第2話 ダブルソーダ─②
「そういやお前ら、夏休みどこ行くとか決めた?」
復活したケンショーが元気よく尋ねてきた。どうやらこいつの頭の中はテストを忘れ、既に夏休みに突入したらしい。
「俺は塾の夏期講習。あとPTAのキャンプ」
タッツンの答えに、ケンショーがあからさまな不満を漏らす。
「えーつまんねー!? 塾行ってキャンプって……それにPTAのキャンプってあれだろ? 確か年下のガキと一緒に、蚊がいっぱいいるテントで寝袋に入って寝るんだろ? 俺一回行ったことあるけど、あれかなりヤバイぜ?」
ケンショーの話は若干の偏見も混じってるし、色々と突っ込みたいところも多いが、言いたいことは分からなくも無い。僕も一度行ったことがあるから、あまり楽しいものではない事は知っていた。
「仕方ないだろ。俺もわざわざ好き好んで山奥なんて行きたくないけど、親がPTAの会長をやってるんだから」
そういえばそうだった。タッツンのお母さんはPTAの会長で、よく学校にも来ている。仕事熱心そうな人だから、キャンプにもやはり行くんだろう。
そんなお母さんに振り回されるタッツンが、少し気の毒に思えた。次会う時は優しくしよう。
「俺は野球の試合と海だ!! 二学期には真っ黒になってくるから待ってろよ!!」
既に若干浅黒いケンショーだが、彼は確かに二学期にはクラスの誰よりも黒くなる。
地元の野球クラブに所属するケンショーは、夏休み中にはかなりの数の試合をする。大体の試合が終わると、神奈川に住むお祖父さんの所に行って、毎日のように海へ連れまわされるらしい。
こう考えると、二人ともそれなりに夏休みを過ごす予定はあるらしい。それが本人の意思に沿うかどうかは別として、だ。
「それで? ユウキは予定あるのか?」
「おぉそうだ。俺ら二人とも言ったんだからお前も言わなきゃ不公平だぞ」
「え?」
僕は思わずドキッとする。
予定。僕の夏休みの予定、は──。
「えっと……まだ、決まってない……かな? 父さんの仕事が、いつ休み貰えるか分からないし……」
「えー? なんだよそれつまんねーの」
ケンショーの言葉に悪意が無いのは分かるが、その言葉が僕には少し堪えた。
「……おいケンショー」
「ん? なんだよタッツン」
ケンショーがタッツンの方に振り返る。
「そろそろ帰らないと、不味いんじゃないのか?」
「え──? あ、やっべ店番忘れてた!!」
どうやらケンショーは、自分家の八百屋の店番をすっぽかしていたらしい。
「悪い!! じゃまた明日な!!」
慌てて地べたに放り投げていたランドセルを掴み、ケンショーはその場を走り去っていく。
ケンショーが去った後には、長い沈黙とセミの大合唱だけが世界を満たしていた。
「じゃ……俺もそろそろ塾に間に合わなくなるから、帰るわ」
「ん……そっか」
ケンショーと違い、しっかり背負っていたランドセルを背負い直し、タッツンがその場を後にする。
が、その前に回れ右して僕の方に近づいてきた。
「な……何?」
急に近づいてきたタッツンに驚き、僕は半歩後退り。
「ユウキ……今日聞きたいことがあったんだけどさ」
「う、うん……何?」
「あのさ……お前……」
タッツンはしばらく迷っていたが、意を決したように口を開いた。
「お前……好きな子、出来た?」
「……へっ?」
タッツンの問いかけはあまりにも唐突で、僕の予想斜め上を綺麗に突き抜けていった。
「す、好きな子? 僕が? なんで?」
「いやほら……お前今日少しおかしかったからさ。なんかずーっと上の空で、窓の外とかよく見てたじゃん。それにユウキって真面目なのに、今日は先生に当てられてもあんまり答えられなかったろ?」
「あー……」
なるほど。タッツンの言いたいことが分かった。
タッツンは僕が授業中上の空で、あまり先生の話を聞いていなかったのを不思議に思ったんだ。
実際にはちゃんとした理由があったんだけど、タッツンにはそんな僕が『恋の病』を患っているように見えたんだろう。
うん、タッツンは何もおかしくない。事情が分からなかったら、そう見られたって仕方ない。
「違うよタッツン。僕は別に好きな子はいない。それはタッツンの勘違いだよ」
「そ、そうか? 本当にそうなのか?」
「うん、そうだよ。心配してくれてありがとうね」
ならいいけど、とタッツンは言った。でもその顔は、あまり納得していないようにも見えた。
「さ、タッツン。早くしないと塾に遅れるよ」
「あ、あぁ……分かった。じゃあまた明日な」
「うん、また明日」
結局タッツンは最後まで不思議そうだったけど、最後まで僕には深く尋ねてこなかった。
タッツンの背中を見送り、僕はさっきまで二人がいたブランコに腰かける。
「ふぅ……」
暑い日差しが照りつける中、口に含んだガリガくんが心地いい。
その心地よさに身を委ねながら、僕はたった今のタッツンの問いかけを頭で反芻していた。
(お前……好きな子、出来た?)
「好きな子、か……」
アイスの棒特有の、木の感触を舌で感じながら、ふと呟いた。
好きな子はいない。これは本当だ。
だから、僕が上の空で授業を聞かないなんて事はおかしい。だから、タッツンは僕を疑った。
でも違うんだよタッツン。
僕が上の空になってしまう理由が、ちゃんとあるんだ。
食べきったガリガリくんの棒を、太陽とは反対方向の青空に向かってかざす。
その空の向こうには──まるで天空の海に浮かんでいるような。
巨大な日本列島が、夏空に姿を晒している。
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