キャスターっつーか……バーサーカー?」

「マスターがいないと暴走するだけじゃねーか」

 瞳孔どうこうを縮めて目を爛々らんらんと輝かせるクリスに、シゲとその隣でスミノフのカクテルを飲むタニーがたじろいだ。

「凄い……動画でしか見たことのなかった人たちと戦える……!」

「ハッハッハ……俺たちも動画に出てるんだけどなァ」

 あまりの興奮と豹変ひょうへんぶりに、ヨーヘイとアッコがわずかに気落ちする。

「おお、見つけたぞ。やっと来やがったか」

 ホールの二階に通じる階段の扉を開けて、一人のずんぐりとした男性がクリス達に声をかけた。

「ライジンさん」

 ヨーヘイの言葉にクリス以外の全員が一斉に視線を向ける。

 ピチピチの黒いTシャツにセミロングのツーブロック、ストレッチジーンズを履いたライジンこと女井おないとおるは、独特のオーラを辺りにふりまきながらグループに混ざった。

 他の参加者からの挨拶を鷹揚おうように返して、シゲが開けたクリスの隣にすっぽりと収まる。

 ライジンとクリスが並ぶと、マリオとルイージのような凸凹でこぼこの雰囲気だったが、それを口に出して指摘できる者はいなかった。

「ライジンさん、クリスと並ぶとマリオとルイージみたいッスね」

 とんとん以外は。

「ハハハ、確かにそんな感じかもな。それで、ニトクリスはどうだ?みんなと仲良くできたか?」

「いやライジンさん無理ッスよ。コイツ完全にコミュ障だし、練習場でも全然フロアで踊ろうとしないし。引っ込み思案もはなはだしいっつーか」

 オーバーな身振り手振りでシゲが答える。他の面子メンツもほとんど同意とばかりにうなずいた。

「ジーマーで?俺が初めてステージで見たときは全然そんな感じじゃあなかったんだけどな」

「おまけに現在クリスくんは軽い興奮状態になっていますね」

 バジルがクリスの後ろから両肩をポンと強めに叩く。それで我に返ったクリスは、隣にライジンがいることにようやく気付いた。

「透さ、ライジンさん」

「おう。ダンスの場ではライジンでよろしくな。……それにしてもお前、練習場で全然前に出なかったんだって?」

 我に返ったクリスの脇腹をライジンがグニグニとつかむ。こそばゆさと若干の痛みでクリスは体をビクビク強張こわばらせた。

「いやあの……」

「お前、夏祭りの時の勇気はどこやったんだよ」

「あ、あれは普段から出せるものではないっていうか、もうどうなっても良いってなかばちになってたっていうか……」

「火事場のバカ力って奴かしら」

「いやむしろバーサーカーでしょやっぱ。ニトクリス・オルタナティヴ」

 アッコとヨーヘイが二人の前でヒソヒソと言葉を交わしている。

「うーむ、そうか」

「いや、そうかじゃあなくってライジンさん!僕この大会に参加するなんて聞いてないんですけど!」

「ハハハ、そうだったな。参加費立て替えておいたから後でカネ寄越よこせな」

「えええええ!?」

「当たり前だろ?参加するからにはちゃんと自分で金を払う。でなければ参加する意味がない」

「意味の前に参加の意志の有無を問うてくださいよ!」

「でも、参加できるのは嬉しいだろ?」

 ライジンの力強い手が、クリスの肩を掴んだ。

 確かに、こういう大会に自分が参加できるというのは、クリスにとって初めての経験だったし新鮮な驚きだった。改めて周囲を見てみれば、自分と同じく高校生くらいの年齢の人がいる。そればかりか、中にはキッズダンサーもわずかながらいるようだった。

 どこか、自分にとって遠い世界だったダンスの世界が、一気に近づいて……近づいてどころではなく、自分がその世界に突然降り立ったのだ。

「新しい世界だ。きっと楽しいぞ」

「ライジンさん……」

 優しく微笑むライジンと、周囲のほっこりした雰囲気に飲まれそうになっていたクリスはふと我に返る。

「いや、参加できるのは嬉しいんですけど、参加費必要なら前もって言っておいてくださいよ」

「ハハハ。実は参加できるかは危うかったんでな」

「そう言えば、ニトクリスはリストのさい下段かだんですね。もしかしてライジンさんがキャン待ちからねじ込んだんですか?」

 アッコがスマホを確認しながら問う。ニトクリスの名前は確かにリストの一番下だったが、キャンセル待ちを示す名前は載っていない。むしろ2オン2のほうにキャンセル待ちが集中している状態だ。

