第6話

「まだ打つ手はあるんだ、行かせろよ!」

「菊原課長は無いって言ったぞ。後は営業部が謝罪するべきだ、それで収束する。おまえは5時に出勤! 解ったか、商品部!」

上京を怒鳴りつけ、慌てて身なりを整えて、会社に行こうとしたら尻を蹴り飛ばされた。

「生田、おまえはまだ何も解ってないんだ」

「何が?」

「うちの会社の最高権力は、常務がいる商品部だ」

は?

社長は飾り、か?

「現在の社長は後1年足らずで引退する。理由は知らされていないが、糖尿病を患っていると耳にしたからそれだろう。で、次期取締役は常務だ。これは社内の決定事項だ」

「それと遅延する件に、何の繋がりがあるんだ」

「鈍すぎるんだよ、腑抜け野郎。常務に懇願すれば間に合う手段が1つだけある」

陸路が閉鎖されて、それでも納品可能な通路?

は?

まさか?


「この地方の雨は止んだ。空を飛べるはずだ」



慌てて上京と一緒に出勤すると、伊藤課長に出くわした。

「おはよう、生田くん。早いな、どうした」

「遅延する件なのですが」

「耳が早いな、謝罪なら私が行うから、きみは何もしなくて」

「商品部、いえ、上京がジェットを飛ばすって言うんです!」

伊藤課長の表情が曇った。

「上京は解っていないんだろう。輸送に使うジェット便のコストは今回の売り上げより費用がかさむんだぞ?」

「いくら、しますか」

恐々、聞いてみた。

「……22トンの重量で、着陸料、設備使用料合わせて56万円だ」

え。

「しかも定留料は6時間未満とされているから、越えたら1時間ごとに6千円の追加が発生する。ここから青森方面に飛ばしても、定留料は加算されるのは明白だし、まず他社も空を使うだろうから空港が空いていない恐れがある。飛ばしても戻ってくる可能性が高い」


とんだ博打だ。

勝てる勝算が無い。


「同期の生田を助けたいのかもしれないが悪手だ。上京らしくない、あいつは他者をおとしめてでも上がる奴だ。情けなんて感情を持ち合わせていないと思ったが」

困惑する伊藤課長に一礼して、商品部に駆け込んだ。

菊原課長が青ざめた表情で、オレにすがるように目線を投げてくる。

「かんちゃんを止めて! 常務がいない間に勝手な事をしたら、どんな罰を受けるか解らないの!」

常務は不在か。

スマホを片手に地図を広げて眺めている上京の肩を叩いた。

「……あ、少し失礼します」

と、スマホを握ったまま「間に合うから。安心しろよ」と一息ついている。

「おまえ、無茶しただろ」

「悪い、電話中。少し待てるか?」

スマホを取り上げて、思い切り切った。


「何してんの、生田。おまえのためだろう? 取り乱してるのか?」

「……おかしいのはおまえだ、上京。営業部の失態でコストがかさむなら部から依頼するし、オレが常務に許しを請う。だけど今回は自然災害だ、無謀すぎる」

「信用問題だぞ。この窮地でも納品出来れば次の商談に繋がるだろう? 俺の言っている事が間違っているのか」

仕事にのめり込みすぎたな。

自分を見失う馬鹿では無かったのに。

「おまえさあ」

「何?」


「営業部に戻る気、無い?」

「は? 人事は個人が決める事じゃないぞ。どうかしたのか」

上京の手元に地図が広げられたままだ。赤ペンでなぞられた経路は埼玉から仙台へ向かったところで行き先を見失っている。


「商品部がおまえを可愛がってくれたのは有り難いと思う。だけど、1人にして、本当に悪かった。おまえが無茶するの、予想出来たのはオレだけなのに引き渡してしまったから」

