第2話

「先方が納得していれば私から言う事は無いし。商品部から苦情も来ていない。いいんじゃないかな、日報だけ提出しておいてな」

「はい」

帰社して一連を報告したら、この有様。

甘すぎだよ、課長。

上京がいくら契約を増やしたからって、お目こぼしが酷い。

この猫、ひっかきまわしていますよ、可愛い顔して雑ですよ。


「上京くん、戻っているって?」

あ、商品部兼務している常務だ。さすがにお怒りか。

「話があるんだ、率直に言おう」

あーあー。上京、叱責されるな。

たまにはガツンと言われないといけないからな。他部署とはいえ。


「伊藤課長。上京くんを商品部にもらいたい」


は?

オレも課長も身じろぎ出来ない。何が起きたか把握出来ない。


「商品部に欠員が出たのは知っているだろうね」

あ、授かり婚で急に退職されるベテラン主任がおられたな。朝礼で聞いた。

「経験のある派遣社員か、もしくは中途採用しようかと思ったが」

是非、そうしてください。

「上京くんが欲しいって、うちの部署の総意だ!」

あなたの真意じゃないですかね。

どいつもこいつも、この見た目にほだされて。


「商品部はメーカー及び工場のライン管理など、営業部とはレベルの違う部署だが、上京くんなら出来る」


それとなく営業部を見下していますよね。

まあ、この会社は長年、取引先の要望を最優先する営業部と、工場のライン管理を保持する商品部との対立があり、会社の利益に関わる大きな壁らしいんだけど。


「常務、お言葉ですが、上京は出せませんよ」

「固執するか、人員補充なら派遣を雇え」

おたくがそうしたらいいだろうに。

「優秀かつ、可愛い部下を放り出す管理職はいません」

「解っていないな、甘いぞ課長。商品部の隣は総務部だ。総務が不在の折には、商品部が受付を行う。この容姿をいかんなく発揮して、わが社の好印象に繋げたいと思わないのか青二才」

「取引先から『上京くんがいい』と高評価です。たとえ自分が自我を失おうとも、そんなやり手の美人を手放す間抜けはいませんよ」


不毛だ。誰が正しい事を言っているのか解らない。


「自分は構いませんよ。商品部へ行けと仰るなら、そうしますが」


は?

「上京、何言っているんだ?」

「生田煩い。少し黙ってろ」


「伊藤課長のご判断に委ねます」

おいおい、上京。


「そう言われても即断しかねる、常務、少しお時間をいただきたいのですが」

「伊藤課長、時間は無い。上京くんにも迷いは無い。ならばいただくぞ、明日には辞令を出す」


えー?

無茶苦茶だ、人さらいだ。

常務はさっさと退出するし、課長は項垂れるしで、とんだ修羅場に出くわした。


「生田、呆けた顔をするなよ。おまえの評価に繋がりかねない。俺の事なら構うな、会社の方針なら従うべきだからな」

何だ、上京は。やけに落ち着いているな。

自分の部署が変わるんだぞ、今まで築いてきたものが手元から奪われ、1からやり直しなんだぞ?


それに会社の方針だって?

従う奴じゃないだろう、散々会社も取引先も引っ掻き回しているのに。今更、上の意見に従順なんて、らしくないと言うか、仰天だ。


「妙な事を言われてとち狂ったのか? 上京、おまえは営業部の要になれる人材だぞ? 遣り甲斐だって感じていたんじゃないか? 勿体無い」

すると上京が肘で突いた。

「冷静になれ。おまえがいつまでも上昇志向を持たないなら次の手を打とうと考えてはいた。好機だ、存分に利用させてもらう」


何言ってんだ、こいつ?


「辞令は形だけだ。恐らく明日から俺は商品部配属になる」

「上京、落ち着け。おまえ、おかしいぞ?」

「おかしくない。生田、俺がいなくても運転はちゃんとしろよ? おまえは自分を誤算している。少しは色気を出して取り組んでみろよ。落ちない会社は存在しない、俺はそう思う」


そう言い終えると上京は課長に一礼して「お世話になりました。商品部配属後は、全力で営業部をサポートします」と告げた。

一瞬で暗闇が訪れて、そしていつまでも光が見いだせないまま時間だけ経過する虚しさを覚えた。

上京には見下されてばかりだが、営業の手腕には敵わないと感じていたし、あまり見ると気が変になりそうだからあえて見ない容姿や顔立ちも、心に引っかかってはいた。暴言が多いけど。



最後の日報を提出して、初めて一緒に並んで会社を後にした。

「内勤なら靴も底が減らなくて済むな」と呟く上京に「まあ、そうだよな。外回りが多い営業はどうしても底がやられるから、あまり高い靴が履けないし。かと言って安い靴も履けない。足元見られるから5足持って連日履かないように回転させて、って、もう上京はそんな事しなくていいんだよな」

「生田はリーガルだろ」

「ああ、よく解るな」

話した事無いのに。プレーントゥだから、かな。

「2万円くらいで買えるしコスパもいいけど、スコッチグレインにしろよ。あまり変わらないだろ」

4万円はするんだけど?

