第19話 奔流


《さりながら。なにも、宿る先は人に限ったことにはあらず》


 ゆったりと応えたのは父ドラゴンだった。


《生きとし生ける者らの命は、大もとにいて一切平等。そこに軽重けいちょうの差異はなし。そのゆえに、必ずしも人に生まれ変わると決まったものにはあらず》

《なんですって……?》

《草木になろう者あらば、鳥になろう者もあり。はたまた四つ足になろう者、六つ足になろう者。あるいは、水の中を駆ける者。みな、おなじ命の重みをもって、黒き宇宙わだつみに生きるもの。……それこそが、命のことわりと申すもの》


 マリアは不気味な目の色になり、しかし微笑みは絶やさないまま、じろりと空の方を見上げた。


《それではますます、いけませんわね。わたくしたちが、どうして木だの草だの、鳥だの魚だのにならなくてはなりませんの》

《それでは、そなたがさげすむ人の子なる者になりたいと? 生ける者らの中にあって、己が意により胎の子をしいする者らはごくわずか。人もまた、そのひとつであるのだが》

《…………》


 マリアはぎりりと唇を噛んだ。

 彼女の真意は計れない。が、俺にはそこに、彼女にしか分からない、ひとつの強烈なこだわりが垣間見えたような気がした。


 ……それは、何か。


 ちなみに、読書家である兄、孝信によれば、一部のウサギにはある環境下で、胎の中にできた子を吸収させてしまうものがあるのだという。つまり、せっかくできた胎児がある時期になると勝手に死んで、母体に吸収されてしまうのだ。

 ただそれは、人間が勝手な欲望で堕胎するのとはまったく事情が異なるらしい。

 彼らは子育てをする環境が整わないとき、周囲にあまりにストレスが多いときなどに、自然と自分の体に胎児を吸収させてしまう機能を持っているのだ。目の前の欲望に負けて新たな命を授かっておきながら、身勝手にもそれを殺して平然としている人間たちとは、根本的に意味が違う。

 俺は、微笑んでいながらも相当に不機嫌そうなマリアの顔を観察しながら、そんなことを様々に考えていた。


《マリア。……聞いてくれないか》

《なんですの。もはやわたくしは、あなたにお話などありません》

 女はこちらには目もくれない。

《それはそうだろうが。さっきの話、俺もガイアたちと同じ気持ちだ。マリアにその気さえあるのなら、俺もいずれは、新たな命の親になろう。必ず大切に育てよう。真野が言ったような、虐待やネグレクトなど決してしないと約束する。……どうだろうか》


 そう言ったら、隣のギーナがやや居心地悪そうにもじもじと手を握り合わせ、こっそりと俯いて赤面したようだった。


《もう一度、考えてみて欲しい。……それでは、いけないだろうか》


 マリアは非常に不快げな目で俺を見下ろした。


《愚かですわね、ヒュウガ様。先ほどから、わたくしが申していることが聞こえておいでではないのですか? ……なんであれ、慮外のことです。そのような提案、聞くにも値しませんわね》

《そうか──》


 では、どうしてもか。

 どうしても、俺はここでお前と殺し合うしかないというのか。

 俺の中からはもう、単なる憎しみや復讐の念によってこのマリアに刃を向けようという気持ちは失せている。

 だが、それでもやりあわねばならないのだとすれば、この戦いには相当な覚悟が必要だった。

 なにしろ相手は、生まれることもできなかった幼すぎる命の集まりなのだ。幼すぎるがゆえの残酷さ、短慮さは否めないながら、そもそもの罪はあちら世界の親たちにあるというのに。

 と、そう思ううちにもマリアの手がすいと上にあげられた。


《迷っている暇などありませんわよ? ヒュウガ様》


 再び、彼女のまわりに周囲を暗く陰らせるほどの強力な魔撃がいくつも発生して、俺たちと魔族軍、ヴァルーシャ軍めがけて降り注ぎ始めた。皆はすぐさま、もとの防御態勢をとる。

 が、マリアは平然とそれを見つめ、むしろ満足げに笑っていた。


(なんだ……?)


 その瞬間。

 背筋に冷たいものを覚えて、俺は周囲を見回した。

 何だろう。何かが今、変化した。それだけははっきりとわかった。

 空気の色が微妙に変わったとでも言えばいいのか。

 見ればマリアは、片手を天に向けながら、何かを唱え続けている。


《む。これは……?》


 届いた思念はフリーダのものだった。彼女も明らかに何かを感じ取っているようだ。

 ヴァルーシャ軍、魔族軍の将兵たちも、明敏な者たちは一様に周囲を見回して警戒の色を浮かべている。

 と、兵の誰かが「あっ」と叫ぶ声がした。


「あ、あれを……!」


 皆が一斉に背後を振り返る。


(なに……!?)


 北の大山脈。その上に張り巡らされていた巨大な魔力の屏風。長年、北と南とを分け隔ててきたあの<北壁>が。

 今、虹色の表面をじわじわと空間ににじませるようにして、薄れつつあるのだった。


「閣下! たったいま、<北壁>の総督、バーデン中将から連絡あり! <北壁>の<魔術師ウィザード>たちが、突然、全員死んだとのことですッ!」

 それはまるで悲鳴のような、ヴァルーシャ兵の叫びだった。

「何? どういうことだっ!」

「分かりません! とにかく突然、ウィザードどもがもがき苦しみ始め……あっという間に全滅したとっ……!」

「なんだって──」

 ざわっと、両軍の将兵が色めき立った。


《くっ……。貴様、なにをしたッ……!》


 フリーダがそう叫び、凄まじい目でマリアを睨みつける。が、当のマリアは完全に「柳に風」状態だ。

 伝令の兵はさらに叫ぶ。

「北側の魔獣どもが、すでに次々に山脈を越え、こちらに入り込んできている模様! 群れをなし、近くの人里へ向かって、まっしぐらに進んでいるとのことです!」

「むうっ……」

 フリーダの奥歯が軋る音が聞こえるようだった。

「慌てるな! まずは落ち着いて事態を確認せよ。入り込んだ魔獣は、各個に撃破。すぐに、こちらのウィザードたちを応援に向かわせる。その人里へも、兵らをすぐに!」

「はっ!」


 フリーダの声に即座に反応したのはデュカリスだ。彼はすぐに左翼に展開していた部下らの一部を分け、編成し直したウィザード部隊を率いて自分も北方へ向かい始めた。

 と、今度はこちら魔族軍の四天王たちがぴりっと表情を硬くした。

《陛下。どうやら、こちらもまずいことに》

 第一声はルーハン卿のものだった。

《ただいま、我が領地から連絡が入りましてございます。オーガやトロルどもの『分限』が、突然破壊された模様にございまする。周囲におりました魔導師どもが、さきほど突然死んだとの由》

《なに……?》

 振り向いた俺の頭に、今度はゾルカンの声が響く。

《あ~。どうやら俺んとこもだな。トロルやオーガ、ゴブリンどもが雪崩なだれをうって飛び出てるとよ。留守を狙われたってとこだわな~。ったく》

《北西も、まったく同様にございます。陛下》

《北東もご同様》

 続いたのはフェイロンとヒエン。

 彼らは思念でそう伝えつつ、即座に部下に命じて軍を分け、北方へ戻らせ始めた。もちろん、故郷の兵らに加勢するためだ。


(マリア……!)


 向き直って睨みつけると、マリアは清らかな笑みを湛え、さも満足げな顔をしてこちらを見下ろしていた。


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