夏の魔法
3℃のお金
夏の魔法
汗でベットリと張り付いたシャツ。風を通さないスラックス。熱を閉じ込めるように閉められた首元のタイ。
「今日もあ・・・・ああぁ・・・」
あつい、と言い切るまでに暑さで声が途切れてしまう。
ジリジリと肌を刺す太陽光はまだまだ真夏本稼働中のようだ。
季節は夏。
夏と言えば、海、スイカ、肝試し!の三点セットを唱えていたあの遠かりし頃とは違い、夏バテ、外回り、生ビール!と、なんとも現実的なルセットが僕の日常となってしまっている。
「はぁ・・はぁ・・」
そんな炎天下の中僕といえば、紺色のスーツを身にまとい、息も絶え絶えに外回り業務に勤しんでいる。
黒ずんだコンクリートの温度が、革靴を透過してきたら最後、日陰か手近な喫茶店へと駆け込むのが外回りをする会社員共通の心得だろう。
携帯を見ると会社の上司からのメッセージがいくつか届いてた。
中身をみてげんなりする。いつものやつだ。
上司以外に誰とも連絡の取っていない携帯を乱暴にポケットへ突っ込んだ。
25歳になるが、パートナーと呼べる人は今はいない。
ああ、そろそろ休憩しようかなと影を探す。
今日は普段練り歩いているオフィス街から足を伸ばし、郊外の住宅街が営業周りのターゲットだ。
ふと汗が流れる顔を上げると、そこには懐かしい風景があった。
・・・ああ、ここって
かつて僕が通っていた高校。
陽炎の向こう側に姿を見せたのは大きな我が母校だった。
暑さですっかり忘れていたが、このあたりはかつて僕が住んでいたところだった。
学生時代の記憶が次々と浮かんでくる。
別に用事があった訳ではないが、僕はかつて思い出の場所へと足を向けた。
記憶の中にあるタイルの剥がれた壁や、錆ついた校門といった全体的に小汚かった学校は改装されたのだろう、すっかりとキレイになっていた。
多少の寂しさを感じながらも学校の中を覗き込でみる。
聞こえてくるのはセミの声だけ。
学校はなんともひっそりとしていた。部活動をしている生徒も見受けられない。
「まあそんな日もあるだろう。ふむ」
となれば。
小さな出来心が芽生えた。
校舎の裏側へ回ると、見覚えのある小さな出入り口があった。幸い校舎の裏側は、かつてのままのようだ。昔そうしていたように、低い柵をひょいと乗り越え、僕は数十年ぶりに学校へと足を踏み入れた。
セミの声は遠く、夏の学校は静かで、そしてひんやりとしている。
校舎の隙間を縫って吹く風は、僕を迎えてくれているようだ。
かつてはここで毎日、友人や先生と同じ時間を過ごしていたのだと耽る。そうすると目頭に熱くなるものがあった。歳だろうか。
しかしついぞ、誰もいない学校に入るというのは初めての経験じゃないだろうか。いや、確か過去に一度だけ、そう一度だけあったような気がする。だけど思い出せない。
ぐるりと周囲を見渡す。誰もいない校舎の中には、生徒達の影法師が忙しなく動いていような気がしてくる。
それにしても
「み、水・・・・」
水分を欲してか、頭がふらついた。
確かこっちに自動販売機があったような。ふわふわとした記憶を手がかりに僕は歩きだす。その矢先。
くらっと頭が揺れた。
周囲が一周し、視界が真っ白になった。
太陽に当てられすぎたのだろうか。
ああ、もう駄目だと思った瞬間、再び地面を感じた。不思議な感覚だった。
「まずいまずい」
僕は急いで自動販売機の元へと駆け寄った。
単価が比較的安いスポーツドリンクを購入するとぐびっと呷った。
そのまま中庭のベンチに座り込む。
「ふぅ・・・。助かった」
静かな中庭の真ん中で呼吸は徐々に正常へと向かう。
僕を慰めてくれるように、校舎の向こうから吹いた風が、頬を撫でた。
「ああ、気持ちいい」
酷暑の中で稀に吹く冷たい風は、何にも代えられぬ清涼感がある。
「あれ」
よく見ると校舎の壁は黒ずみや、ひびの痕が見受けられる。キレイに見えたのは表側だけなんだろうか。
そんなハリボテみたいなことするのだろうか。
「待った?」
「ううん」
ふいに人の声がして僕は身体を硬直させた。
遠くからの足音すら聞こえていなかったため、目を丸くし声のする方を見た。
そこには男女二人の学生がいた。
気づかれたらまずいと思ったが二人はこちらに気がつく様子はない。
ただ二人の会話が驚くほど鮮明に耳へと入ってくる。
「悪いな、こんな暑い日に」
「別にいいよ。それで話って」
「あ、ああ、それなんだけど」
少年は気まずそうに女子生徒から目を逸した。
察するに、あの冴えない少年が可愛らしい少女を学校に呼び出したようだ。