「俺がクリスと出会った時にはすでに募集を締め切ってたんだよ。ただ、今回のソロバトルはバトスク初めてのこころみだろ?2オン2と重複参加が認められてなかったから、出場者枠があまってたんだな。それでギリギリすべり込ませることができた」

「ライジンさんって、そんなに権限けんげんあったんですね」

「はーい、クリスくんお手付きでーす」

 クリスの暢気のんきな感想にバジルが抑揚よくようのない声で宣言すると、クリスの後ろにバシルと共にじん取っていたとんとんが頭を拳骨げんこつで小突いた。

ッた!」

「ライジンさんは今回のバトスクのジャッジの一人よ。外のポスター見なかった?」

 小突かれた頭を押さえながらクリスがライジンに目を向けると、舌を出しながら得意顔でピースサインをしていた。

「ジャッジ推薦の飛び入り参加って、僕大丈夫なんですか?ひいきされてるって他の人に思われませんか?」

「お前が下手なムーブをした上で高評価をされたのならそういう風に思われても仕方ないだろうな」

 ライジンは素顔に戻ってテーブルに置かれたシゲのビールを一口飲んだ。

「しかし、俺はお前が下手なムーブをするとは思わないし、それとは別に、ジャッジ自体も公平に行う。なぜか分かるか?それが俺がここにいる理由だからだ。だから、お前はお前で全力を出してこい。全力を出したうえで、

「え?」

「負けてこい、って言ったんだ。初めての大会参加で簡単に優勝できるほど、この世界は甘くない。というか、どんな社会だって初参加初優勝なんてありえねえんだよ。だから、全力で負けてこい」

「ライジンさん、それはキツいッスよ」

「それじゃあ参加者を見て、今日の練習場での状態を見て、ヨーヘイはクリスがこの大会で優勝できると思うか?」

 ヨーヘイが答えあぐねた一瞬をついて、代わりにシゲがバッサリと言った。

「あー、それは無理ッスね。練習だろうと何だろうと、いいタイミングでパッとフロアに出られんような奴が優勝できるほどこの界隈は甘くないッスから」

 クリスは、練習の最初でマスカレ4のオープニングが流れた瞬間に叫び出したとんとんのことを思い出していた。

 今、うしろに立ってクリスの両肩に手を置く筋肉のヘンタイは、音楽を聞いた途端イントロクイズで解答ボタンを押すように突然スタジオの中央におどり出た。

 場を支配する力。

 そういうものが、まだクリスには無い。

 それを分かっているからこそ、ライジンはクリスに対して「勝ち上がれ」とは言わなかった。ただ「全力で負けてこい」とだけ言う。

 負けても良い。しかしどうせ負けるのならば、全力を出して負けてこい。どんな形であれ、初めて参加する世界の空気を味わって、次に繋げられればいい。

 しかし、だからと言ってその言葉を素直に受け止められるほど、クリスは従順でもなかった。

 未熟者とあなどられている。

 ワナワナと震えるクリスの身体は、先ほどの震えとは別の感情に支配されていた。

「……勝ちますよ」

「ん?何だって?」

「勝ってみせますよ!初出場でも、誰が相手でも、ライジンさんに無理やり参加させられたんだとしても!『僕はここにいる』って見せつけるために!」

 隣に立つライジンに、クリスが詰め寄る。

 二人の顔が、鼻先が触れ合うまで近づいた。無表情に見上げるライジンに対して、クリスは眉間にしわを寄せて、今にも噛みつきそうな表情。

 なごやかに話していた周囲の喧騒けんそうが、クリスの大声によって小波さざなみのように引いていく。その場の誰もがにらみ合う二人に視線を注いでいた。

 ホールの入口が開いて、中からアニメソングが漏れ聞こえた。かなり前に放送されていた、魔界の王を決めるための戦いに巻き込まれた人間の物語、その主題歌。

 フッ、と二人の間にただよう緊張の空気がゆるんだ。ライジンが表情を和らげ、身体にみなぎらせていた緊張を解いたのだった。

「そうか。それじゃあ頑張れよ。立派に羽ばたいてみせろ」

 それだけ言い残して、ライジンはドリンクバーの奥にあるスタッフオンリーと掲げられた扉へと入っていく。

「いいぞ。いい啖呵たんかだった。俺はお前を評価するぞ、クリス」

 肩で呼吸をするクリスの背中をポンと叩いて、とんとんが言った。

「それじゃあ、今お前に熱い視線を送っているピンク色のリストバンドの奴らを全員ブッ倒さないとな」

 苦笑いをしながら、ヨーヘイが付け足す。

 ピンク色のリストバンドをつけた者達が、クリスをジッと睨みつけていた。

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