「……決めたのは俺だ。生田は」

「関係あるよ、同期だろ。かばわないでどうするんだよ、不甲斐無いけど、絶対おまえを取り返すから」

無茶するなら、オレがまたサポートすればいい。


「おいちゃん、常務が出社されて……」

菊原課長に手招きされて頷いた。

「どうなるか私には解らないけど。かんちゃんのために体、張れるの?」

「話すだけ、してみます。お・自分には大事な案件なんです」

クビかもね、新人が常務に意見するなんて聞いた事が無いし。

まあ、そうなったら考えるか。

上京さえ残れば、この会社は安泰だろうし。


「失礼します。営業部の生田です」

「入り給え。先程から騒々しいと思ったが、営業部の若手が吠えていたのか」

はー。険しい面構えだな。上京をさらいに来た時と人相が違う。

これで次期社長か。あまり下につきたく無いな、丁度いいか。

「聞こえていたよ。商品部のお抱えを取り返す、だって?」

嫌な言い方だ。

クズかな、こいつも。

「上京くんは秘書免許を持っていてね。使おうかと思案していたところだよ」

「何を仰りたいのか解りませんが」

「社長秘書にしようと思う。あの子なら容姿が優れているし賢い」

クズだ。間違いない。


「常務、僭越ながら申し上げます」

「何だ?」

「上京をたらいまわしにするのは、やめてください。あいつを大事にしないなら、営業部に返して貰います!」



「何故、そこまで執着する。今、きみが発言した内容は好ましい事例とは思えない。会社全体を考えれば有能な人材を適材適所するのが当然だ。おい、菊原課長、近くにいるんだろう」

「は、はい」

「伊藤課長を呼べ。この慢心した部下を引き取りに来いと。そして、生田、おまえの処分は早急に通知する。いいか? おまえの代わりならいくらでもいるんだよ」


まあ、そう来ますよね。

なんとか上京だけ見逃してもらえれば、それでいいけど。大丈夫かな。


コンコンとノックの音とともに革靴の底を鳴らして誰かが来た。

「失礼します。商品部の上京です」

げ。

何しに来たんだ、この馬鹿。

「おお、わが社の秘蔵っ子。何か用かね」

全然態度が違う。老齢の癖に上京に媚びている目線が気色悪い。

「生田を解雇するおつもりなら、自分は辞表を提出します」

「は?」

何言ってんだこいつー!!

「地位も名誉も、元々執着はありません。仕事を淡々とこなしてきただけですし」

無謀の数々だよ、おまえは。自覚が無いのか。

「ただ1つ、納得しかねます」

「何だろうね、言ってごらん?」

上京が片足を上げて常務のデスクに勢いよく踵を叩き落とした。

がっしり割れたデスクと、慄く常務を一瞥すると腕組をした。

「同期を侮辱するのは容認出来ません」


隣でよく見ていたけど凄むと本気で怖いんだよな。

なまじ、可愛いから油断しているとこうなるんだ。

それで交渉取り付けて来たから実績はあるからなあ。ヒールキックは初見だけど。


「あ、ああ、その。あれだな。生田・くんは考えるとしてだな」

「自分も無謀な独断でジェットを飛ばそうとしていました。懲罰の対象ですよね」

「いや、その。きみも職場を失うと困窮するだろう、今の件は見なかった事に」

あ、言わないほうがいいのに。

上京の右腕が空を切り、常務の頬を殴りつけた。勢い良すぎて、歯が飛んで行った。

何本折れたかな。

まあ、殴るのも初見だけど、やりそうな気はしてた。

「しばらく入院ですね。その前に自分を商品部に戻すか、生田と一緒に放り出すか、辞令を出してくださいよ? 自分は仕事先なんて引く手数多なんです。今後の生活の心配は無用です」


