同期に息切れ目まい (BL)
柊リンゴ
第1話
恋に落ちる瞬間を経験した記憶は今まで無かった。でも気付いたら後の祭りで、しかも既に惚れられていた。世慣れた同期に。
「仰ることは理解しました。当社の提示した見積金額は納得されても、納期に異論があると」
同期の上京(かみぎょう)が侵略的な態度だから、得意先の神経を逆なでしている気がして居たたまれない。
「そうだよ、おたくの会社とは長い付き合いだから言うけどね。他の会社は納期が1週間で仕上げると言っているんだ」
おいおい。
会社の名入りのタオルなんて、特急印刷でも10日は見込まないと不可能だ。それに量が多すぎる。1080本を1週間以内なんてどこの工場でも門前払いだ。
「うちも舐められたもんだ。おたくにはいい話だと思って提案したんだが、まさか新人2人が雁首揃えて皮相な話をするとはね」
まあ、確かに。
「新人に下駄を履かせたいらしい、きみらの上司の意図は汲みたいが。納期変更出来ない、しかも可愛い顔している癖に、相手に高圧的な態度を取るようでは営業は向かないんじゃないのかな、上京くん。隣の寝ぐせ頭でだんまりな生田(おいだ)くんもまた、先行きが怪しいしね」
オレも、ですか。しかも寝ぐせでは無いんですけどね。
「2人揃って、態度も容姿も営業向けじゃないよ。既存の枠に収まらない」
見た目で文句をつけられると、こいつは黙っていないんだけどね。あーあ。
「では。5日で納品いたします。いかがですか?」
は?
おまえ、何言っているんだ?
「継ぎ足しますが、他社では外国産の生地での提案と推測します。当社では厚みのある220匁、そして国産を確約します。製版代を別途5000円の提示金額は変更しませんが継続的に考慮いただければ、版代は初回のみですし」
威圧するな、馬鹿野郎。
デスクにいきなりバンと手を付くから、出されたお茶さえ怯えて水面を揺らしているぞ。
「ま、まあ、確かに。挨拶代わりに配るから追加生産を依頼するだろう。それに、ものが良いに越した事が無いし」
え、怯んでる?
「ブラック生地でプリントのご依頼ですよね。本来なら書体が暗くなるので文字しか受け付けれらないはずです。ですが当社では社章をデータで頂ければトレースします。その代金は無料です」
上京がお得意先を一瞥した。
「他に何かございますか?」
「十分だ。……進めてくれ」
え。勝ち取ったの? この交渉。
「好条件だし、そんな可愛い顔で凄まれると太刀打ちが出来ない。可愛い子と優男の組み合わせか、おたくの会社はやり手だな」
オレはともかく。上京なら、まあ、そうでしょう。こいつの売りですからね。
毎度の事ながら上京の態度には焦燥感に駆られるな。この先がオレの仕事。
「では契約書に署名と捺印をお願いします」と契約書を挟んだ、ペンホルダー付きのクリップボードを手渡した。
「上京、おまえ無茶振りして平気なのか? まず5日で納品するなんて実質、製造に4日しかかけられないんだろう。工場が受け付けるもんか」
「煩いな、黙れよ。今から商品部に交渉して工場動かすように言い包めるから」
おまえ本当に新人か。
狭い車内で王様座りをするなよ、危ないだろうが。
「1分も無駄に出来ないくらい解るだろ。悪いけど、車の運転変わってくれる?」
はいはい。もう助手席にいましたもんね。
「営業部の上京です、お疲れ様です。商品部の菊原課長をお願いします」
え。いきなり課長に依頼するの?
「はい、申し訳ありません。先方に圧倒されまして。どうか、課長のお力をお借り出来ませんか?」
はあ?