なるほど・・・。つまりこの学校の生徒の告白現場に遭遇しているか。
さすがに悪いような気がして、僕はそっとその場をあとにしようとした。
が、突如、少年が突然こちらに駆け寄ってきた。
「の、喉乾いたろ。なんか買ってくるよ!」
僕は慌てて身を物陰に潜めた。
少年はこちらに目もくれず、自動販売機の前に立つと「はぁ」と大きなため息をついた。
「僕と一緒の墓に入ってください。僕と一緒の墓に入ってください」
自動販売機を相手に少年はブツブツとつぶやく。
今のが告白のセリフなんだろうか。
「古い・・・というかダサい」
今どきの高校生はこんな告白をするのだろうか。
流石に校正してやるべきかどうか逡巡するが、既のところで手を引っ込める。スーツ姿の男が誰もいない学校にいる事実は不審も不審だ。見られるわけには行かない。
少年はスポーツドリンクを購入すると、再び女子生徒の元へと駆け戻った。
どうも先の展開が気になった僕は、もう少し二人の様子を見守ることにした。
「はい、冷えてるうちに」
「ありがとう」
二人でベンチに腰掛けるとスポーツドリンクをごくごくと飲む。
「冷えてると美味しいね」
「だろ。部活のときは毎日飲んでるんだ」
「でも、それじゃあお金すぐに無くならない?」
「まあ、命には代えられないから」
「・・・・ふーん。じゃあ私がドリンク作って持っていってあげる」
「それは・・・どうも」
「・・・うん」
察するに女子生徒は既に少年に気があるみたいだ。あとはもう少年からの告白を待つばかり、そんな状況だろう。
「教室暑いよな。扇風機しかないし」
「そうだね」
「先生はそれでも団扇で仰ぐの駄目って言うんだ。先生も暑そうなのにさ」
「それはひどいね」
「でも不思議とプールの水って冷たいよな。氷水に入ったみたい」
「冷たいよねあれ」
「・・・・・・・・・」
少年は中々本題を切り出そうとしない。女子生徒の顔にも徐々に疲労が見え始めている。
ああ、見ていてすごくもどかしい。
「で、話って」
「あ、ああ。そうだね。ええっと・・・。ぼ、ぼくと、その一緒の」
「一緒の?」
「・・・・・・・喉乾かない?なんか買ってくるよ!」
そう言い捨てて少年は再び自動販売機へと舞い戻ってきた。
「くっそ。なんで一言が出ないんだ!情けない」
確かに少年が逃げ帰ってくる様は格好のいいものではない。
けど、僕は彼の気持ちが痛いほど分かった。一応大人になった今なら分かる。普通のシンプルな一言だけで二人の願いは十寿する。それは明らかだ。
でも当事者には分からない。当事者だから気づけない。これまで生きた時間が短いから状況を照らし合わせることができない。自分から歩み寄ることが最善で最短という真実に。
こんな経験、僕もどこかでしていたんだ。
彼に声をかけるべきだろう。
いや、しかしお節介すぎるか。
その前に不審者だと声をあげられたりしないだろうか。
他人の色恋に干渉するのは無粋じゃないのか。
迷い、頭で考え、動けずにいる。
そこには二人の少年がいた。
刹那、僕の携帯が鳴った。その音はひっそりとした校舎に反響し少年の耳へと届いた。
少年の目は僕の姿を確実に捉えた。見られた。僕は決断する。顎を高くあげ、首元をあらわにした。
「お節介だろうけど・・・。普通に好きって伝えればいいと思うよ。変に意識するよりシンプルにさ!」
「え?」
「自信をもてよ。足りないのは自信だけだ」
今だから言える、そんな薄っぺらい僕の人生を詰め込んだ言葉だった。
「・・・・そうだね」
少年はそれだけつぶやいた。
僕は踵を返して学校から飛び出た。引いた汗がまた吹き出る。けど走って走って。学校は陽炎の彼方だ。
キレイになった学校は幻影のようにゆらゆらと揺れていた。
携帯を確認すると上司ともう一通別のメッセージが来ていた。
案の定、まだ帰社しないのかとかノルマの達成率は、とかとか目に入れたくない文字列がつらつらと連なっている。
だけど、僕はもう一通のメッセージに目を通すと、頬が緩んだ。
僕の帰りを待ってくれている、そんな人からのメッセージだった。
「今日もうちに帰るのが楽しみだ」
その日僕は大きなスイカと、ついでスポーツドリンクを2本買って帰った。
スイカを二人で食べきるのは大変だったけど、夏らしいねと二人で笑った。
スポーツドリンクには手を付けず、ずっと懐かしそうに眺めていた。
終わり
夏の魔法 3℃のお金 @hatsuyuki0141
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