蔑む視線が氷のように冷たい。

見ていられなくて「行くぞ、」と声をかけたら、上京が床にぺたんと尻もちをついた。

「あれ、どうし……」

げ。心当たりがある。

足腰立たなくさせたんだ。

慌てて上京を抱き上げて「常務、並びに菊原課長、失礼します!」と駆け出した。



「で。営業部に連れてきたのかい、おいちゃん」

部長、いたんですね。

早々の御出勤、何かお仕事があるんですかね。

「かんちゃんを大事に抱きかかえて、相当気に入っているんだね、おいちゃん」

否定出来ないけど。

「同期なので」

「答えにならないよ、おいちゃん。常務をぶん殴る同期を何故、守るかな?」

耳が早いな。

「あちこち、捻ったみたいで」

「蹴ったり殴れば、鍛えていなければ衝撃を食らうさ。医務室に連れて行きなさい」

「あ、はい」

でも、常務からの辞令というか、解雇通知を貰わないと、オレは明日から路頭に迷うんだけど。


「ああ、そうだ。伊藤課長が先方に連絡したところ、運よく在庫がまだあったそうでね、2.3日は持つそうだ。だから今日の夜から走らせれば明日には納品出来るだろう」

助かったー。

「ありがとうございます」

「伊藤課長に言いたまえよ。私は何もしていない。ああ、かんちゃん。おいちゃんにしがみついていないで、医務室で甘いものでも食べて療養したらどうだい? 冷凍庫に」

「あのですね! 上京は仕事に来ているんですから、プライドへし折るような真似、しないでください!」

あ、言い過ぎたかな。

「……2人とも昨日と同じシャツ着てるよねえ。黙っててあげるから貸しだな」

「雨で、その」

「嘘やごまかしが利く世界では無いよ、おいちゃん。まあ、辞令か解雇通知か、どちらが来るか賭けようか」

「……解雇通知で。煮るなり焼くなりしてください」

「じゃあ、私は辞令だ。冷凍庫の中身、全部賭けるぞ」

安い。

オレの人生ならともかく上京も関わっているのに。

「パンの件も忘失してはならないぞ、おいちゃん! 手腕を発揮しろ、職場の衛生管理はきみにかかっているんだ。よく言い聞かせたまえよ」

まだ覚えていたか。

管理職の痴呆が始まるのはいつなんだ。最近では50代でも発症すると聞くのに。

引退したらいい。



「あー、居た。良かった! おいちゃん、報告があるの」

菊原課長が駆けてくるなんて。どうしたんだろ。

「おいちゃん、かんちゃん、2人とも10日間の出勤停止処分。その後は別途通知を出すって」

「え。常務からですか」

まだ話せたんだ。まあ、人の歯は親知らずが生えなければ28本もあるらしいから、1.2本殴り飛ばされても平気なんだな。

「すみません、ありがとうございます」

「おいちゃんが謝らなくていいの。かんちゃんを守ってくれたから、感心したわ。見た目は優男だけど、凛々しい男の姿だった。……でも、ただの同期じゃ無さそうだけど、大丈夫?」

ひい。

「しがみついてる、かんちゃん。やけに大人しいわよね」

勘ぐらないでください、女性の勘は鋭いと聞いています。

「かんちゃんたら、安心しているみたいに、一言も話さないじゃないの」

もうやめて。

「ん? おいちゃん。シャンプー変えたの? かんちゃんと同じにお……」

「では、処分を受けて帰宅しますので、失礼します!」



「生田。おまえ、もうかれこれ1時間は抱いているのに、腕が痺れないのか?」

何時間かぶりに口をきいた感触。

「上京は軽いから平気だよ。出勤停止処分だから、部屋まで送り届ける。数日会わないけど、アイスコーヒーばかり飲まずに、何か食べろよ?」

その先は解らないけど。

下手したら、もうこれで会えなくなるかもしれないな。

オレは解雇だろうし、上京は会社が離さないだろう。

「生田、部屋、引っ越せよ」

「次の会社が決まったら、そうしないとだな」

「は? 何言ってるんだ。おまえは会社に席を置くぞ?」

何ですって?

「俺が辞表を叩きつけたらこの会社は困るだろう。なら、条件出したからおまえも解雇出来ない。部署はどうなるか解らないけど、仕事探しはしなくていいよ」

こいつ本当に自信満々だな。

「そうなるといいけどね」

「だからさ、引っ越せって言ってるだろ」

もう、こいつは何を繰り返すんだ。

会社が変わらないなら引っ越す必要が無いだろうに、混ぜ返すなよ。

賢い奴なのに、やけにくどいな。暴れすぎたかな。

「俺の部屋に来いって。率直に言わないと、ぼけるのか? 面倒くさいな」

「はあ? 狭いだろうが、おまえの部屋は」

ベッドだって狭いの1つだし。床で寝ろとでも言うのか。

「離れたくないって言っても拒否するか?」

鎖骨に頬を押し当てるのは違反行為じゃないですかね。

「惚れたなら、いいんじゃないの? 今日から来いよ」

負けた感が酷い。

操られてる、でも気分は悪くないから困るんだけど。

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