第10話  謎は謎を呼ぶ

 元ドイツ軍人が変化した鬼は、まるで意思を持つような黒煙に体を覆われ、もがき苦しんでいるようだった。巨大な肉体を痙攣させ、地面をのた打ち回っている。


「いったいどうなっているんだ」


 人狼と化しているワン公が俺の隣で呟いた。


「あの半魚人が霊体となってドイツ野郎の体を乗っ取ろうとしてるんだ」


 しかし、普通だったらそんなこと有り得ない。

 異界の存在がこの世で肉体をもつには二つの方法がある。一つはこの世の肉体に憑依すること。もう一つは異界の存在が自らの意志で肉体を創造して纏うこと。後は少し外れるが、その肉体を使ってこの世に子孫を残せば、異能の者として何らかの能力や個性が受け継がれ、それが発現したのが異能者だ。


 しかし、あの半魚人はいったいなんだったんだ? 余りにも不完全で不自然じゃないか。あんな腐ったような体に憑依する理由がわからないし、肉体を創造出来るような存在はそもそも高等な知性を持っているから不完全な肉体なんか創らない。


 ではいったい、アレはどういった出自を持っているんだ?


 だいたい肉体が機能しなくなったら、普通ならば速やかに異界に戻るはずだ。

 異界の存在がこの世に霊体のまま存在し続けるのは難しい。

 この世に残るのは、そうとう未練や執着がある場合、しかしすぐさま他の肉体を求め乗っ取ろうとするなんて・・・・。


 体中を痙攣させていた鬼は、苦悶の絶叫を上げた。

 その声に我に返った俺は、頭を切り替えた。

「どうする? オレがあの煙を喰ってやってもいいんだぞ?」

 そう提案するワン公を俺は即退けた。

「バカ、あんなの喰ったらテメェの腹壊すだけだ。そこで大人しく見てろ」


 俺は両手のピースメーカーを消し、代わりに古びた巻物を取り寄せた。

 畜生、この巻物すっげぇ高かったんだぞ! チベットの寺院の僧侶から苦労して手に入れたのに、こんなところで使うなんて、クソクソクッソー!

 心の中で散々悪態つきながら、巻物を空中に放り投げ、広げた。

 経典のように象形文字と記号などなびっしりと記された巻物は、まるで意思があるように暗黒の闇に包まれた鬼の周囲に展開し、ぐるりと取り囲んだ。

 この図象を理解するのに十年チベットで勉強したんだぞー、クッソたれ!

 俺は気合の喝を叫び、術を発動させた。


「荒魂、封印!」


 巻物の文様が光りを放ち、その中心にある鬼の肉体と黒雲が稲妻のような閃光と轟音と共に、一瞬で消え失せた。


 後に残されたのは、ガス灯の明かりと、真夜中の闇と、十一月の寒さだけだった。まるで何事もなかったかのように・・・。


 もちろん、巻物も蛇の死骸みたいに地面に落ちていた。一般的な術式は何度か使い回しが効くが、それでも次第に威力が落ち、終いには図象が薄れ、発動しなくなる。その度に上書きしなければならないが、それでも劣化は免れない。だから貴重な物は余り使いたくないはないんだ。まぁ自分で最初から書けばいいんだが、相当根気が要るんだぜ。


「何をしたんだ?」

 気を取り直したワン公が訊いてきた。

「異界へ強制的に送ったのさ」

 俺は巻物を回収ながら答えた。

「あんな巻物で? それも一瞬で?」

「ああ、長生きの特権だ」

 しばらく押し黙った後、ワン公は言った。

「お前を少し見直したよ」

「はぁ? なにガラでもねぇこと言ってんだ。とっととその仮装を解け」

 ワン公はぶつくさ文句を言いながら、狼からの人の姿に戻った。

 しかし今回は俺様の不死性はほとんど発揮されなかったな。ま、手の内をそう矢鱈目ったら見せるのも賢くないしな。


「しかしこの出来事、いったい何を意味しているんだ?」ワン公は難しい顔をした。「オレたちは河童の「噂を確かめに来たはずだったんだが・・・」


 そう、正にソレソレ!


 マグナス卿から“不死狩り”の噂を聞いてやってきてみれば河童の話で持ち切りで、実際出てきたのは腐った半魚人、しかもそいつを始末しにドイツ軍人の鬼野郎が現れ、最終的に半魚人の霊体に喰われた。事実が目まぐるしき変わり過ぎだ。

 二人して沈思に耽っていたところに、どこからか大きなクシャミの音が聞こえてきた。


「ん?」

 誰だ?

「ハッ! 忘れていた‼」

 書生のワン公が跳び上がって叫んだ。

「あ? どうした?」

 ワン公は必死の体で堀の淵を覗き込んだ。

「先生‼ ご無事ですかー‼」

「無事なものかー‼ いきなり堀の水底に放り投げておいて! 寒くて堪らん、凍え死にそうだよ‼」

「申し訳! 今すぐそちらに参ります‼」

 そう叫ぶが早いか、ワン公は自らも堀へ飛び込んだ。

 そりゃ、十一月の夜だもの、寒いわな・・・。

 ご愁傷様。

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