「自分が不慣れで、ご迷惑をおかけしてしまい遺憾に思います」
そんな事、欠片も思っていないだろ。
「ええ、今後は課長はじめ、商品部ならびに委託工場にも失礼の無いように努めます」
嘘つけ、この野郎。
おまえと組んで取引先へ交渉に出向くの、これが初めてじゃない。
「納期を短縮して欲しい」という無茶振りに「明日の17時までに納品します」と返事をして「部長のお得意先のA社の近くに工場ありますよね?」と意のままにした。
「ラミネートマシンが壊れた」という苦情には「代替機を手配します」と、社内には無い物を口に出し、商品部を通してメーカーへ「見本を貸すように」と10万円を超す機体を手にした。
そして営業活動にも精を出し、大手企業にも躊躇せずアポを取りつけ、海外工場でロット生産可能だからと既存より安価を提示して、競合相手である老舗商社から横取りした。
やり方が横暴だけど、会社には貢献している。営業部の好成績は上京の手腕がいかに発揮されたか明白な数字を叩き出している。
実績に甘んじて、上司も他部署も文句を言わないし、上京にも有無を言わせない風格がある。
こいつは見た目が可愛い。少年のような繊細な顔立ちの小顔で細身、世間を知らない素振りの黒髪が輪をかけて、学生が社会に誤って混ざり込んだと思われても不思議じゃない。
オレは上京の顔を見てしまうと意識しそうで、極力避けているが。
人に害を与えない風情で、実際は誰彼構わず手繰り寄せて手ごまにする横暴な獣に違い無いし。
「おい」
いきなり声をかけられて我に返った。
「営業車がオートマじゃなくてマニュアルなの、早く慣れろよ。エンストしてるじゃん」
信号待ちしている間に、オートマの癖で放置していた。
「アクセルをいつもより踏み込んでエンジン回転数を上げろ。さっきからギアの選択も間違っているぞ、カリカリする音が聞こえないのか。そういう時はクラッチを踏めよ」
ああ、はいはい。
「生田と組むの、これで5回目くらいだけど俺にばかり運転させるからこうなるんだ。練習しろよ、おまえと事故るなんて回避すべき重要案件だからな」
そうくるか。まあ、おまえはいつも単独行動を取りたがるからな。
「上京、おまえは課長とオレと3人で初めて商談に出た時も運転していなかったよな。課長に運転させて」
「当たり前だろう。今時、マニュアルなんて慣れない運転して怪我でもしたらどうするんだ。社内で噂になるのはご免だ。言い直せば自由に営業活動が出来なくなる。俺は上司であろうと本来は随行されるの嫌いだからな」
もう、仕上がっている感じがする。本当に同期かよ、この自己中。
「生田、何だよ、ふくれっ面して。例外があるんだよ、いちいち言わせるな」
上から目線な話されて気分がいい訳が無い。
「聞いてたか?」
「隣にいるから聞いてるよ、で、次はどこに顔出す予定?」
「聞いてないじゃん」
何だよ、こいつ。エンストで機嫌を悪くしたのかよ。
「はいはい、で、次はどこに顔を出すの?」
「はー。面倒くさい奴」
何なんだ。足をいつの間にか組んでいるな、王様よりその方が気楽で助かる。
「生田は男前のくせに仕事の話ばかりで色気が無いな」
「仕事してるんだから当たり前だろ」
何を言い出すんだ、盛りでもついたのか。
「あのさあ。俺は認めた相手としか組みたくないって言ってんだ」
何がだ。理解に苦しむな。
「生田。次はフードコートで使用する紙コップの交渉。使い捨てだから卸価格を下げるように言ってきた。旨みの無い瀬戸際卸だから切ってもいいんだけど」
面倒くさそうに話すなよ、仕事だろうが。
「上京。切る・切らないは上の判断だぞ」
「納品の際に発生する送料。及び人手にかかる人件費を無視しろって言うのか?」
こいつ、何者なんだよ。3月に入社して数カ月でこの賢さは才能なのか?
敏腕すぎてついていけない、無理。本当に。
「ああ、そうだ」
何が。
「工場から直接納品させればいい。直送だ」
「はああ?」
「ロット数が確保出来れば文句は言わせない。自社配送もしなくていいから送料無し。美味しくないけど、言う事聞いてやった恩を着せて人情につけこんで、何か契約させよう」
ずる賢くて、もう嫌。
「生田。おまえの手柄にしてやるよ」
「は?」
「おまえは俺と組んでから助手に徹している感が否めない。それでは出世が出来ないぞ。この件を持ち込めば、商品部にも配送担当者にも一目置かれる」
「オレはおまえの手柄を貰うほど底に落ちてないし、尻込みしていない。たまたま、上京と組まされているだけだし」
「面倒くさいな」
何がだよ、本当に。
「1人で出来るとでも思うのか、新人で尚且つ、伝手もないくせに」
「おまえだってそう……」
じゃなかった、こいつは例外だ。異種だ。
「俺は出世は二の次だ。単なる肩書だからな。実力で世渡りするならこの小さな商社で中間管理職をやるより大手へ行く」
はいはい、どこへでもどうぞ。上京なら誰でも好条件で出迎えるぞ。
「次の信号、変わるぞ。ちゃんと停めろよ」
馬鹿にしすぎ。
停めてから「あのなあ、上京。おまえ」と言いかけたらシフトレバーを握る手に上京の手が重なった。
まだ慣れないからと軽んじやがる、でも横顔を見て声が出なかった。
本当に綺麗な顔立ちで、これなら誰でも落とせるだろうと思った。強引なやり方でも、先方が首を縦にするのも理解出来る。意識して上京の顔を見たのは初めてかもしれない。
「生田。おまえとじゃないと俺は組まないからな。それ以上は俺から言わせるなよ」
「は?」
正面から見ると足元から崩れ落ちそうな感覚がする。可愛すぎる、でも落ち着かなければ。
ついつい、整いすぎたくらいの顔立ちと、綺麗に磨かれた爪を見比べてしまう。
「鈍いな。それとも単に馬鹿なのか?」
こいつ、いつまでも愚弄しやがる。
課長、早くこの神にも屈しない馬鹿野郎を叱責してください。
「ああ、鈍重か」とシフトレバーを握る手を離され、手首を掴み直すとその手の甲にキスされた。
えっ? 何だ、何が起きたんだ?
「エンストさせるなよ、生田」
一瞥した態度に胸がざわつくんだけど。
「信号、青に変わるよ?」
その信号って、目の前のそれか? それとも、隣の同期の上京か?
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