「国産だし底の修理・交換も可能だ。それにスコッチグレインなら履いている新人はいないし、販売している店も限られる。選ぶなら内羽ストレートチップにしろ。自分を売り込むために投資しろ」

「……上京の履いている靴って」

「そうだよ。スコッチグレインだよ。おまえに託すって言っているんだ、馬鹿」

ムカつくな。

一言多いぞ、この馬鹿野郎。

「明日から別の部署だけど」

ああ、そうですよね、もうおまえの暴言を聞かなくていいんですよね。と思ったら、立ち止まるので釣られた。

まじまじと顔を見ながら「頑張れよ」と思いがけない、やさしい言葉をかけられた。


「おまえは自信を持てよ。俺がサポートしてやるから、やりたいように動けばいい」

手を差し出されたので、流石に感極まった。

握手してお別れか。

こいつは嫌な事や、頭にくる暴言とか、一緒に居たら本気で居たたまれない事例ばかりだったけど、本気で憎めなかったのは、上京が真摯に業務に向き合っていたからだ。尊敬もしていた。

しかし、この可愛い顔を見たら沼に落ちる予感しかしなくて見ないように努力し続けて、本当に疲れた。クタクタだ。


「上京もがんば……」で握った指を絡ませられて「えっ?」と慄いたら唇が重なった。キスされたのは5秒くらいなのに、吸われて舐められたせいでオレの心が激しく揺さぶられてしまった。

「おまえ、何考えて」

あ、言葉が続かない。耳が熱い。

「オレの努力が、」

いや、それは上京には関係が無い。

そんな事じゃない。

「おまえを見ないようにしてきたのに何なんだよ、上京」

あ、これも違うし。

混乱して来たぞ、どうしよう、収拾がつかない。

とんだ馬鹿だ、からかわれているかも知れないのに。


「ああ、そういう事か。理解した。無駄な事にかまけているからいけないんだ。逃がした魚は大きいよ、生田」

「逃がしたって? 元々、オレの物でも無いし」

「側にいたのにか? おまえとしか営業に出ないのに、か?」

そういう事か。

いや、気づいていたかもしれないけど真面に立ち向かえる相手じゃない。


「生田。おまえが好きだ」

「は?」

「ちゃんと言わないと、通じないんだろ? この腑抜け野郎」

そんな告白ってありですかね。本気かどうか疑わしい。普通、惚れてるなら罵るか?


「逃げるなよ、生田。俺からも業務からも」

何か、勝てる気がしない。

手慣れた感じが否めない。

本当に、同期? 同じ年か1つ違いくらいだよね?


「これ、渡しておく。多分、明日は飲み会になるから」と鍵を渡された。

「飲み会って? 上京の歓迎会の事か? おまえはお酒に弱いだろう」

いや、その前にこの鍵の意味とか、どこの鍵とか。

順番、順番を守って、自分!

「無理にでも飲まないと、お茶を濁すだろ。後はよろしく」

靴を踏まれて身動き取れなくなったら、首筋を噛まれた。

背筋を震わせたら腰を撫で上げられた。


「色々、お疲れ」

綻んだ表情にほだされそう。



翌日の朝礼で辞令が渡され、上京が言う通りに即日、所属が変更された。辞令を受け取る上京を、こうして穴が開くほど見るのは初めてだと思った。

今日から1人で営業に出向くんだなと実感が湧いた。寂しさと距離感を覚えた。



『商品部の上京です。お疲れ様です。今、話しても大丈夫? 運転中?』

「いや、丁度コンビニに立ち寄ったところ。どうかした?」

『生田の出した新規の発注書、これ、昨日の件だろ? 発注数の単位、勘違いしているよ』

「え?」

『工場はタオルの製造単位が匁(もんめ)だから、100匁で350グラム計算。だけど1ダース単位になっているから、このままでは通せないよ』

「あ、そうか。悪い、帰社したら訂正する」

『いいよ、確認だけだ。俺が修正して工場に話しておく。じゃあ失礼します』


あいつ、初日から大活躍だな。

商品部も歓喜していたし。うちの営業部はガッカリだけど。

まあ、仲違いしていた部署同士の懸け橋になれそうだから会社としては良い結果かもしれない。

オレも、少しは追いつけるように頑張りますか。


17時の定時に帰社したら、課長に呼ばれた。

「商品部で歓迎会を行うらしいが、聞いたか?」

「上京の、ですか? 部署を通じては聞いていませんが」

本人は予想していたけど。

「場所はここ」とタブレットを渡された。

「自分は呼ばれていませんが?」

「上京から伝言。18時までに来るように、だとさ。飲むなよと忠告したら、そう言い返した。助けてやったらどうだ? 同期のよしみだ」

あいつは上司を伝言板扱いしているのか?

「すみません、課長。あいつは」

「生田が謝る案件じゃないだろ。一口でも飲んだら上京は眠り姫だ。部署に知らしめるいい機会だと思うが」

「はあ?」

「解ったら、急行しろ。社内の一大事になりかねん。あいつは替えが利かないんだ」


会社の人間は替えが利く。いや、どこの世界でもそうだと思う。

自分だけは特別で、誰からも必要とされていると思っても、実際は席を空ければ誰かが座る。

それが利かない特別な人間も、また、存在する事実を知らされる。




「盛り上がりのところ失礼します、営業部の生田です。上京 抹(まつ)を引き取りに来ました」

居酒屋の奥の広間を陣取る賑わいに足を踏み入れた。

「おお、生田くん! 噂通りの優男! お疲れ、寝ちゃったからよろしくね」

「本当に寝ぐせみたいな髪型だな、流行りなの?」

セミウエットウエーブと言っても通じないだろうな、寝ぐせって酷くないですかね。

「元持ち主も洒落てるなあ」

「上京ちゃん、元持ち主が迎えに来たよー」

元持ち主って。

「上京はお酒が飲めないんですから、菊原課長も主任も、飲ませないでくださいよ」

文句を言いながら、酔いつぶれて寝ている上京を抱き上げて「失礼します」と一礼すると「でも、上京ちゃんが寝ないと、そうやって、お姫様抱っこ出来ないよ? 生田くん?」

まあ、そうだけど。

「あー。だんまりだ。本当に生田くんは上京が好きだなあ」

この酔っぱらいどもが。どれだけ上京に飲ませたんだよ。

「勝手に騒いでいてください! もう、失礼します!」

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